門仲、日本橋、銀座の記憶を徘徊す。
詩人の佐々木幹郎さんが、新聞、雑誌に書かれた都市にまつわるエッセイをまとめた『やわらかく、壊れる~都市の滅び方について』を読んでいたら、いや、まだ半分しか読んでいませんが、二十年くらい前に住み暮らしていた町や街の記憶がおぼろげに浮かんできた。
2000年に逗子から引っ越してきたのが東京の中央区佃。
ぼくの部屋の窓からは、約100m下を流れる隅田川の上流に向かって眺望がひらけていた。
最初に見えるのが「永代橋」で、鉄筋のアーチがライトアップされたりした。
そこから、「隅田川大橋」、「清洲橋」、「新大橋」、「両国橋」と続くが見えるのはそこまで。
佃は、佃島という島だから、”島外”に出るには今でも中央大橋、佃大橋、相生橋のいずれかを渡ることになる。
『やわらかく、壊れる~都市の滅び方について』の中に、「深川」に関する記述が出てくる。
「深川」に出るには相生橋を渡って、旧東京商船大学を右に見ながらてくてく歩いていればじきに辿り着く。
そこは「門前仲町」と呼ばれているが、もともと粋な深川芸者が啖呵のひとつも切っていた花街で、よーく探せば名残がちらほら。
佐々木幹郎さんの文章を読んでいたら、もう何年の足を踏み入れていないが、それまでしこたま酒を浴びた町、”門仲”に気が向いた。
まだ午後四時を過ぎたばかりで、「だるま」も「花菱」もまだ準備中。
「魚三酒場」はもう満員で、その路地を入った右手二階の「ますらお」は本日お休み。営業は午後三時から。
写真の一枚もと思ったが、ほんの数年でぼくの記憶の町は、その色彩のトーンをひとつ落としていた。
東西線に乗って日本橋へ。
そこから「日本橋丸善」、「八重洲ブックセンター」を廻り、のどの渇きを鎮めようと銀座「Rock Fish」へ。
間口さんに、昨日もやって来た客のように、淡々と迎えられる。実はずいぶんご無沙汰。
ハイボールをひと口、ぐびっとやって、アリステア・マクラウドの『灰色の輝ける贈り物』をひらく。本日の本屋巡りに収穫無し。こいつを持ってきておいてよかった。
アリステア・マクラウドの小説は、自身の故郷であるカナダのケーププレストン島を舞台にしている。
スコットランド高地からの移民の島だが、羊を放牧し、工場で織物に加工して輸出した方がはるかに儲かるので、やや強引にどいてもらったらしい。
スコットランド。天に召された女王お気に入りの場所でもあったと思い出す。
門仲「ますらお」お休みで持ち越した飲み気、食い気にせかされてホットドッグを注文。
ハイボールにぴったりだ。
間口さんがブレンドしたソーセージがピリッと来る。ぼくの舌が知らない辛さは島唐辛子だった。間口さんは必要な豚肉を沖縄まで仕入れに行くから、ごく当たり前のお話。
本日の徘徊、もうひとつのお題は古い飲み友達へのご挨拶。
年上のかたちの良い酒飲みで、会話の中に「わたし、今夜はもうドライ・マティニ―を二杯頂戴してしまって、あと何を頂けばよいやら…」なんて。
にこにこと、決して不格好に酔い崩れることのなかった酒飲みは、二週間前に逝ってしまった。
もう、あの”頂戴しました”を聴くことはできない。
ぼくらを出会わせてくれたバーテンダーの友だちと献杯。
残された男ふたり、居なくなった酒飲みの三十年分の思い出、ぼくらが生きている間は消えないあの頃の記憶を、一杯、二杯、三杯と、ぐでん、ぐでんだ。