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猫と暮らしてそろそろ四年目
アイキャッチは2020年の年末にうちに来た猫たちです。最近は体重を減らしたいけどもなかなか……
飼い始めた当初は「猫がいることはすぐ日常になって、そんなテンションもたない」みたいに言われたりもしたんですが、ある意味ではそれも間違ってはいなかったんですけども、今でも自宅内の猫を見て「うちに猫ちゃんがにひきもいる!? こんなにかわいい猫ちゃんが!?」と感じるタイミングがわりとあります。
ずっとずっとずっと猫と暮らしたい気持ちを抱えて、コロナ禍のリモートワークの盛り上がりの勢いでそいやとペット可物件に引っ越し、保護猫譲渡会で紆余曲折あって迎えてきました。
ちゃんとペット飼ったことがなかったので排泄物への自分の耐性がわからず、全自動式の電動猫トイレを買ったりしました。でもそれも昨年、石油入れたりするコンテナを改造するシンプル構造にしました。
猫がいる利点というのはもちろん家のなかにかわいいちゃんが動いて生きているというところにあるんですが、私自身の人格にも影響を与えているように思えます。単に加齢の変化かもしれないけれど、猫の存在が大きい気がする。
というのも、猫が来てからずっと、ほぼ毎日変わらず猫たちに「かわいいちゃん」「かわかわちゃん」「神作画」等のカワイイを表現するワードをかけ続けており、これが対人関係のスタンスにも影響を及ぼしている気がするんですよね。
ここ数年で、プライベートでも業務でも「いいところを見つけてポジティブな感想を言う」をやる筋肉が発達しているのを感じています。猫が家に来た以前と以後でだいぶ違うように思えます。そしてそれはおそらく、加齢だけではなくて、毎日毎日毎日猫たちに声かけしていることとは無関係ではないでしょう。
私は猫に簡単な芸も教えており、これも最近はじまった新人教育の考え方に影響している気がします。猫に芸を教える時はやりたい動作まで7ステップくらい踏ませるんですけど、誰かに何かを教えるときも最終的に7ステップくらいかけて進化してくれれば最高、と思えるのは猫にお手やらなんやら教えたからだと考えてます。
どこで読んだ話か覚えてないのですけど、こどもは物語や頭の中にいる「友人」を大切にして、彼らと信頼関係を築いたり思いやりや経緯をもって接したりを学ぶそうです。そうして頭の中にいる友人のためにつくった椅子に、いずれ現実の人間を座らせるのだとか。
猫は現実に生きて存在していますが(今も足元で寝てますが)、ただ生きて息をしてるだけで褒め称える言葉が止まらず、思い通りに動いてくれなくても構わず、意思疎通ができたらそれが僥倖だと思える、そういう存在と毎日過ごせていることで人間にも優しくできている、と思います、たぶん。
そしてそうかこれがペットの情操教育という言葉の意味か……と思ったりしています。
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