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遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕 獏「蠱毒の城――⽉の船――」# 112〈後編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――⽉の船――」は「カドブン」(https://kadobun.jp/)で配信中の連載小説です。

6/8未明から発生している大規模システム障害により、「カドブン」をご覧いただけない状況が続いているため、「# 109〈後編〉」以降を「カドブン」note出張所にて特別公開することとなりました。

▼ 前回のお話はこちら
「蠱毒の城――⽉の船――」# 112〈前編〉


 いったい、どうして、このようなもの・・が、この地下の石室にあるのか。
 椿ちんれいは、その屍体したいに、灯りを近づけた。
 と──
 その身体からだの表面が、かすかに動いたように見えた。
 静かなみなの下で、魚が動き、水のおもてに、わずかなさざ波が生じたような──
 ふたつの乳首が、小さく震えた。
 そして、次にはへそが······
 ふたつの乳首が、左右に細く伸びる。
 臍もまた、生きものが、腹の表面をうがごとく、左右に伸びた。
 横に伸びた、ふたつの乳首の表面に、横にれつが入ってゆく。
 左右へ伸びた臍が、ふくらんでゆき、その中央に、亀裂が生まれてゆく。その亀裂がふくらみを上下に分けてゆく。
 細く横へ伸びた左右の乳首も亀裂によって上下に分けられてゆく。
 そして──
 いきなりふたつの亀裂が、上下に割れた。
 そこに出現したのは、巨大なふたつの眼球であった。
 その眼球が、ぎろりと動いて、椿麗をにらんだ。
「⁉」
 椿麗は、半歩、後ずさった。
 おそろしく不気味な光景であった。
 ここにはいられない。
 吐き気がする。
 一刻も早く、ここから逃げ出したかった。
 しかし、それ・・から眼を離すことができない。
 見れば、いつの間にか、股間でしおれていた屍体の男根が、そそり立ち、天を睨んでいる。
 よく鍛えられた男の脚の膝から下一本分はありそうな男根であった。
 太く、巨大で、まがまがしい。
 臍の割れ目は、人の唇となり、口になっていた。
 がちゃり、
 がちゃり、
 と、鎖が音をたてた。
 がちゃっ、
 がちょっ、
 その屍体が、両手と両足を動かしたのである。
「おんな······」
 低い、地の底で、巨大な岩と岩とをこすり合わせるような声が響いた。
 それ・・の唇が動いたのだ。
 唇の内側に、白い歯までがのぞいた。
 その何もかもが、人そっくりであるのがかえって不気味であった。
 腹に生じた人の顔。
 ただし、鼻も、耳もない。
「我が首は見つかったか······」
 さきほどよりも、声は大きくなっている。
 何だ。
 何のことを、これ・・は言っているのか。
「この鎖を解け」
 がちゃり、
 がちゃり、
 がちいん!
 がちいん!
 鎖が、限界まで伸び、
 きち、
 きち、
 ときしみ音をあげている。
 ぎろぎろと、眼球が動く。
けんえんはいずくにある」
 がきいん!
 がきいん!
 ぎちゃ!
 ぎちゃ!
「我が斧をもて、我が首をもて‼」
 そして、それ・・は、ほうこうした。
 オオオオオン!
 おおおおおん!
 椿麗が退がったのは、一歩だった。
 それ以上退がれなかった。
 椿麗の背は、石の壁に触れていたのである。
 ここを離れなければ──
 椿麗は、そう判断した。
 足が動くも動かぬもない。
 これ以上ここにいては危険であると、椿麗の理性は告げている。
 しかし、その理性が崩解しそうだ。
 ここにいて、これから何が起こるのか、それを見届けたい気持ちもある。
 しかし、逃げねば。
 なんとか足を動かそうとしたその時──
「おやおや」
 という声がした。
 左手からだ。
 顔を左へ向ける。
 そこに、人が立っていた。
 いったい、いつ、ここへその人物がやってきたのか。
 老人だった。
 顔中が、しわだらけだ。
「そうですか、あなた、これを見てしまったのですねえ······」
 老人の顔の皺が動いた。
 どうやら、老人は微笑を浮かべているらしかった。
「困ったことに、なりましたね」
 老人は言った。

                                  (つづく)


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