
15. 論理的思考
はじめに
前回の記事からかなり時間が空きましたが、その後も哲学、論理学、数学に関する書籍からの知識吸収は続けてきてます。ただ、う~ん、ハイデガーの言う疑似問題的な話が多くて、「へ~、なるほどね」という発見が無かったので、間が空いた次第。そのうち機会があれば、書こうかなとは思っていますが。
今回は、日常一般においての、論理的思考について、
渡邉 雅子著 岩波新書
を元に、へ~、なるほどねと思った点を簡単に紹介します。詳しい話は是非この本を買って読んでみてください。
何故、論理的思考?
私が普及啓発を行っている、”概念モデリング”に関する、哲学的・数学的・言語哲学的・論理学的観点からの Refine & Definition を続けてきていて、その過程を、この一連の玉石混交コラムで書いてきたわけですが、…と書いてきて、あら、記号論理学をメインにした記事がない!ことに気づいた(どこかの記事で書いている気はする)ので、簡単に書いておくと、
概念モデリングに従って記述した概念モデルは、その記述要素の組み合わせから、論理式を記述で、真偽の判定が可能であること。記述要素とは、以下の通り
概念クラス(概念インスタンス)
概念クラスの特徴値(概念インスタンスの特徴値)
リレーションシップ(リンク)
事象
状態
アクション
論理式は、記号論理学で記述することを前提としていて、少なくとも一階の述語論理(もしかすると二階の述語論理なのかも)であると考えています。
その辺、私は数学者、論理学者ではないので、これ以上は言えませんが、少なくとも、論理式で使われる変数や述語の意味的構造が、概念情報モデル、概念振舞いモデルで記述されているよ、というのがポイントです。
論理式は基本、その式は真か偽です。また、それは論理記号で書くことになります。これを日常における様々な状況・現象に適用するのは、とても難しく、面倒くさいのが実際のところです。
論理をきちんと記述するために、記号論理学が基盤となるのは間違いないのですが、
”概念モデリングをやるなら、ちゃんと記号論理学とか述語論理で語れや!”
なんて、ビジネスや日常の業務、機器の制御等を相手にモデルを作る時に宣ったら、誰も概念モデリングを実践してくれませんよね。
また、概念モデルを記述する目的は、モデル作成者が、ある意味の場において掬い上げた概念群を他者と共有するためのものであり、その際、概念モデルに描かれた内容を、他者に言葉や図を使って説明することになります。この時点では、どんな風な順序、言い回しが、聞いた側が理解度を大きく左右するでしょう。そもそも概念モデルにおける論理学的正しさは、モデル化した意味の場を構成する概念群の記述にかんするものなので、モデルを使った説明のことはカバーしていません。
言葉による説明では、どんな順序でどんな風に話すかという組立てが重要、そして、それらの組立てには論理的思考が必要ということ。
翻って、概念モデルを作成している過程でも論理的思考はとても重要で、モデル化対象の世界を、ある意味の場を通じて概念群を掬い上げるフェーズでも、もちろん、論理的に掬い上げることが重要なので、やはり、論理的思考は非常に重要だってこと。
西洋思考の4パターン
この本によれば、西洋の思考パターンは、
論理学
演繹的推論
演繹的操作による真理の証明
形式の論理・証明
レトリック
蓋然的推論
一般大衆の説得
日常の論理・論証
科学
アブダクション
物理的真理の探究
法則探求の論理・仮説の検証
哲学
形而上学的真理の探究
弁証法
本質探求の論理・対話・討論
の4つに分類できるとのこと。
概念モデリングにおける思考パターン
概念モデリングは、モデル化対象の世界から概念を掬い上げて分類して概念クラスや Relationship を定義しつつ、演繹的に発見される概念クラス・Relationship の追加と、導き出された、圏C(スキーマ)である概念情報モデル(振舞いモデル)を、モデル化対象(こちらは、圏Cを元にした圏Iのモデルで表現される)に(演繹的に)当てはめて、記述したモデルの正しさを検証する、これは、科学の思考パターンといえるでしょう。モデルの記述においては、形式的な正しさを保証する記述方法を使う、つまりは、論理学の思考パターンに従っていることになります。ここまでで、形式的な正しさと、モデルと対象世界の対応付けの正しさが保証されるということ。
モデルは、他者との共有のために記述するのだから、出来上がったモデルを使って、モデリングの動機になっているプロジェクトやアクティビティに関連するステークホルダー達への説明をする、説明は形式的かつ対応付けの正しさを理解してもらう、つまりは説得することになります。モデル化対象が制御系であれば、物理的・科学的な専門性のあるものなので、それに従って説明すればよいですが、ビジネス系など人文的な要素を含む場合は、形式的に記述されたモデルは、とかく、浮世離れしたなんだかよく判らないものに見えるので、一般人への説明の際には、日常的な論理、つまり、レトリックの思考パターンが必要になるでしょう。
そして、他の記事で何度も書いてきたように、概念モデリングは、哲学の思考パターンから導出された過去の叡智を活用して基礎付けられているというわけ。
ちなみに、基礎付けとして拝借しているのは、
現象学
分析哲学
言語哲学
新実存主義
圏論(数学)
記号論理学(論理学)
です。なので、概念モデリングの作成・活用を実践する場合は、このあたりのことを踏まえると良いと思う。
アブダクション(遡及的推論)
UFO の連れ去り事件じゃないですよ。
アブダクションは、この一連のコラムのどこかで紹介した記憶があるので、探してみてほしいのですが、前に書いた説明と違う、というか、追加・拡張?の説明を見つけたので、ここで紹介しておきます。
まずあらゆる探求は、常識的な期待に背くような驚くべき事実の観察から起こる。探求はその驚きが解決される説明を求めて、その事実をあらゆる側面から考察することから始まる。そして、その事実がなぜ起こったかについて可能な説明を与えてくれる仮説を考え出す。これがアブダクション(仮説形成)であり探求の第一段階とされる。
論理学的には、
A→B
の場合、Bが真でも A が真とは限らない(”Bが偽ならAも偽”しか言えない)が、アブダクションは、Bが真なのは、Aが真だろうという推論ってこと。
前に書いたのはこのこと。そして、この推論(常に正しいとは限らない)ができるのは人間だけ…って事だった。
ここでは、間違った推論ができる(してしまう)ことがトピックではなく、確からしそうな A を仮説として見つけ出して、第二段階以降で、その A が正しいことを合理的に説明できるようにすることが、論理的思考のパターンであるって事。
あれ?この思考の流れって、概念モデリングの Refine & Redefinition した時の流れだよね…
基本は同じ話だけど、見方を変えると、日常生活を含む、ビジネスの世界でとても重要な思考パターンに思えないか?
詳しくは、この本を読んでみてくださいまし。
論理的思考の文化的側面
さて、概念モデリングで記述する、概念情報モデル、状態モデル、データフローモデルは、基本的に二次元のネットワーク・グラフモデルなので、図から正確に何が描かれているか読み取れる人にとっては、特にこのトピックは必要ないはずなのだけれど、モデルを元に他者に説明する際には、当然ながら論理的思考に基づいて説明する必要がある。この場合、説明を受ける側のオーディエンスと、何のための説明か、その目的に応じて、説明の仕方を変えないと、伝わるものも伝わらない。
独りよがりに「こっちは、懇切丁寧に説明を尽くしているのに、相手は全く理解してくれない」なんて嘆いてはNG。説明の目的はあくまでも、”相手に理解してもらうこと”なので、相手が理解しない以上、それは、説明側の責任と肝に銘じておこう。
論理と合理性
本題に戻ると、この本では、どんな領域(説明の目的とする場)を視野に入れた説明の合理性が説明されている。
思考することと行動することは別の様に考えられがちだが、論理的に思考することと、合理的に行動することは連動している。なぜなら合理的であること/合理的な行為は、各領域の論理によって決まるからである。
合理性には、
形式合理性(道具合理的行為)
手段に関わる合理性
実質合理性(価値合理的行為)
目的に関わる合理性
の二つがある。この区別、結構曖昧にされてるよね。個人的には、形式より実質の方が大事なはずだと思うんだけど、最近は形式合理性の方が重視されている気がする。何かというとコスパとかいうのは、正にこれだな。
この二つの合理性について、目的と手段のつながりが、
個人の主観
集団の客観性
なのか、で、縦軸、横軸を書いて、(いわゆるポートフォリオだね)、四象限を作ると、
経済領域:主観・形式
エッセイ(アメリカ)
社会領域:主観・実質
感想文(日本)
法技術領域:客観・形式
エンシャー(イラン)
政治領域:客観・実質
ディセルタシオン(フランス)
になる。それぞれに添えたのは、その領域での説明に適した作文の型と、その作文の型を最良とする国の名前。
経済が主観的で形式合理性というのはさもありなんですが、それを追求すると地球を破壊しかねないので、実質も考えた方がいいんじゃない、とか、最近の日本の政治は、客観と実質がおろそかになっていて、むしろ社会領域なのでは、などというのは私の個人的感想。
エンシャー(イラン)と書くと、なんとなくイスラム教に特化してんじゃね的な感想を抱く読者もいるかもしれないので、一応、念のため書いておく。イランの作文は、エンシャーと呼ばれる形式で、確かに、イスラム教を基本とするのだけれど、この本で言っているは、宗教に限らず、科学も主義主張も含めた、確からしい(と思われる)理念や理想を元に、論を展開する時の型だということに注意。
説明相手が、どんな領域に軸足を置いているかによって、4つのうちどれかの作文の型を意識して論を展開すると良いだろうね。
このセクション、作成した概念モデルを元に説明する時の作文(話の流れ)について、ということで話を始めたけど、モデル化対象をどんな意味の場(概念ドメイン)でモデルを作るかという、その作成過程でも、この対象の領域を踏まえることは重要なのではないかと考えている。
領域=意味の場=概念ドメイン
というのは自然な論の展開であり、実は概念モデリングを行うときの、最難関である、”モデル化対象の意味の場(概念ドメイン)”にフォーカスるときの指針になると思う。
本書では、経済領域=主観・形式を振りかざす複数組織の間での軋轢の発生や、様々な文化的背景を持った組織の間でのコミュニケーションは、主観・実質の社会領域がより優れているのではないかとか、興味深い説明がたくさんあるので、是非、読んでみて頂戴。
最後に
以上、「論理的思考とは何か」を取り上げて、概念モデリングとの関連を書いてきました。いかがでした?
次は、何をとりあげようか…
あ、ちなみに、この投稿は、島根ワーケーションウィーク2024 に参加中、出雲で書き始めました。縁結び・神結びの地、出雲。行くたびに現地の人の温かさと、歴史の厚みに圧倒される、今回もそんな感じでした。
皆さんも良いご縁を!
作文の型と論理の型
エッセイ、ディセルタシオン、エンシャー、感想文
その中ではエッセイかな←単なる効率的なモデルの説明という意味では
感想文的な進め方は、モデリングに役立つかも。ビジネスの人文的な要素で、プロセスを発明するような場合にいいかも。モデルの細部を詰めるときはディセルタシオン的な感じが必要か。現状でなく理想の状態を考えるときなど。
物理的な原理を背景にした制御系の場合は、ディセルタシオン