便りがないのは良い便り
18歳で青雲の志を抱いて東京に出た。だが、有名大学に入り出世街道を駆け上ると言うこと志と違ってジャズ音楽と言う暗い森の中に迷い込んでしまった。日本で最古の歴史を誇るビッグ・バンドの名門でバンド・ボーイとして働くことになったのだ。
小島正雄指揮、小原重徳とブルーコーツ・オーケストラ。フランチャイズは日本の中のアメリカとして名高かったワシントン・ハイツのオフィサーズ・クラブだった。クラブへ行く道の家の前には芝生の庭があり、そこで日光浴をする女性が通行人に「ハイ」と言って手を振って