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『ゲド戦記』は途中で投げ出してしまったが、こんな絵本も書いていたとは...

『素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち』
アーシュラ・K・ル=グウィン(作)/S.D.シンドラー(絵)/訳:村上春樹

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社会学者・岸政彦さん『断片的なもの社会学』を読み返している。
正確に言うと、図書館で借りて一読する間に、ぼくの次の人が読む順番になってしまったので、本屋さんで買ってきてもう一度読んでいるという状況です。

<なにげなく図書館で借りる><いっしょに借りた本を先に読む>⇒ 

<返却期限が迫る!><あわてて本を手に取る!><ありゃあ、この本

めちゃめちゃ面白い!><なんとか読了><・・・もう一度読みたくな

る。すごく...><本屋へ走る>


ぼくにはよくあるパターンで、四月に日本橋で買ったアリステア・マクラウド『冬の犬』がそうだ。
『冬の犬』も並行して読み返しているので、時々混乱する。

『断片的なもの社会学』の後半に「海の向こうから」というブロックがあって、岸さんの大学のゼミでのことが書かれている。

―社会問題に興味を持ってゼミに入ってくるような学生でも、仲の良い相手に対しては(その人の依存症や嗜癖、カルト宗教など)、何も言わない、というものがほとんどだ。
(中略)それにしても、この、相手の心や意思を尊重すること、相手の領域に踏み込まないことという規範は、ほんとうに強く私たちの行動を規制している。―

たとえば女性の性問題。ポルノグラフィや性労働を、女性が自ら望んでいるとき、それはどこがどういう意味で問題になるのかという疑問。
死んだ猫を埋めた場所を数日おきに掘り返して、その腐敗の進行具合を見ている過食症の女性。
リストカットが高じて両手両足の爪をペンチで抜いて、わずかに生えてきた爪に真っ青なマニュキア塗ってうれしそうにしている女性。

岸さんは、ご自身書いておられる通り、私たちは神ではない。
だから、 
―こういうときに、断片的で主観的な正しさを振り回すことは、暴力だー 

岸さんは、そのマニュキアを見て、
―おー、きれいやな、と言った。― 
と記している。

「社会学」はしんどい。
岸さんは、徹底的に聴いて回る。直接インタビューする。
そのことでどれだけエネルギーを吸い取られ、心身をヤスリで削られているのだろう。
しかし、岸さんの「社会学」とはそういうものなのだ。

さて、『素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち』です。
『ゲド戦記』を途中で投げ出したぼくが、どうしてこの本に行き着いたか?
そして、なぜ岸政彦著『断片的なもの社会学』を引っ張り出しているのか?

―アーシュラ・K・ル=グウィンの『素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち』
(講談社)は、私にとってとても大切な物語だ。翼を生やした、空を飛ぶ猫が出てくる「空飛び猫」シリーズのなかの一冊である。
やんちゃで生意気な普通の猫のアレキサンダーは、小さな「空飛び猫」と友だちになる。
彼女は、空を飛ぶことはできるけれども、あることが原因で、口をきくことができない。
言葉が出てこないのだ。
 アレキサンダーはそこで、彼女に、とても大きな「おせっかい」をやく。
 私はこの物語が大好きだ。それで救われたといってもよい。しかし、読むひとによっては、アレキサンダーのしたことは、他者の内面への余計な介入でしかないかもしれない。―

岸さんが“大好き”で“救われた”物語。
読みたいと強く思った。
それに、この絵本は『ゲド戦記』より、うんと短い。
訳者・村上春樹さんの「訳注」と「あとがき」がまたおもしろい。

まあ、ストーリーは読んでのお楽しみということで。

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