【書評】工夫と企みに満ちた本格ミステリの女王・深木章子の書き下ろし新作『闇に消えた男』レビュー【評者:西上心太】
工夫と企みに満ちた本格ミステリの女王・深木章子の書き下ろし新作『闇に消えた男』の読みどころを、深木作品を全作品読破している、ミステリ評論家の西上心太が紹介。
評者:西上心太
深木章子が書く本格ミステリーは、常に工夫と企みに満ちている。
本書はサブタイトルに〈フリーライター・新城誠の事件簿〉とあるように、2017年に刊行された『消人屋敷の殺人』(新潮社)で初登場したフリーライターの新城誠と、文芸編集者の中島好美の二人が再登場する作品である。しかし独立した作品なので本書から読んでもまったく問題はない。
ノンフィクション作家の稲見駿一が行方知れずとなって三ヵ月が経った。取材旅行に出かけると妻に告げたきり、何ら連絡がつかないのだ。稲見は徹底した取材で作品を仕上げる、寡作だが定評ある作家だった。仕事に関しては秘密主義で、何日も家に帰らないこともあり、不在に慣れていた妻の日奈子もさすがに心配になり、駿一と公私ともに親しい編集長の粂川に相談したところ誠が推薦されたのだ。誠は恋人の好美を相棒にして捜査を進めていく。
失踪人捜しという、まるで私立探偵小説のようなスタイルで物語の幕が開く。しかし本書の特徴は叙述スタイルにある。誠ではなく、相棒でありワトソン役の好美の一人称で語られるのだ。そのため探偵役の誠が何を考えているのか、彼が口にしない限り好美も読者もわからないのである。誠の事情聴取のテクニックは実に非凡で、ある時は直截に、ある時は搦め手から攻めるなど、押し引きや緩急が自在でしかも自分の感情を露わにすることがない。誠の情報を引き出す巧みさに、同行する好美は感心するばかりなのだ。
実は駿一は資産家で、不動産からの莫大な収入があった。都心の一等地に豪邸を構え、別に仕事場としてマンションの部屋も借りており、そちらに寝泊まりすることも多々あった。かつてアシスタント兼愛人もおり、女性に放埒な一面もあったが、妻の日奈子はそのような事情は承知の上だった。
なぜ大手の調査会社などに依頼せず、本来素人のフリーライターが人捜しするのを日奈子は承知したのか。それは日奈子に隠したいことがあるからだ。誠は最初の聴取ですぐにそのことに気づく。やがて日奈子は、駿一の仕事場のメールボックスに「地獄に堕ちろ/彼女を殺したのはおまえだ」という、脅迫状めいた怪文書が入っていたことを誠に告げる。駿一は被害者ではなく、何らかの犯罪の加害者だったのではという疑惑も浮かび上がる。周囲の人間にあたっても捜査は進まないが、駿一の小学校時代の友人から届いていた1枚の年賀状が捜査進展の鍵となる。
本書は全5章からなるのだが、奇数章が好美による一人称視点、偶数章が日奈子を視点人物に据えた三人称一視点という構成になっているのが注目すべき点である。奇数章では先述したように、探偵役の誠の内面はわからないし、誠が口に出した言葉の真偽も実は定かではない。偶数章では地の文で日奈子の内面描写が描かれる。この部分で嘘を書くことはミステリー小説ではタブーである。だが日奈子の思いをすべて書く必要はなく、省略することはアンフェアではない。このことを頭に置いておくとよいだろう。
失踪人捜しで始まった物語は、謎の金の動きや放火殺人を経て驚くべき真相に至る。本書を読んで、いまも人気の高いクリスティとクイーンを思い出した。本書の構成は前者のある作品の変奏曲であり、本書のある人物の状況は後者のある作品を敷衍したものと言えるのではないだろうか。ネタバレになるので具体的なことが言えずにすみません。またメイントリックはこれまで何百と作例があるだろうが、ここまで大胆に使われた例は稀ではなかろうか。いやほんと驚きました。
作者は1947年生まれ。東京大学法学部を卒業後は弁護士として30年余り活躍し、60歳で引退後に執筆を始めたという。2010年に『鬼畜の家』(原書房、刊行は2011年)で第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し60代半ばでデビューした。しかし高齢をものともせず、デビューから13年間で12冊の長編と2冊の短編集を上梓している。本格ミステリ大賞に2度、日本推理作家協会賞に1度ノミネートされた実力のほどはあまねく知られている。
深木章子。常に高品質な本格ミステリーを紡ぎだすマイスターの傑作を、長い夜のお供にいかがだろうか。