徳島県が生んだ世界の偉人⁉
1月中旬に徳島県にある鳴門市賀川豊彦記念館を訪ねた。牧師、農民・労働・生協運動の指導者であり、社会事業家でもある賀川は、1888年に神戸で生まれたが、幼くして両親をなくしたため、4歳から16歳まで両親の故郷の徳島で過ごした。
JR鳴門駅から路線バスに揺られて約40分。赤レンガと白壁の記念館が山裾に建っている。駅前の観光案内所でもらった記念館のリーフレットによると、寄付金によって2002年に開館したとのこと。
神戸と東京にも同様の記念・資料館はあるが、2館とも教会と併設している。鳴門のそれは単体である。それにしても、全国に3カ所も個人の記念館があるのは珍しい。キリスト者でもないのに全館を巡礼する私も。
<徳島県が生んだ世界の偉人>
看板のキャッチコピーが、凄い。世界の偉人か…。ノーベル平和賞と文学賞に何度もノミネートされ、アメリカの雑誌でガンジー、シュヴァイツァーらとともに ” 世界の3大偉人 ” として取り上げられたからだろうが、それにしても大きく出たものである。
まずは<生い立ちとふるさと徳島>のコーナーへ。豊彦の父親・純一は、賀川家に婿入りし、芸者・かめとの間に豊彦が生まれる。両親の死後は、純一の本妻と祖母に育てられたが、妾腹の子として辛い目に遭ったようだ。
作家の玉岡かおるは、賀川の妻・ハルの生涯を描いた『春いちばん』(家の光協会、2022年)で、彼女に「自分には学歴もよき出自もない」と言わせたが、賀川もまた複雑な環境で育っている。
純一の生家や賀川家に関する展示は詳しいが、母方の菅生家のそれが少ないのは残念である。
記念館の徳島コーナーに、意外な人物がいた。ジャーナリストの大宅壮一(1900-1970)である。ノンフィクション賞に冠される、あの大宅だ。
大阪・高槻出身の大宅は、地元に来た賀川の講演会に感激し、神戸の賀川宅を訪れるようになり、やがて彼から洗礼を受ける(後に棄教)。茨木中学に入学するも、米騒動を支援する演説で退学処分を受ける。中学修了の資格を取るため、徳島中学で検定試験を受験し、合格したという。徳島に住んでいたわけではないようだ。後に三高、東大へと進む。東大では社会主義者を輩出する新人会に所属していた。
徳島との結びつきは強くないが、賀川とは師弟関係なので紹介されているのだろう。大宅の説明パネルには、賀川との関係が次のように紹介されている。
賀川はアメリカ人宣教師の尽力で、20代にして米・プリンストン大に留学している。米国のキリスト教は、このようにして極東への布教に貢献する人物に高い教育を受けさせた。国際人・賀川の誕生である。
およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発している――大宅は賀川をそう評したという。大部分は言い過ぎだろう。それに賀川が長らく責任者を務めた、ハンセン病者の絶対隔離を旨とする救癩運動も含まれるのだから。
大宅が賀川宅に通い詰めていたころ、押し入れで寝ていたら物音がするので覗くと、賀川が裸電球の下で札束を数えていたという。スラムで札束を数える伝道者! それが棄教の要因になったという説もあるのだが、真相はわからない。
賀川と大宅は、一時は同じ信仰と志を持ち、社会問題に関わりながら、戦争協力者になったところも共通している。
大宅は1937年12月に、毎日新聞の取材班に随行して、南京事件を取材した。日本軍が南京を占拠した際、多くの中国人を虐殺した事件である。帰国後、大宅は講演で次のように語っている。以下は『南京事件と新聞報道 記者たちは何を書き、何を書かなかったか』(上丸洋一、朝日新聞出版、2023年)からの孫引きである。
真珠湾攻撃に熱烈なエールを送った賀川と重なる。
余談だが<事件の真相は誰にも知らされていない>と喝破し、1974年に第4回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したのが『南京大虐殺のまぼろし』(鈴木明、文藝春秋、1973年、2006年にWACから再刊)である。
同書は、前掲『南京事件と新聞報道』によると著者の鈴木は、人を間違えて取材をし、戦場にいなかった記者の話を聞いて<さっぱり要領を得なかった>と書いている。そりゃそうだろう。杜撰にもほどがある。
大宅は1970年に亡くなったが、もし生きていたらこの本をどう読んだのだろうか。
徳島以降の賀川に関する展示は、各コーナーの以下のタイトルを見ただけで想像できるかもしれない。
死線を越えてスラムへ/激動の時代に立ち向かって/世界的な活動の足跡/理想社会の建設を目指して/戦後日本の再生に向けて/世界平和を求め続けて/賀川ハル 夫とともに/超人的な著作活動/「愛」の教育者
まさに礼賛一色である。神戸と東京の賀川記念・資料館に比べて ” 世界の偉人 ” を強調しているのと、妻のハルのコーナーを設けているのが、徳島の特徴である。
神戸のスラムでの救貧活動や、関東大震災での救援活動などにおいて、賀川が果たした役割は大きい。
ただ、これまで当ブログで何度も指摘してきたように、被差別部落に関する差別的記述、障害者などに対する優生学的思考、絶対隔離を奨励する救癩運動の旗振り、満洲基督村事業の推進、対米英戦争への呼びかけなど、賀川はさまざまな問題を抱えているが、徳島の記念館の展示には、それらの記述がほとんどない。
部落に関する問題点は、わずかながら触れられている。<超人的な著作活動>のコーナーにある<論説書>のパネルである。
何が<誤った認識>なのか、どう批判されているのか、具体的に書いてないので、来館者にはさっぱりわからないだろう。
言うまでもなく、部落民を異人種とし、<退化種><奴隷種><時代に遅れた太古種>などと記述したからである。
賀川の著作が多岐にわたるのは事実だ。しかしその内容が<深さを持った>ものなのかどうかは、はなはだあやしい。『貧民心理の研究』における部落=異人種起源説は、言語や体格、容姿の ” 違い ” を根拠にした、学術書とは言い難いトンデモ本だ。
論説書コーナーのパネル解説の末尾には<主な著作>として、16冊が挙げられている。この中に、当ブログでも取り上げた『農村社会事業論』と『女性賛美と母性崇拝』が入っている。
前者は<生理的の遺伝性不具者、心理的の白痴、低能、発狂、変質者の遺伝を防ぐために、妊娠調節は最も必要である。また癩病の如きは、胎内感染をする傾向を持ってゐるから、簡単な手術法によって男性の輪精管を切断して、子孫に黴菌が伝染しないやうな工夫をすることも必要である>と述べ、障害者やハンセン病患者に対する断種手術を唱えている。『貧民心理の研究』と同様に、検討を要する記述である。
後者は<夫がその餌をさがす間、婦人は家に在つて、子供を育て、父母に、夫に仕へる使命を持つて居る。女が男のやうになれば、婦人として存在の必要はない>などと主張し、男=仕事、女=育児という性別役割分業を強調した内容である。引用箇所だけでなく、全編にわたり男女の役割が繰り返し述べられている。
賀川の文章の特徴は、最後は神の愛を説く点である。牧師なのだから当たり前ではあるが、非キリスト者の私には、首をかしげたくなる内容が少なくない。たとえば――。
日本の男はよく遊ぶ習慣があり、それに対して妻は苦情を言う。そのため家庭が破壊することがある。そんな時は、妻が神に祈れば救われる――そう
書いている。まずは遊ぶ習慣をやめさせることが先決だろう。神に祈っている場合ではない。
これらを何の注釈もなく記念館が<主な著書>に挙げるのは、館が評価している、推奨していると受け取られかねない。絶対にはずすべきこの2作をなぜ入れたのか、理解に苦しむ。
キャッチコピー通り、この記念館は ” 世界の偉人・賀川 ” を前面に打ち出している。<賀川が世界で訴えたこと>というパネルは、こう語りかける。
賀川および記念館が訴える隣人愛・友愛・互助・平和と、彼の差別・偏見、優生思想、戦争責任が、結びつかない。口ではいいことはいくらでも言えるが、やっていることは別である。賀川が求める<社会的弱者の救済>とは、弱者がいなくなることではなかったか。
記念館の2階に、来館者が感想を書くコーナーがある。宣伝効果を狙ったのだろう、誰でもそれを見ることができる。おおよそ、次のようなことが書かれていた。
・生きざまに感動した。
・スラムの奉仕をしたことに心を動かされた。
・弱い立場の人々に生涯を捧げて素晴らしい。
・世界に誇れる偉大な日本人であったことをこの記念館に来て初めて知っ
た。
・自分が大変な目に遭いながらも周りのことを気にかけて行動に移せる凄い人。
・私たちの先輩に偉大な方がいらっしゃることを知らなかった。
ノートは展示の意図通りの感想で埋め尽くされている。 ” 徳島の偉人 ” を称える感想に愕然とし、一度はそこを立ち去ったが、せっかくだから私も感想を書いた。
資料館のスタッフや来館者は、私の感想をどう読んだだろうか。
東京、神戸、徳島の3館の賀川豊彦の記念・資料館を訪ねて、鳴門市の展示は、他館に負けず劣らず ” 偉人 ” を強調しているように私には思えた。なにせ、<ガンジーやシュヴァイツァーと並んで世界の三大偉人>(リーフレットにある記述)の一人なのだから、地元としては自慢・宣伝したいという心境はわからないでもない。
しかしその熱い思いが、知ってから知らずか、さまざまな過ちを無視・軽視し、偶像を作り上げている。賀川豊彦をどう評価し展示するかは、現代的な課題のはずだ。愛や平和を唱えれば何でも赦されるわけわけではあるまい。
どんなジャンルにおいても、誰が何を説くかは重要である。賀川が強調する愛は、彼が生きた時代に支配的な価値観や俗説を補強する役割を果たしたのではないか。何か大きなものに愛されたいがために社会的弱者に近づいたとしか私には思えないのである。《2024・1・31》
《参考》
東京と神戸にある賀川豊彦の資料・記念館の訪問記
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