【大河ドラマを100倍楽しむ王朝辞典】第十回 藤原彰子(道長の娘)
川村裕子先生による、大河ドラマを100倍楽しむための関連人物解説!
第十回 藤原彰子(道長の娘)
彰子は道長の娘です。母は源倫子。彰子は一条天皇の中宮。敦成親王(のちの後一条天皇)・敦良親王(のちの後朱雀天皇)を産んで、道長政権の基礎を作りました。
そして、彼女は、一〇二六年に出家して、上東門院と呼ばれました。亡くなったのは一〇七四年、八十七歳の時でした。かなり長生きですね。この一族は穆子(八十六歳)、倫子(九十歳)と長生き母系なので、それを引き継いだのでしょうか。
また、この人のサロンには紫式部・赤染衛門・和泉式部・伊勢大輔といった超一流の文学者たちが集まったのです。
ところで、彰子サロンや彰子については、『紫式部日記』のなかで「地味」とか「引っ込み思案」と書かれているせいでしょうか。今まではサロンの明るさについての考究があまりありませんでした。どちらかというと定子サロンの華やかさだけが強調されてきました。
でも、最近は、紫式部をはじめとしてたくさんの文化人が居た彰子サロン、そんなサロンの見直しが始まっているのですよ。
それでは、はじめに彼女の有名な出産場面を見てみましょうか。『紫式部日記』のなかの敦成親王誕生の記述なんです。そこには、次のように書かれているのでした。
当時のお産は大変でした。これはこの連載のなかで、何回か出てきましたよね(第三回、第六回、第九回)母子ともに健康は五十パーセントを切るくらいでした。
だから、ここの最初の文言が大切。注釈にはあまり書かれませんが、出産そのものが大変なことがここでは書かれてますよね。また「をとこにさへ」の部分は言うまでもなく、敦成誕生が道長政権の基盤を作ったので、嬉しさが格別、と書かれているのです。
このように『紫式部日記』では彰子の敦成親王誕生と、その後のイベントが克明に書かれているんです。それはまるで敦成親王誕生記のよう……。また次の子の敦良の様子も書かれていて全体的に彰子の出産記のような形をとってます。
それを書かせたのは当然彰子の父親・道長です。将来天皇の祖父となれば絶大な権限を持ちます。だからそのメモリーを残したかった。さきほどもちらっと述べたように、この敦成親王の誕生が道長政権の第一歩でした。
ただし、彰子は単なる道長のロボットではなく、自分の意見を持っている女性でもありました。彼女は亡くなった定子(一条天皇の后。彰子のライバル)の産んだ敦康親王を育てていて、なんと東宮を決める時も自分の子ども(敦成親王)ではなく敦康親王を推挙したと言われているのですよ。
それでは、今まであまり語られてこなかった彰子や彰子関係の歌に注目してみましょうか。そこにはやさしい家族愛が流れていて、また定子サロンのような明るさもありました。
ある時、敦康親王(定子の子)、道長(彰子の父)、倫子(彰子の母)、穆子(彰子の祖母)、姸子(彰子の妹)が連れ立って石山詣でに行きました。そう、石山寺に参籠(お寺に数日間籠もること)したのですね。
そんな時、彰子からも一条天皇からも、石山に行った家族にあてて、毎日毎日心配する手紙が届いたのです。その時の彰子の歌。
これは、妹の姸子にあてた歌。逢坂の関というのは、今の京都府と滋賀県との境の逢坂山にあった有名な関所。もちろん、ここを越えるというのは「遠い」ことの象徴。だから、彰子の歌は遠くの石山寺に行った妹の姸子並びにその一族(土御門の一族)を心配しているような歌となってます。
このような思いやり深い彰子の手紙。それに一条天皇の手紙が毎日毎日都から出されるのでした。まるでラインみたい。すごいことですよね。
だいたい『御堂関白集』には穆子、倫子、道長、彰子たちの心温まる歌が多く、土御門の人たちの仲が良い様子が伝わってくるのです。
さて、さきほど彰子サロンの見直しが始まっている、と言いました。今まで『枕草子』の方が明るいと言われて、そちらに光が当たっていました。でも、たとえば、次のような詞書(歌が作られた事情説明)を見てみると、彰子サロンにも、まるで『枕草子』と同じような世界が広がっているような気がしませんか。ちょっと長いですけど、現代語訳だけ書いてみますね。
いかがでしょうか。藤壺で、がやがやしている女房たち、歌や詩をくちずさむ頭中将、また、頭中将が出ていってそれを残念がる人々。この「奥の方」に居る人は彰子でしょうか、どうでしょうか。
それはともかく風流な男性が描かれるのは、まるで『枕草子』のよう……。『枕草子』のなかでは藤原斉信がよく詩の吟詠をしていました。また、その様子がすてきに描かれていましたね。
たとえば、定子の父の道隆が亡くなったあとの法事に漢詩を読んだ話(一三〇段)。また、斉信のことを清少納言が「詩をいとをかしう誦じはべる」と誉めたこと(一五六段)などなど……。
というわけで、まるで定子サロンの雰囲気と同じような風雅が、この詞書には流れてますよね。
ちなみに斉信といえば、公任関係の歌が『拾遺和歌集』に残ってます。斉信が公任の官位を越えた時に、公任がガックリして引きこもってしまったのです。そんな時に道長からとってもやさしい歌が贈られてきたのですよ。こんな歌のやりとりについては『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 拾遺和歌集』(角川ソフィア文庫)に書きました。道長のギシギシの政治家の面だけではなく、人間らしい姿が描かれてますよ。よろしかったらご覧下さいませね。
プロフィール
川村裕子(かわむら・ゆうこ)
1956年東京都生まれ。新潟産業大学名誉教授。活水女子大学、新潟産業大学、武蔵野大学を経て現職。立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程後期課程修了。博士(文学)。著書に『装いの王朝文化』(角川選書)、『平安女子の楽しい!生活』『平安男子の元気な!生活』(ともに岩波ジュニア新書)、編著書に『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 更級日記』(角川ソフィア文庫)など多数。
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