「これなら〇〇が嫌いな人でも・・」に潜む陰謀。

「これならばピーマンが嫌いな子でも食べられますね」
「えっ、本当にピーマンが入ってるの?全然分からなーい」

こんなシーンは飽き飽きするほどTVで観た。
どんな人でも苦手な食材が一つはある。
松井もイチローも麻美ゆまも、きっと一つはあるだろう。

しかし前々から気になっていた、『嫌いな人でも食べられますね運動』
何故そこまでしてピーマンを食べさせようと奥様方は躍起になるのだ。
ヨン様や、マツケンサンバのような一過性のものではなく、この運動は長く普遍的にある。

とはいえなぜ、そうまでして食べさせるのだ。親切心からならば、
そのピーマンを食べることの有益さを説明合意のうえ食べさせるべきだろう。

定期的にピーマンを食べないとだめな『ピーマンカネゴン』に食べさせるならまだしも、何故そこまで食べさせることに躍起になるのだ。いわゆる嫌いな食べ物を

どんなに調味料を足そうが何をしようが、噛み砕いて飲み込むそのときに
関西のローカル芸人ばりに、「はいどーも、ピーマンでしたー」と存在感を出すのだ。
嫌いなものはそういうものだ。嫌な風味は必ず残る。もうええわ、ありがとうございましたぁ。

では改めて何故、嫌いなものをあの手この手で食べさせようとするのか
食べさせるということは、その人の体内に食べ物を入れるということだ
それとは悟られないように『あーでもない、こーでもない』と知恵を働かせて、
本来食べられないものを体内にねじ込もうとしているのだ。こわい。

さらに厄介なことには
『あっこれなら、これが嫌いな人でも大丈夫ですね!』と言っている人間は
その食材を苦手としていない、普段からバリバリ食べている。なんなら週6ペースで食べている。そんなものは、ほぼ主食だ。

日本シリーズの稲尾か権藤ばりのヘビーローテーションで、
そいつは食卓のマウンドにそれを上げているはずだ。

元々それを食べられる人間が下す『これなら大丈夫』の基準
この基準自体が非常に甘い。孫を前にした大泉逸郎くらい甘い。とにかく甘い。
『あっこれなら、これが嫌いな人でも大丈夫ですね!』
っていうかお前は普段から食べてるだろ、という話なのだ。

しかし『なんでこんなのが食えないのかよ~』と替え歌をハミングしながら、
可愛くて仕方が無い孫を抱きながら、大泉逸郎は判断している。『これなら大丈夫』と。

そんなユルユル基準の、上から目線のモンドセレクションは信用ならない、
そんな僕らの気持ちなどは気にも留めずに、その食材が嫌いな人の、その口の中に、
あの手この手でねじ込まれるのだ。

唐突だが、僕はマヨネーズが苦手だ

マヨネーズ嫌いな人あるある、の代表は、お好み焼きだ。
「良かれと思ってかけられた」マヨネーズが意気揚々とお好み焼きにのっている。

シマシマのマヨネーズで彩られたお好み焼きは、僕にとってジャングルにいる色鮮やかな警戒色をまとった毒カエルや毒蜘蛛のようにうつる。地獄だ。

危険なものであることを知らせるかのように、それはそれは鮮やかな模様をお好み焼きにマヨネーズで描く職人のその姿、そしてそのお好み焼きは、僕の防衛本能を刺激するには十分過ぎる。こわい。

大人になった今でも辛い、ならば子供の時はもっともっと辛かった。
「ほら、マヨネーズの部分は、とってあるわよ」とお好み焼きを
母が僕に渡したところで、もう無理なのだ。

思春期ゆえに、母親からのそういうのは基本お断りモードだ、とかあるかもしれないが、
そういうことではない。マヨネーズはそこに存在していた、それが問題なのだ。

そのお好み焼きにマヨネーズが乗っていたという事実は、
悲しいほどに変わらない、西野カナならば変わらなすぎて震える事実だ。
ラインが既読にならなくても震えそうな、西野カナの震え関係は一旦おいておこう。

はっきり言って、僕にとってマヨネーズは食べるものではない。
申し訳ないがそうなのだ。

マヨネーズが好きで好きで仕方がない『マヨネーズユニバース』の皆さんでも想像しやすいように、マヨネーズを犬のフンに置き換えよう。

「ほら、乗っかってた犬のフンは、どかしたから」
と満面の笑みと共に渡されたお好み焼きを皆さんはムシャムシャ食べるだろうか。
どかしたところでそこに犬のフンはあったのだ、熱々のお好み焼きの上に。

それをどかしたところで犬のフンがあった事実は変わらないし、
顕微鏡レベルで見れば元気な犬のフンの欠片の一つくらいはあるに違いない。
極端な例えだが、嫌いな食べ物とは、それほど深刻なのだ。

改めて、もう一度確認しよう
ピーマンが嫌いな子にピーマンを食べさせようとする行為はどうだろう
ただ食べさせるのではない、
ピーマンが嫌いな子にピーマンが入っていることを知らせないままに食べさせるのだ。
何の話合いもなく、紛れ込ませるのだ、ニヤリと不敵な笑いを浮かべながら。

では、あらためて、ピーマンを犬のフンに置き換えて考えてみよう。

犬のフンが入っていることを悟られないように、
あの手この手を使って、犬のフンを食事に混ぜ込み、食べさせる。
それをみてニヤニヤする・・ひどい、なんということだろう。
いかに非人道的な行為が日々行われているか、おわかりいただけたであろうか。

十分な話し合いをなされずに、食べ物に嫌いなものを混入させる行為は、
こうしている間にも世界中でおこなわれているのだ。こわい。

悪気はないのがわかるけど、もうそれを食べさせること自体が目的にすりかわり
それを食べさせることで、その人にメリットがあるかなんてどうでもいいのだ。
それもこわい。

本末転倒な目的入れ替わり感も非常にこわい。

そんな目的入れ替わり感に震えながら、僕はモスバーガーにかぶりついた。
うぇっ、マヨネーズの味。最悪だ・・・・あれ?
意外と食べることができた。むしろ美味い。
いけるじゃん。はやく教えて欲しかった、案外いけるって。
なんでも食べてみるもんだなぁ、すいませんでした!世界広がりました!
ってなるわけないだろ!

もうええわ!
ありがとうございました!

長文!!

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