イギリスへの憧れ(ZINE【おみやげ話】から)
僕は本当にイギリスが大好きだ。
両親が教えてくれた「THE BEATLES」をきっかけに、「The WHO」
「Oasis」「The Verve」に夢中になった子供時代。
また、サッカー少年だった僕にとって、サッカーの母国イギリスは特別な存在で、「マイケル・オーウェン」は少年時代のアイドルだった。 今でも、イングランドの「プレミアリーグ」は毎週末の楽しみになっている。
映画も「イギリス」というキーワードから選ぶことが多かった。
「リチャード・カーティス」の「ラブ・アクチュアリー」「ブリジット・ジョーンズの日記」「ノッティングヒルの恋人」などを通じて、イギリスの日常を疑似体験し、「これがイギリスか」とますますのめり込んでいった。
その中で話される「ブリティッシュアクセント」のかっこよさに惹かれ、ヒュー・グラントやコリン・ファース、ジュード・ロウの話し方を一生懸命に真似した。
これがきっかけで、英語の勉強にも夢中になっていった。
二十歳で経験したイギリスでの一年間のホームステイは、テレビや映画、本で触れてきたイギリス文化を実際に肌で体験でき、さらにイギリスへの憧れが膨らむきっかけとなった。
そんなしつこいほどのイギリス愛の中でも、一番好きなのは、その「国民性」だ。
日本では、いわゆる外国人、特に欧米人に対して「ポジティブで外交的ではっきり物を言う」といったステレオタイプがあるように感じるが、イギリス人は「繊細で、人とのコミュニケーションがぎこちなく、物事を直接的に伝えない」という面がある。これらは日本人にとって親しみやすい特徴ではないかと思う。
日本人と通じる部分がある一方で、圧倒的に特異な部分は、彼らの「機知に富み、皮肉を使いこなす」ところだ。最近読んだイギリス人の文化人類学者が書いた「イングリッシュネス|英国人のふるまいのルール」(原題:WATCHING THE ENGLISH)という本には、「イギリス人の会話にはほとんど必ず、冷やかし、からかい、皮肉、過小評価した表現、ユーモラスな自己卑下、嘲りなどが含まれる。ユーモアは、イギリス人の『初期設定』なのだ」と書かれていた。
ストレートな表現を嫌い、自分を評価せず、むしろ卑下するところに彼らの懐の深さを感じ、感動さえ覚えた。
これだけ長い間イギリスにかぶれてきたので、日常生活で上手に嫌味を忍ばせたり、綺麗に皮肉を言えたときは、この上ない喜びを感じる。心の中でガッツポーズをし、何度も自分が発した言葉を頭の中で再生し、自画自賛する。
妻にも、「今日、こんな気持ちいい皮肉が言えたんだよ」なんて報告することもある。
イギリス人と同じようなセンスを持てるようになったかな、と思いつつも、ただの面倒くさい日本人になっている気もする。