シンデレラ
むかしむかし、あるところにシンデレラという女性がいました。シンデレラは、継母と妹の三人で町外れにある小さな一軒家に住んでいました。
「階段の隅に埃が残ってるわよ。それくらい出来て当然でしょ!」
「すいません、お母様……」
「洗濯にどれだけ時間をかけてるの!さっさと終わらせなさい!」
「すいません、お母様……」
「シチューは寝かした方が美味しいっていつも言ってるでしょ!いい加減覚えて!」
「すいません、お母様……」
しかし、シンデレラは、二人からいじめを受けていて、炊事、洗濯、掃除、家の修理や裁縫などの家事を全てやらされていました。
シンデレラは傷んだ炭色の髪を肩で切り揃え、いつも着ていて汚れた水色のエプロンドレスからは、枝のように細い両腕両足が伸びています。また、肌は病的に白く、手入れをすることが出来ずに荒れているところが目立ちます。特に手荒れがひどく、自分の手を眺めては、
(こんな手じゃなかったら、少しは良くなるのに……)
そんなふうに思い、ため息ばかりついていました。
ある日、継母と妹が会話をしているのを聞きました。
「ついに、王宮で舞踏会が開かれることになったわ。そして、今年からはこの国の王子も出席するらしいの。いい?絶対に王子に気に入られて、結婚までこぎつけるのよ。そしたら。こんな貧乏暮らしから脱け出せるわ。」
「わかりましたわ。お母様。」
(……行けたら、どんなに楽しいだろうか…)
しかし、シンデレラには舞踏会のためのドレスも靴も手袋もありません。用意したくても、頼れる人もいません。シンデレラは完全に諦めていました。
そして、舞踏会当日になりました。妹は、毒々しい程に赤いドレスに同じ色の靴と手袋を身に付け、頭には、翼を広げた孔雀がいるかのような髪飾りを付けて、継母に連れられて舞踏会に出発しました。
シンデレラは、継母と妹が今日は遅くまでいないことに少し安堵しつつ、いつものように家事をしていました。
陽が傾き、空気が茜色に染まった頃、シンデレラは洗濯物を取り込んでいました。すると、そこに深い紺色のタイトなドレスに、同じ色の鍔が広い三角帽子をかぶった老婆がやってきました。
その老婆は深く皺が刻まれた顔を柔らかくさせ、シンデレラに問いかけました。
「舞踏会に行きたくはありませんか?」
シンデレラは突然のことに驚きました。しかし、力なく笑って答えました。
「もちろん行きたいです。でも、ドレスも靴も手袋もないのにどうして参加できましょう」
「私が用意して差し上げる、と言ったらどうしますか?」
シンデレラは、一瞬、胸が躍りました。しかし、すぐに冷静になり、
「からかうのはやめてください。今、あなたはどこにもそんなものを持っていないじゃないですか。それ以前に、あなたがそうするメリットがない。見ての通り、私は貧しくてお金を支払うこともできません」
「それなら問題はありません。私は魔法を使ってあなたに必要なものを用意します。メリットがないことに関しては、これは、私の恩返しなので何も気にしないでください」
(魔法?そんなのは童話の世界だけの話だろう…
それに、恩返しと言われても全く身に覚えがない…)
「しかし、私の魔法は、“願い”を原動力にしています。あなたが、“自分を変えたい”ということを強く願わなければ魔法をかけることができません」
シンデレラが困惑しているのを、気にしないかのように老婆は話し続けます。
シンデレラはどうすればいいのか分かりません。その時、継母と妹の顔が浮かびました。いじめてきた
二人への怒りが湧き上がりました。それと同時に、諦めてしまっていた自分自身への怒りも起こりました。
(……変わるなら……今しかない!)
シンデレラは老婆の目をしっかりと見つめました。
「……変わり…たいです。……舞踏会に行きたいです!」
「分かりました」
老婆は優しく微笑むと、シンデレラの両手をしっかりと握りました。すると、握られた手から眩いばかりの青白い光が起こりました。
シンデレラは耐えきれずに目を瞑りました。その光はみるみる広がっていき、全身を包み込んでしまいました。
目を開けると自分の着ている服が違うことに気付きました。いつも着ている汚れたエプロンドレスではなく、どれほど高級なのか見当もつかないシルクで作られた白い生地に、右胸のところには見たことのない、異国のものと思われる花が金色の糸で刺繍されたドレスに変わっていました。足には、この国で作られたと思えない、ガラスでできた靴が履かされていました。
シンデレラは、胸の高鳴りを抑えきれず、鏡を見に行きました。そこに映っていた自分の姿を見て驚きを隠せませんでした。
(……とても………きれい……)
ブロンドの長くて美しい髪に、涼しい目元、通った鼻筋に、サクラ色の薄い唇、シンデレラの理想そのものの姿でした。何よりも嬉しかったのは、肌が、光を反射した雪のように、白く美しくなったことでした。
(これで……私の手も………)
そう思い、自分の手を見ると、愕然としました。肩から伸びる腕は魔法で白く美しくなったのに、両手とも、手首から指先までは元の荒れた手のままだったのです。
シンデレラは急いで老婆のもとに戻りました。
「もう一回、魔法をかけてください!手だけうまく魔法がかからなかったみたいなの!お願いします!どうしても手だけはきれいにしてください!おねがい………」
シンデレラは涙を浮かべながら懇願しました。しかし、何度魔法をかけても手が美しくなることはありませんでした。
(どう…して……)
シンデレラが絶望に暮れているそばで、老婆が言いました。
「ごめんなさいね。こんなことはじめてでどうしたらいいか私にも分からないのよね。まぁ、でも、舞踏会では踊る時以外は手袋を外さないから、あんまり見られることはないんじゃないかしら」
(本当にそうだろうか…?でも、大勢に見られなかったとしても、少なくとも、踊る相手には見られてしまう……)
その時、シンデレラは鏡に映った自分の姿を思いだしました。
(せっかく、変わりたいと願って理想の自分になったのに、このままではもったいない。どうせ、舞踏会で踊ったところで、私の人生が大きく変わるなんてことはない。だったら、踊れなくても、今日一日だけは、いつもと違う自分で、いつもと違う体験をするのも悪くない……)
シンデレラは決心をしました。
「行きます」
「分かったわ。ただし、一つ覚えておいてほしいことがあるの。この魔法は今日の夜十二時を過ぎたら解けはじめるの。だから、十二時に鳴る十二回の鐘が鳴り終わるまでには、誰も人のいないところに移動してほしいの。魔法だとばれたらきっと大変なことになるから」
「分かりました」
そう言って、シンデレラは手袋をはめ、出発していきました。
舞踏会の会場である王宮の大広間に着くと、そこは様々な宝石で飾られ、豪華に着飾った女性たちと見るからに高級なスーツを身に纏った男性たちの談笑の声があふれていました。そして、テーブルの上には、シンデレラが見たことのない豪華な食事が所狭しと並べられていて、その部屋は黄金色の空気が満ちているようでした。ダンスタイムまではまだ時間があるようで、踊っている人はいませんでした。
シンデレラは人生で、最初で最後で最高の日だと思い、料理を食べ始めました。その時でした。
「よろしいですか?お嬢様」
シンデレラは、どきり、として声のする方に目を向けました。そこには、全身を真っ白のスーツに包み目鼻は整っていて、やさしい笑みを浮かべた男性が立っていました。
「はじめまして。私はこの国の王子のチャーミングと申します」
(……チャーミング………王子…!?)
「はっ…、はっ…、は、はじめまして!わ、わ、わたっ……」
「落ちついてください。すいません、突然、話しかけてしまって。あまりお見かけしないと思ってつい話しかけてしまいました」
「い、いえっ!全然、大丈夫です」
シンデレラは、それから、王子がワインを二口飲むまでの間、会話をしました。シンデレラは、王子を前にした緊張と喜びで、会話の内容は全く頭に入っていませんでした。
そして、会話の最後に王子は、自分の手袋を外し、その手を差し出し、軽くお辞儀をしながら言いました。
「私と一緒に踊ってくださいませんか?」
シンデレラは悩みました。
(王子様と一緒に踊れるなんて嬉しすぎる……。でも、この誘いに応えるには自分の醜い手を見せなければいけない……。こんな手を見せたらなんて言われるか分からない……)
しかし、王子の踊る相手ということもあり、シンデレラには好奇と羨望と敵意の視線が向けられていました。
(ここで誘いを断ったら王子様に恥をかかせてしまうことになる)
シンデレラは目を瞑り、意を決しました。そして、手袋を外し、出されている王子の手をとりました。
「何、あの手?」
「汚ったなーい」
「あんな手で王子様に触らないでほしいわ」
周囲の言葉がシンデレラに突き刺さります。
王子はシンデレラの手を見つめていました。
(…もう………ダメだ……)
諦めていたその時、王子のもう片方の手がシンデレラの手に重ねられました。
王子はゆっくりと顔を上げ、静かに口を開きました。
「家の手伝いをよくしているんですね」
「………えっ……?」
「働いている、とても美しい手ですね」
そう言うと、王子はふわりと笑い、立ち去ってしまいました。
シンデレラはその言葉が信じられず、その場で立ち尽くしてしまいました。
その後、シンデレラは他のどんな男性に話しかけられても、視界の端では王子を探していました。
シンデレラはこんなに一度に多くの人と話すことはなく疲れてしまい、窓際で休んでいました。あれだけ美味しそうな食事を見ても、今は食欲が湧いてきません。どうすることもできずに、ぼんやりと王子を眺めていました。
(…はっ……!)
王子がこっちを向き、一瞬、目が合ったような気がして目を逸らしてしまいました。その目線の先には、夜の闇で塗りつぶされた窓がありました。そして、そこに自分の姿が映りました。
「……とても………きれい……」
ため息まじりに呟きました。
(今の私は、所詮、偽りの姿。魔法できれいになっただけ……。この姿でいくら王子様とお近づきになれたとしてもなんの意味があるのかしら……)
いよいよ、ダンスタイムになりました。会場をゆったりとした美しい音楽が満たしていきます。
王子がシンデレラのもとにやってきました。
「よろしくお願いします」
そう言うと、王子は、手袋を外し、岩のような力強い手を差し出しました。
シンデレラに、敵意の視線の矢が雨のように飛んできます。
シンデレラは、手袋を外し、おそるおそる手をとりました。
そして、王子に導かれるままに、会場の真ん中まで行きました。
王子はシンデレラの方へ向き、左手をシンデレラの腰へ持っていきました。
(……あれっ!?……そういえば……踊り方、全然分かんない!!)
シンデレラはパニックに陥ってしまいました。
(ど、ど、どうしよぉぉ〜〜〜〜!!!)
そんな様子を見て、王子が言いました。
「右手を僕の腰に!あとは、ついてきて!」
シンデレラは、すぐさま右手を腰に持っていきました。それと、ほとんど同時にダンスが始りました。
王子に導かれるままに、シンデレラは足を動かし続けました。しかし、初めてでは上手く踊れるはずもなく、せめて倒れないようにと必死にした結果、身体をクネクネさせる、世にも奇妙なダンスになってしまいました。
(…あぁっ……あぁっ……あぁぁっっ!!……全然上手くできない…。王子様にこんなダンスの相手をさせて申し訳ない……。きっと、みんな笑っている……。早くこの時間が終わってほしい……)
そう思いながら、足元を見て踊っていました。
すると、突然、
「こっちを見て。」
と、優しくて力強い声が聞こえました。その声の方へ顔を上げると、王子が、きらりとした笑顔を向けていました。
「良かった。やっと、目が合った。」
王子は、ホッとしたように顔を緩ませました。それを見たシンデレラは、自らの緊張の糸が緩んでいくのを感じました。
それから二人は、ほのかに甘い時間を過ごしました。
ダンスを終え、二人は、休憩のためにバルコニーで話していました。
「下手なダンスで、迷惑をかけてすいませんでした」
「いえいえ、大丈夫ですよ。僕は、あなたと踊ることができてとても楽しかったです」
「私も……その……楽しかったです」
「それは、良かった」
すると、王子は、一瞬目線を下げ、今までより落ち着いたトーンで話しはじめました。
「今日は……久しぶりに……本当に楽しかった」
王子は、外に目線を向け、話し続けました。
「私は馬に乗って遠くまで出かけるのが好きなんです。昔、馬に乗れるようになってすぐの頃は、いろんな場所に行って、新しいものを見つけたら、これは自分のだ!とか言って周りの人に自慢ばかりしていました。自分のものって決めたら、どんなに遠くても見に行ってたなぁ…。でも、勉強が忙しくなってからは全然行けなくなっちゃって……。あ、もちろん、勉強が嫌っていうわけではないですよ。この国の王子として必要なことを学ぶのは、義務ですから。でも、時々、昔のことを思い出しちゃうんですよ。楽しかったなぁ、って……。今日は、久しぶりに、昔のその気持ちになることができました」
「そう……だったんですか……」
シンデレラは、王子にもそんな悩みがあるということに驚きました。同時に、親近感を覚えました。雲の上にいるような人も、自分と同じ人間なんだと感じていました。
いつに間にか、シンデレラは王子の悩みを解決してあげたいと思っていました。
(でも、私が王子様に出来ることなんて何もない……)
「ごめんなさい、こんな話をしてしまって」
「そんな……、全然……」
「あなたの前だと、つい、安心してしまって……」
シンデレラは、頬を朱く染め口元に笑みを浮かべました。
「えっ……?」
王子はシンデレラの方へ向き直り、片膝を着き、右手を胸に当てて言いました。
「私とけっ…」
カーン、カーン、カーン
十二時を知らせる甲高い鐘の音が冷たく響き、二人の間の時間を凍らせました。
カーン、カーン、カーン
鐘は、一層冷たく鳴り続けます。
「すいません。もう帰らなくてはいけないので」
「えっ…、ちょっと、待って!」
王子が言い終わるのを待たずに、シンデレラは走り出しました。
カーン、カーン、カーン
(もっと、緒にいたかったけど……魔法が解けたら……きっと……)
「あっ!」
シンデレラは階段でつまずき、くつが片方脱げてしまいました。しかし、もう気にしている余裕もなくそのまま走り続けました。
カーン、カーン、カーン
王子が階段の上についた時、シンデレラの後ろ姿が夜の闇にとけていきました。
「……どうして、…急に……」
すると、王子は階段に片方だけのガラスのくつが落ちているのに気付きました。
(あれは……彼女の…!)
それを、拾い上げ王宮へと戻っていきました。
王子は舞踏会の残りの時間を上の空で過ごしました。誰と話しても、誰と踊っても、今の王子の頭の中は、拾ったガラスのくつのことだけでした。
舞踏会が終わると、すぐに自室へ戻りました。
王子は人払いをし、ガラスのくつを握ったまま、ベッドに倒れ込みました。
(これがあれば、きっとあの人を見つけられる……)
王子の意識は、深い眠りの中へ落ちていきました。
翌朝、目が覚めると握っていたはずのガラスのくつは、跡形もなく消えていました。魔法は完全に解けてしまっていました。
そんなことも知らない王子は、とても焦りました。従者に聞いても、知っている者は誰もいませんでした。
(いや、待てよ。物がなくてもガラスのくつなんて珍しいものを持っている人物は限られる。きっとすぐに見つけられるはずだ……)
王子は諦めず、探しはじめました。
しかし、いくら探しても、舞踏会の会場で見たとは聞いても、どこの誰なのかということは分かりませんでした。
(あぁっっ〜〜〜〜!!なんで名前を聞いてないんだよぉっっ〜〜〜〜!!どんだけ浮かれてたんだよっ!俺っ!)
王子の想い人は、まるで、魔法のように消えてしまいました。
舞踏会から二月と十日が経ち、シンデレラは元の生活に戻っていました。
「階段の隅に埃が残ってるわよ。それくらい出来て当然でしょ!」
「すいません、お母様……」
「洗濯にどれだけ時間をかけてるの!さっさと終わらせなさい!」
「すいません、お母様……」
「シチューは寝かした方が美味しいっていつも言ってるでしょ!いい加減覚えて!」
「すいません、お母様……」
シンデレラは王子とのあの夜を思い出さない日はありませんでした。しかし、
(王子様のことはもう忘れよう……。こんな私とではとても釣り合わない……。それに、あの日は魔法できれいになっただけ……。どうせ、会ったところで気付かれるはずがない……)
シンデレラは思い出すたびにチクリと刺すような胸の痛みを感じていました。
さらに、数日が経ったある晴れた日、シンデレラは庭で洗濯物を干していました。すると、継母と妹が焦って玄関から出ていきました。気になって見に行ってみると、そこには、馬から降りた王子がいました。シンデレラに歓喜の波が押し寄せてきました。しかし、同時に、心の奥がざわめき立つのを感じました。
(……もしかして……妹と……?)
しかし、そうはなりませんでした。
王子はシンデレラに気が付くと、バラが咲いたように笑いました。話しかける継母たちに目もくれずに、シンデレラの方へ歩き出しました。
シンデレラの前に来ると、片膝をつき、右手を胸に当てて言いました。
「ようやく、お会いできました」
「……な、何の…ことですか…?」
シンデレラは震える声で答えました。
「舞踏会であなたが去った時から、探しておりました」
王子は芯の通った声で続けます。
「ど…どうして……私がそうだと……思われたの…ですか?」
「あなたの、そのまじめに働いている美しい手を忘れられるはずがありません」
王子は、真っ直ぐとシンデレラの目を見つめて言いました。
「私と結婚してください」
「ダ、ダメです!私と王子様では釣り合いません!……家も貧しくて身分も低いし、見た目もこんなだし……。」
「私は、あなたの身分を愛しているわけでも、見た目を愛しているわけでもありません。ただ、あなたを愛しているんです。あなたの美しい心を愛しているんです。」
あの夜に凍りついた時間が溶けていきました。溶けた雫がシンデレラの目からこぼれ落ちました。
「……わた…し…で、よければ……よろしく……おねがい……します」
王子は立ち上がり、やさしい笑みを向けました。そして、自分の胸にシンデレラの顔をうずめるように抱き寄せました。
その後、二人は無事結婚し、幸せに暮しましたとさ。めでたし、めでたし。