毒育ち女が語る「自称サバサバ女」
(タイトル画像はいらすとや様より)
【注意事項】
・当記事はあくまで個人的解釈および考察に過ぎず、特定の人物に対する誹謗中傷を目的とはしておりません。
・当記事には筆者の性格の悪さが過分ににじみ出ており、不快に思われる可能性があるので閲覧は各自自己責任でお願いします。当記事によるいかなる責任は一切負いかねます。予めご了承ください。
サバサバした女性と「自称サバサバ女」
女性的と言えば一般的に家庭的、几帳面、きれい好き、きめ細かい心遣いができる、共感性が高いといったイメージであるだろうか。しかし令和時代となってはそのような典型的イメージはもはや“偏見”と称される。その“偏見”と正反対な、例えば良くも悪くも大雑把な、行動力がある、どちらかと言うと男性的な趣味嗜好を好む、酒豪といった女性は俗にサバサバした女性と呼ばれる。
私個人としては、このサバサバした女性とは若干ながら発達障害(特にASDやアスペルガー症候群)の傾向を有する女性だと認識している。無論、発達障害の傾向を持つ女性およびサバサバした女性を否定および批判する気は毛頭ないことを、ここであからじめ断っておく。私はサバサバした女性ではなく、(なぜだか)それを“自称”したがる「自称サバサバ女」に嫌悪感を抱くのである。
かくいう私も発達障害の傾向を持つ女である以上、私がこの「自称サバサバ女」に対して苦手意識を抱くのは、ある種の同族嫌悪とも言えよう。私自身、良くも悪くも「女の子/女性“なのに”○○なんだ」と言われた経験が何度もある。その言葉を見聞きするたびに、私は私自身の身体と精神とセクシャリティの乖離を少なからず感じていた。
そのような乖離の存在自体は致し方ないと思うし無論否定しないが、それをわざわざ“自称”してやたらとひけらかすのはまた話が違うと思うのである。
家事できないアピールをする総合職の女性
「自称サバサバ女」の中でもとりわけ「私って~家のこと何もできなくて〜」とやたらアピールする総合職の女性が一番鼻につく。「仕事はできるが、家に帰るとポンコツな昭和のお父さん」のような女性、と表現できるか。自炊はおろか洗濯機すら回せない、おまけに子供の気持ちも今一つ理解できないといったような。(視聴していない方々には理解しづらくて恐縮だが、TBSドラマ『恋する母たち』において吉田羊が扮する林優子がまさにそのイメージ通りである)
正直言えば、この負の感情には彼女たちの能力やキャリアに対する私の僻み妬み嫉みが多分に含まれている。無論実生活では口が裂けても言わないが、時折彼女たちが無意識的に醸し出す「金さえ払えば、すべて解決できる」という思考こそがもっとも気に食わないのかもしれない。
「自称サバサバ女」の皆さんが毎日責任ある立場で仕事をこなしているという点については、大いに尊敬している。家のことが何もできないから実家住んでいようが、一人暮らししている部屋がめちゃくちゃ汚かろうが、配偶者や恋人に甘え切っていようが、私には一切関係ないからだ。別に貴女の手料理を食べることも、一緒に住むことも絶対ないので。
しかし、いったいなぜ、彼女らはその事実をわざわざ公言するのだろうか。「私〜料理とか〜全然できなくて〜いつも〜お酒飲んじゃうか〜カップラーメンで済ませちゃう〜」とか「あたしって〜ほんと〜中身オジサンで〜男性みたいな趣味しかなくて〜」とか。極めつけは「あたしって〜男性といたほうが楽なんですよ〜」って。その謎の公言さえなければ、こっちは勝手に「ちょっとだらしないけど、まあ仕事はできるからね」くらいに認識するのになぁ、と私はいつも感じている。
真のサバサバ女性と「自称サバサバ女」
先の色々とアピールの激しい総合職の女性たちとは、おそらく「ちょっと変わってる男前な私☆」をアピールしたいのだろうが、それは発達障害の傾向云々よりも自己愛の強さが原因であろう。なぜならば本当にサバサバした女性とは、わざわざそのようなアピールをしないからだ。同じ“ギャップ”とも言える部分に対して、可愛らしいと思えるかイラっとするかが「真のサバサバ女性」と「自称サバサバ女」の違いだと私は主張する。
つまるところ「自称サバサバ女」の正体とは、「発達障害の傾向に加えて、自己愛が強い女性」であると私は考えている。失礼を承知で言わせてもらえば、このような女性が結婚して子供をもうけたら毒親および毒母になる可能性はかなり高いと推察できる。(実際に発達障害およびその傾向がある事は毒親の条件の一つである)「自称サバサバ女」には家事や育児よりも仕事やキャリア形成の方が自身の承認欲求を満たしやすいから、と私は考えるからだ。家事や育児には、確固たる正解や他人から評価を受けるという概念がほぼ存在しない。そして何よりも家事や育児に必要なのは、ある程度の忍耐力と最低限の生活能力とそれを継続させる力であろうが、「自称サバサバ女」にそれが備わっていると私には思えない。百歩譲ってそれこそ「金さえ払えば、すべて解決できる」というスタンスで家事育児に励んでいただいてもよろしいが、子供の安全基地や安定した愛着スタイルの形成は金銭のみでどうこうできる問題ではない、と反論させていただきたい。
(かといって家事・炊事が完璧ならば良い親になれるかというと、それはそれで何とも言えないという)
かくいう私も「自称サバサバ女」だった
ここまで散々「自称サバサバ女」を扱き下ろしておいて難だが、もはや人の親になった以上は性別を問わずに家事も育児もこなせないといけないのではないか(今更) さらに言えば、家事・炊事ができるか否かよりも強い自己愛を持たない、あるいは親になった時点で自己愛を捨てられるかの方がより重要なのではないかと私は考える。
ただ私が「自称サバサバ女」に対してこれほどまでに物申したのは、昔の自分に思い当たるフシがあるからである。「自称サバサバ女」の皆さんを見てると、途端に私の黒歴史がフラッシュバックするからしんどいのだ。
浴びるほど酒を飲みながらオールで遊び惚け、明け方に吉牛の並盛をかきこんで、眩い朝日に目を細めながらタバコ吸って、講義やアルバイトに赴いていた学生時代。当時はそれがカッコいいと疑わなかったし、「男子より酒飲んでタバコ吸ってるあたし」「あたし、中身オジサンだからさぁ」と、「自称サバサバ女」の権化のような自己評価に酔い痴れていたのは紛れもない事実である。冒頭で少し述べたように「女の子/女性“なのに”○○なんだ」と言われた際も名状しがたい優越感すら感じていた。
所詮言い訳に過ぎないかもしれないが、これはあくまで私の若かりし日の過ちであることを断っておく。そして今もなお私自身も「自称サバサバ女」要素は完全に抜けておらず、世間一般で言うところの単にだらしない女に変わりない。しかし少なくともそのような部分を人様にひけらかすのは控えよう、と日々自戒しているつもりである。(匿名の当noteやTwitterを除いて)
今日日存在する「自称サバサバ女」の皆様に何か一つ言えるとすれば、「早めに(せめて結婚・出産前に)“寛解”するといいですね!」ということか。まあ私は無責任な性悪女なもので、絶対に直接進言なんかしませんけどね。
サバサバ言ってたら鯖食いたくなったから、明日は鯖の味噌煮にします!!!!!!(大嘘)
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