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眠られぬ夜

小学校の遠足で田んぼの中の畦道を歩いていて先頭の女の子がキャっと言って立ち止まった。足元に小さな蛇がいた。先生が蛇が立ち去るまで動かないよう注意した。その時後ろから女の子が進み出てその蛇のしっぽを掴んで持ち上げ、ぐるぐると回し田んぼの中へ投げ捨てた。その子が梅園容子だった。
中学生になり梅園さんは突如胸に桜の花の真ん中に「S」と言う字を刻んだバッジを付け始めた。同じバッジを付けている人は五弁の桜の花と同じ5人の女生徒だった。「S」は「シスター」を意味しあの5人は男に興味がないのだよと教える者がいた。レズと言う言葉は知らなくても口さがない男子生徒があの5人の爪を見ろ、爪であそこを傷つけないため揃いも揃って深爪じゃと陰口を広める。それでも梅園さんは悪びれた素振りを一切見せなかった。騒ぎを聞きつけた先生がバッジを校内では付けないよう梅園さんに注意した。
中学校の修学旅行は伊勢神宮から奈良と京都を見て回り大阪で船に乗ることになっていた。土産物を買うため立ち寄った大阪の百貨店で仲間の一人が残った金をはたいてハーモニカを買うと言い出した。その言葉に釣られて僕もハーモニカを買った。ハーモニカを買った5人は乗船場所の先のはげ山に集まり夕陽が沈む海を眺めながら買ったばかりのハーモニカを吹いているうちに何時しか乗船の時間が過ぎていた。僕達を探しに来た先生に急き立てられ大急ぎで乗船場所へ向かった。
驚いたことに反対側からも先生に引率された女生徒が速足でやってくる。見るとかつて「S」のバッジをつけていた梅園さんたちだった。何とか乗船はできたが三等客室は立錐の余地がないほど込み合っていた。先生が自業自得だ、通路に毛布を敷いて寝るしかないからそれで我慢しろと言う。我慢するどころか女生徒との初めての雑魚寝が実現する幸運に恵まれて僕達の胸は高鳴りっぱなしだった。先生の指図で男子5人、女5人が夫々一列になって横たわり頭と頭をくっつけて向き合う形で寝ることになった。
五人のイガグリ頭のすぐ前に豊かな髪の女性の頭が五つ連なっている。その髪の毛から今まで嗅いだことのない甘酸っぱい香りが漂って来る。男共はその馥郁たる香りに心がかき乱されて暫し陶然と横たわっていた。女生徒達だけがそんなことは気にせずただ無邪気にはしゃぎ回っている。その騒ぎも先生に注意されやっと収まった。静寂の中から囁く声が聞こえてくる。あちこちでひそひそ話が始まった。僕も斜め前の梅園さんに話し掛けるチャンスだったが、ただ気が焦るだけで話し掛ける言葉が出てこなかった。
二度目に現れた先生から再び注意された。眠るように促され女生徒達が口を閉ざしてしまった。僕達も眠るしかなくなった。たとえ話ができなくとも憧れの女の子と一緒に眠ることができるのだからよしとしなければならない。僕も話し掛けるのは諦めて大人しく眠ることにした。だが顔に前の女の子の髪の毛が当たりチクチクするのが気になって眠ろうとしても眠ることができなかった。女の子の中には早くも寝息を漏らしている者もいる。女の子は繊細どころかどこまで図太いのかとただあきれるばかりだった。
梅園さんと親しくなれると思った千載一遇のチャンスも輾転反側の眠られぬ夜となっただけで終わってしまった。蛇も恐れず女の子たちを束ねる梅園さんと比べれば奥手の僕などは未だひ弱なヒヨコに過ぎなかった。僕の心に芽生えた淡い思いもこれまでと諦めようとしたが天はそんな僕を見捨てはしなかった。
(写真:数年前の母の日に息子から贈られたブドウの苗が実をつけるまでに成長した)

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