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「恋い初めし人」との再会

「さっきから楽しそうにお話ししているところを羨ましく思いながら拝見させて頂いていたの。せっかくの楽しみを邪魔して御免なさいね」と言いながら二人の会話に割り込んできた人がいた。スーツ姿の白髪のご婦人だった。その姿を目にしたとたん僕の心に中学生だった頃の胸のときめきが甦った。
その中学校には僕の学校と隣町の学校の2校の小学生が進級した。その年の入学式の新入生総代は隣町の学校の生徒だった。頭の髪を白いリボンで結び、セーラー服の上に白いガーディガンを着たその女生徒を一目見ただけでその清楚な姿が僕の脳裏に焼き付いてしまった。総代に選ばれるのだから成績もずば抜けてよいはず。他の学校には才色兼備のこんな素敵な女性がいたのかとただただ感動し、陶然とその姿を見つめていた。挨拶の言葉が一言も耳に入って来なかった。
その女生徒を仮に秋月聡子としておこう。聡子さんと僕は同じクラスだった。ただ席が端と端で遠く離れていた。授業が始まっても頭の中は彼女のことで一杯だった。先生の言葉も上の空、脳裏に焼き付いた清楚な姿を思い浮かべては何とか友達になりたいと願っていた。こんなことは奥手の僕には初めてのことだった。僕もとうとう異性に関心を抱く年頃になったのかと思う度に胸がキュンと痛くなる。これこそは僕の「ひと恋い初めしはじめ」かもしれないと気付き一人で胸の疼きに堪えていた。
ただ、気弱な僕は女の子にそう容易に話し掛けることは出来なかった。ただ遠くから彼女の姿を眺めては心の中で「聡子さん」と呼ぶだけで、彼女の方から話し掛けてくれる機会が来るのを待っていた。そんな折も折、突如校内で「秋月聡子が僕を好きだと言った」との噂が飛び交った。彼女とは未だ一言も言葉を交わしてない僕には何のことだか分からなかった。彼女を盗み見しては溜息を吐いている僕をからかっているに違いないと怒り狂ったが、内心では僕の恋い初めし人と噂を立てられて嬉しくてならなかった。
とはいえ、噂を流しているのは男女のことになると一寸した仕草や表情にあることないこと尾鰭を付けて言い触らす田舎の野暮な中学生。噂が立ってからは僕がちょっと聡子さんの方を眺めただけで「ほら、いま目で合図をした」なんて騒ぎ立てる。僕が喜び勇んで聡子さんに話し掛けようものならどんな出鱈目をでっち上げられるか分かったものでない。僕を嬉しがらせた噂が流れたおかげで僕は聡子さんと話すどころか見詰めることもできなくなった。心外ではあったが聡子さんを無視するしかなかった。
聡子さんにとっても思いは同じだった。変に言い訳をしようものなら火に油を注ぐことになり兼ねない。聡子さんも僕に関心を示すような素振りを見せなくなった。新入生総代で挨拶に立った彼女に魅せられた少年と真偽のほどは分からないがその少年を好きだと言った少女が同じ教室に居ながら故意に避け合っている。そんなぎすぎすした状況が一年続いた。僕は淡い思いを抱いたまま聡子さんと一言も言葉を交わすことなく二年になった。聡子さんとは別の組になりその後も同じ組になることはなかった。
そのご婦人から「実は私もあなたにお話ししたいことがあるの。後で結構ですから私の話も聞いてくださいね。ちょっとそのことだけお願いしておきたかったの」と告げられたのが僕に初めてかけられた聡子さんの言葉だった。50年間待ち続けたその言葉に僕の胸が張り裂けそうに膨らんだ。だが、胸のときめきと共にあの頃の故意に避け合っていた気分まで甦り直ぐには返事の言葉が出てこなかった。聡子さんはそんな僕を気にもせず、陽子ちゃんに「どうぞお話を続けてくださいな」と言い残し立ち去って行った。

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