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挫折の巨人
『ミッション』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』『ニュー・シネマ・パラダイス』『ヘイトフル・エイト』。これらの映画に共通するものはなーんだ?
タイトルが全部片仮名? ブー。タイトルが全部原題? ブッ、ブーッ。タイトルから離れよう。
正解は、音楽を担当したのが、エンニオ・モリコーネ(1928-2020)。彼の生涯を追ったドキュメンタリー『モリコーネ 映画が恋した音楽家』(監督:ジュゼッペ・トルナトーレ)が上映中だ。2時間半の作品をわくわくしながら観た。91歳で亡くなる数年前から撮影された作品らしい。
素晴らしい映画音楽は、映像と相まって、というか映像を上回って胸にせまってくる。映画よりも、音楽が印象に残る。上記の作品はどれも観たが、やっぱり音楽がいい。映画と音楽の両方を堪能したのは『ヘイトフル・エイト』かな(個人の感想です)。
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モリコーネは ” 挫折の人 ” だった。医者になりたかったが、父親が楽団のトランペット奏者であったことから、音楽院で同じ楽器を学ばされる。かわいそうな、エンちゃん…。
おまけに父親が病に倒れると、中学生の年齢で楽団での代役を務めさせられる。「ほんま、しんどかったですわ」と本人が映画で証言していた。関西弁ではなかったけれど。
長じて作曲家になったが、父親を気遣って、曲にはトランペットのパートを入れなかった。父親はあまり吹くのが上手ではなかったらしい。父親が亡くなると、曲にトランペットを起用し始め、モリコーネの代名詞になるほど多用する。父親がトランペット奏者であることで苦労はしたけど、それで報われた。めでたし、めでたし。
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先を急ぎ過ぎた。音楽院では作曲も学び始める。楽団でのアルバイトが忙しかったため劣等生だったようだが、現代音楽の大家のゴッフレード・ペトラッシの弟子入りに成功する。私はこのフランダースの犬のような名前の作曲家を知らない。
実はモリコーネは、師のような現代音楽の作曲家になりたかったようだ。だが、そう簡単になれる職業ではない。音楽院を卒業後は編曲家として売れっ子となる。他人の曲に、どんな前奏で、どの楽器を当てはめるかを考えるのである。
作曲家として成功したあとも、自作に口笛や合唱を入れ、ユニークな編曲で色どりをあたえた。いろんな経験はしておくものである。
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またまた、先を急ぎ過ぎた。30代半ばで人生が大きく動き始める。小学校の同級生に、後に映画監督となるセルジオ・レオーネがいた。そんな偶然があるんですねえ。リバプールの同じ教会に、ジョンとポールが通っていたことを思い出す。芸術は偶然から生まれる。
レオーネが監督を務めた『夕陽のガンマン』シリーズの音楽をモリコーネが担当し、世界的に知られるようになる。『続・夕陽~』のコヨーテの鳴き声を真似た「タイアイア~」というフレーズは、耳朶に残る名フレーズだ。
以後、モリコーネの快進撃は続くが、かつては映画音楽の作曲家の社会的地位は低く、音楽院の師も、商業音楽への傾倒には否定的だった。
美しいメロディで世界中の映画&音楽ファンを魅了するようになって、ようやく師は弟子の功績を認める。遅いっちゅうねん。現代音楽がなんぼのもんやねん、怒るでしかし…と横山やすしになる私。
私は現代音楽はけっして嫌いではないが、どっちが上でどっちが下、と序列化することには異議がある。映画音楽差別反対の署名をお願いしまーす。
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映画ではモリコーネ自身や著名な音楽家が出演し、彼の作曲技法が明かされる。バッハをはじめ古典音楽の理論に裏打ちされたそれは、モリコーネの音楽の幅を確実に広げた。私が考えたのではなく、出演者が言ってるんですけどね。
画面に出てくる音楽家が豪華だ。ジョン・ウイリアムズ、ブルース・スプリングスティーン、クインシー・ジョーンズ。そうそう、ジョーン・バエズも出てたよ。彼女が生きているとは思わなかったのでびっくりした(勝手に殺さないで!)。
『ジョーズ』や『スター・ウォーズ』のテーマ曲を作曲した、あのジョン・ウイリアムズが、「ほんのちょっと聞いただけで、モリコーネの曲だとわかる。それほどすごいんやで!」と絶賛していた。「あんたもそやがなー」と私はスクリーンに話しかけていた。
映像にしろ活字にしろ、ドキュメンタリーは主人公のキャラクターが重要である。モリコーネは、数々の挫折を淡々と語っている。巨匠なのにエラそうではない。まさに好々爺。映画を観て、よりファンになった。
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どれだけ有名になってもモリコーネは現代音楽への憧憬を失わず、「もう映画音楽はやめる」と周囲に繰り返し述べていた。コンプレックスがあったんでしょうね。
それでも映画音楽から離れなかったのは、何よりも映画界からのラブコールがあったからだし、脚本や映像を見ると、創作意欲がかきたてられたからだろう。依頼者の期待を超える作品を次々と創作し続けたのは、超一流の証である。
そのモリコーネが、獲りたくてしょうがなかったのが、米アカデミー賞作曲家賞である。候補になること6回! いつまで待たせるねん、という話である。
『ヘイトフルエイト』で受賞したのが87歳! クエンティン・タランティーノ監督のこの映画、脚本も配役もよかった。西部劇ではあるが、殺人犯をさがすミステリーで、役者がノリノリで演技していた。西部劇で超有名になったモリコーネが、最晩年に西部劇で勇壮な作品を残した。画面いっぱいに馬車が走り、モリコーネの音楽が流れると、気分が高揚したものである。
ちなみに彼は作曲賞を受賞する前に、78歳でアカデミー賞名誉賞を与えられている。協会は、はやいうちにやっとかなヤバイと思ったんでしょうねえ。恥ずかしい話である。
映画では何度も落選の憂き目に遭い、肩を落とすモリコーネの映像が出てくる。あんなに巨匠になっても、あの賞が欲しかったんやなぁ。アカデミー賞は、あくまでもアメリカのお祭りですからね。
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イタリアの映画音楽の巨匠が、日本のテレビ番組のテーマ曲を作曲していたことを覚えておられるだろうか? 2003年放映のNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』である。
日本の時代劇に、モリコーネが曲をつけるのも面白い。映画ではその話は出てこなかったが、どういう経緯で ” 武蔵モリ ” が実現したのだろうか。制作者の中にファンがおられたんでしょうけど。
大河ドラマ『西郷どん』の音楽を手掛けた作曲家でピアニストの富貴晴美さんが、映画のパンフレットに、モリコーネの魅力について語っている。
<『武蔵 MUSASHI』のサウンドトラックは、エンニオ・モリコーネのベスト盤といっていいと私は感じていて、モリコーネ音楽のすべてが詰まっているように思いました。日本の大河ドラマということで、❝和❞を感じる音も少しは取り入れているそうですが、自分に依頼が来たということは西洋音楽を書けばいいのだとモリコーネは解釈して、彼なりの『武蔵 MUSASHI』を描いています。オープニングテーマには、モリコーネの必殺技といっていいトランペットが使われており、後半でリフレインするところは、先ほど挙げたパレストリーナのような崇高さがあります。パレストリーナという作曲家は、反復と1音ずつ進む順次進行が特徴ですが、『武蔵 MUSASHI』のオープニングの後半も、順次進行で高みに上り詰めていくような作りになっていて、モリコーネの力の入れようを感じました>
これはサウンドトラックも聴かねばなるまい。西部劇から日本の大河ドラマまで。イタリアの巨匠が残したサウンドは、これからも聴き続けられることだろう。日本モリコーネ協会設立の日は近い。<2023・1・31>
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![角岡伸彦/フリーライター](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/66876463/profile_982eda12f8b7787c77c0b1a2d6e70fac.png?width=600&crop=1:1,smart)