走り続ける〜メンバーの声編(5)
この記事は、Kacotam × 寄付月間2024の記事です。
琴似拠点のコーディネーターである「みやさん」が、ボランティアをする想いについてを語ってくれました。
◆◇◆
走るのが好きだ。
3年ほど前、処理し切れないほどのストレスを抱えていた時。
何を考えたか、いきなり「走ろう」と思い立ち、ランニングを趣味とし始めた。
それ以来、あまり休むことなく走り続けている。
走っていると、
継続的にトレーニングをし続けること
適切に休息をとること
自分のペースを保ち続けること
景色や走る過程を楽しむこと
の重要性が、身にしみてわかる。
また、応援してくれる人のありがたさも理解できるようになった。
「走るのは楽しいな。学びになるな」と思う。
◆◆◆
NPO法人Kacotamでボランティアを始めてから1年半になる。
ボランティアを始めた理由は、「よくあるパターン」?の一つだと思う。
「自分自身が中学時代3年間不登校で、高校時代も通信制に通っていた。
育っていく過程でたくさんの方々にお世話になったから、
その恩を下の世代に返したい」
という、まあ、ごくごくありふれた理由だ。
そこにおもしろみはない。
そんな軽い動機で始めた学習支援ボランティアだったが、存外長く続いている。
僕は「なにか一つのことを継続する」のが割と得意なので、続いているのだろうと思う。
いや。それも違うか。
「学習支援は、楽しい。学びになる」
だから、続いているのだろう、と思い直す。
そうだ。僕にとってKacotamでのボランティアは、基本的に「楽しい」のだ。
いろいろな子どもたちがいる。
ランニングに例えて言うなら、
走るのが得意な子。苦手な子。
走りたくてうずうずしている子。走るのなんか大嫌いだ、という子。
目標に向かって伴走して欲しい、という子。
走るのは後回しでいいから、一緒におしゃべりしようよ、という子。
ただそこにいてくれるだけでいいよ、という子。
それぞれの子どもたちが見ているであろう景色を想像しながら、一緒にトレーニングをし、一緒におしゃべりするのは楽しい。彼ら彼女らに伴走するのは、何事にも代えがたい喜びだ。
もちろん、「楽しい」だけでは済まされないこともある。
いろいろな子どもたちがいる。
中には、走る以前に歩くことさえ困難な荷物を抱えている(ように見える)子もいる。
彼ら彼女らが抱えている荷物の重さを想像し、たじろぎ、
「自分が一緒に走っていいのだろうか……」と躊躇することもある。
「自分がここにいる意味はなんなのだろうか」と非力を嘆くこともある。
自分がここにいる意味。
まだまったく答えは出ないが、
とりあえず、今よりもっと臨機応変に、賢くありたい、と思う。そのために日々学び続けたい、とも。
賢くあれば。学び続けていれば。
今の自分の力では手の届かない子にも、いつか手が届くことがあるかもしれないから。
その重すぎる荷物を、少しでも軽くしてあげられるかもしれないから。
だから僕は今日も走り続けるし、伴走し続けるのだろうと思う。
◆◆◆
最後に。
この文章を読んでくださった方々にお願いがあります。
走り続ける彼ら彼女らを、応援してくださると助かります。
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(応援って本当に力が出るんです。だから、ぜひお願いします!)
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