無能の子。
45歳。
無能の子。
無能の人から産まれたから、無能の子。
または、自身が無能だから、無能の子。
皆さんはどちらで、受け取られただろうか?
どちらでもよいとは思いつつ、
僕は後者である。
親ガチャなどの言葉もあれば、確かに不運な子もいるであろうし、いたであろうし、これからもいるであろうし。
なので、ソレヲ理由に間違えた人生を否定はしない。
けれど、それに憧れたおばかちゃんには同情は出来ない。
それが僕。
そんな無能の子(最早オジサンと言うのは野暮じゃて)な僕の感じた事を。
歳の差について。
所謂、若ぶってるおっさんは痛いというやつなんだけど、
最近、そう言われる側になってるんだとやっと自覚し始めて思ったこと。
あくまでも僕の話だが、
時間の流れが遅く早い。
新しい知識を手にいれるのが異様に遅くて、
その情報の鮮度が速すぎてついて行けてない。
なので、いまだにGReeeeNは新しい。
自分でも恐ろしく気づかない位に情報に対しての貪欲さはなくなってる。
新商品をしる頃には最早、新商品じゃない。
そして、その事に気づかずに、新商品だと思って、ひとつ前の話をする。
この状態。
まさに痛い。
とはいえ、僕はこの状況特段悪いとは思っていない。
これはこれなのだ。
ただ、これが趣味やら遊びの話なら。
好きなものの話をするとき、趣味の仲間とかは正直二十歳を過ぎた辺りから、ほぼ成長していないと僕は思ってる。
だから、10歳下だろうが、上だろうが、楽しく話せる。仮に情報に差があれど、元々の好きなものがあれば、そこは楽しめる。
人の好きを否定する様な人とは、歳関係なくそもそも、合わないし。
そんな感じで、歳の差感じないとかは良いと思うんだけども、
仕事・人生経験においては、
それは恥ずかしい事だと僕は思う。
仮に歳下、上司だとしても、アドバイスなり、相談なりを求められるような歳上で、あるべきだと思うんだ。
僕は中間管理職なのだけど、
腐った歳上の、連中がたまに部下に使えないと言う場面があるのだけど、それって使えないのは、お前がその人を使えないのであって、決してその人が使えない訳じゃねーぞ?っと思う事が多々ある。
勿論、僕にも得手不得手があって、使いきることの出来なかった部下もいたけれど。
その「使えない」っと人に対して使う愚かな上司風の人たちには、
「1を聞いて10を知る」なんて言葉でそんな人材を求めたりするわけだけど、
自分は10を1にして伝える努力の欠片もしなかったりする。
腹立つ。
んで、今日は結局のところ
何が言いたいかと言うと、
大人ぶった歳上がもし、貴方に
お前もいつか大人になれば分かるよ
的な事を言ったとしたら、
そいつはまじで歳の差がどんだけ広かろうが、
ほぼあてにならないと思うぞ。
自分の経験を分かりやすく後継に伝える能力もないのをかっこよさげな言葉で、誤魔化すような歳の取り方の悪い見本だと、僕は思ってる。
なので、そんな子供大人が側にいる人は、
そんな人と同じになる必要は全くないし、
そんな人と喧嘩をしても、意味がないので、
華麗にスルーして、それでも反面教師して、2ミリ位の敬意をもって接してあげて欲しいと切に願う。
あと、お前もいつか分かるさは
まじで体力の衰えだけは、そう言いたくなるけどねー。
筋トレする準備で疲れる初老。
なむさん。