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ビー玉

 幼い頃、ビー玉をたくさん集めていた。駄菓子屋で買ったビー玉、小樽に旅行に行った時に買ったビー玉、公園の砂場に埋まっていたビー玉。
色とりどりのまん丸いガラスを缶にたくさん詰め込んで、割れないようにとそっと運んで、学習机の下に閉まっていた。
そして時どき取り出しては、光に透かして眺める――自分だけの宝物だった。

 とある暑い夏の日、お祭りの屋台でラムネを1瓶買ってもらった。
ラムネを受け取って、思わずわあ、と声が出た。中にビー玉が入っていたからだ。それをぜひ宝物に加えたいと思った。
ビー玉が、しゅわしゅわと溶けてしまわないか心配で、急いで飲んだ。
 しかし、飲み終えてキャップを外そうとしてみても、なかなか開かない。力いっぱいひねっても、うんともすんともいわない。瓶を隔ててすぐそばにビー玉はあるのに、触れられないのがもどかしかった。汗ばんだ手で懸命に蓋をひねっていた。
 反対に捻ると蓋が外れるから、中のビー玉を取り出すことができるよ。ラムネ瓶は普通の蓋とは逆なんだ――そう教えてくれた父は、記憶の中で1番優しかった。

 さて、ビー玉は小さいからいいのである。水晶玉のように大きくては、子供の片手には収まらない。
ぎゅっと小さな手で握りしめると、あの日の父が思い出される。それは痛みを紛らわしてくれた。
 先ほど殴られた腹のあざは、偽物の父からの愛だ。この手の中のビー玉こそが、本物の父の愛なのだ。
ラムネのビー玉は、見た目こそなんてことはない、地味なガラス玉だが、どんな珍しいビー玉でも代わりにはなれない、1番の宝物だった。
布団の中で小さく丸くなりながら、そのビー玉を握りしめて、眠りについた。

 今でもラムネ瓶をみると、優しかった父を思い出す。あの時のビー玉はいつの間にか無くしてしまった。
ラムネの中にビー玉を入れても、しゅわしゅわとしているのは炭酸で、ビー玉は溶けないとも知った。
けれど、傾けるとコロコロと瓶の中を転がって凹凸にひっかかる小さな玉のように、いまもあの優しいビー玉が心に存在している。

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