真水のような初恋の味
聡子さんと50年経って初めて向き合った。「本当にあんなこと言ったの」との僕の問い掛けで50年間封じ込まれていた会話が始まった。「私が言ったというより無理やり言わされたのね。金村多恵さんと私はずっと学校で一、二を争っていたの。卒業した年は偶々私が上だったため総代に選ばれたことを金村さんは根に持ってね、いろいろと意地悪を仕掛けてきたの。ある時私取り巻きの前に呼び出されてね、好きな男生徒の名前を告白しなさいと迫られたの、誰かの名前を告げなければ解放してもらえないので、ついあなたの名前を言ってしまったの」聡子さんの言葉を聞いているうちに僕は純真な中学生になっていた。
金村多恵か。あの子ならやり兼ねない。だが、納得がゆかないのは何故聡子さんが僕の名前を言ったかだ。「でも何故。小学校は違うし中学生になって間もないのに何故僕の名を言ったの」と僕は直ぐ様問い返した。「国語の時間だったかしら、黒板に先生が問題を六つ書いたのね。でも、誰も答えられる人がいなかったの。その時あなたが立ち上がって総ての問いに正しく答えたの。他の学校にはこんな頭のいい人がいたのかと私驚いちゃったのよ。そのことがずっと頭の中に残っていて、悪いけどあなたの名前を言ってしまったの」とはにかみながら言い訳をする聡子さんも中学生になっていた。
僕の記憶の中には全く残っていない話だった。ただ聡子さんがそう言っているのだから作り話や嘘であるはずがない。成程そんなことで僕が聡子さんの心を捉えたのか。思っただけで胸の中に嬉しさが込み上げてくる。しかも僕が総代で挨拶する彼女を見て他の学校にはこんな素敵な女の子がいるのかと感動したのと同じく聡子さんも六問に正解した僕を見て他の学校にはこんな頭のいい子がいるのかと驚いたという偶然の一致もあり感激も一入だった。「そんなことあったかなあ。僕は全く覚えてないんだが」と頭を搔きながら照れ笑いして高鳴る胸の鼓動に必死になって堪えていた。
とにかく堅苦しい話より気楽なことで間を持たせるしかなかった。「先ほどコーラス・グループで歌を歌っているって言ってたけどどんな歌を歌っているの」と僕が聞き「そうねえ『虹の彼方に』とかそんな歌よ」と聡子さんが答えたことから会話が弾みだした。「2001年に全米レコード協会が20世紀に書かれた歌の第一位に挙げている名曲中の名曲だよね。他には」「『フライ・ミー・と・ザ・ムーン』かな」中学時代に学校の帰りに公園のベンチに座って話をしている気分だった。あの頃こんなことができたらどんなに楽しかっただろう。今になって甦った悔いに胸が切なく痛み出した。
聡子さんはあなたなぶり者にした自分が発した軽率な言葉を許して欲しいという。確かの僕は聡子とチュウをしたとはやし立てる悪童たちを追い掛け回しはした。でもそれが本当ならどんなにいいだろうと心の中では願っていた。問題は尾鰭が付いて広まった噂のお陰で聡子さんと僕は話ができなくなってしまった、と言うことだ。会話もなく手を触れたこともなく、ましてやチュウなど思いもよらず、思い出として残ったのは聡子さんの言った「僕が好きだ」と言う言葉だけだった。その一言を僕は50年間金科玉条として胸の中に抱き続けてきた。それが僕の初恋だったのかも知れなかった。
「あることないことをあれこれとでっち上げられて確かに面白くはなかった。酷いヤジに本当に怒ったこともある。その一方で聡子さんに憧れている僕はヤジを内心では嬉しがって聞いていた。そして本当にそうあって欲しいと心の中で願っていた。あなたの言葉は僕を喜ばせてくれたのだから何も詫びることはない」聡子さんにこう告げ、これで話にけりが付くはずだった。ところがしばし沈黙ののち聡子さんが徐に口を開いた。「さっきあなたを好きだと言ったのは金村さんに強制されたためと言ったが、そうじゃないの。私は本当にあなたが好きだったの」神妙に訴える聡子さんの姿が神々しかった。
そうか、聡子さんにとってもあれが初恋だったのか。自分の軽率な言葉であなたに迷惑をかけたというのは建前で、本音は自分がずっと胸に秘めてきたこの言葉を僕に伝えたかったのだ。僕たちの初恋は半世紀経ってやっとのことで成就した。とはいえ60歳を過ぎた二人には今まで通り胸の中に思春期の大切な思い出として閉じ込めておくしかない。初恋は実らないものだと言われるが、それにしても僕達の初恋は何ともお粗末な初恋だった。カルピスの味どころか真水のように味もそっけもない初恋だった。
次の年鳴門で行われた同窓会に聡子さんの姿がなかった。冒頭の死亡者の報告で真っ先に山田聡子さんの名が読み上げられた。何でもお酒も煙草も嗜まない彼女が肝臓がんで死亡したとのことだった。