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ポンコツ老中御一行様、年の瀬に逗子に繰り出す!の巻き。
去ること、昨年、11月17日。
明治大学OBの葉山在と、ぼく、かみさんの三人で、関東大学対抗戦ラグビーの明治大学VS帝京大学戦を聖地秩父宮ラグビー場で観戦。その後、早稲田(地名の)在の友だちを交えて忘年会の予行演習を執り行った際のこと。
だれが言い出したのかは失念、「ポンコツ老中御一行としては、行きたいところ、会いたいひと、食べたい、飲みたいものが頭に浮かんだら、即実行せねばならない、なにしろ、持ち時間が無いのであるからして!」という話になった。
『ポンコツ老中ご一行様』とは、「老後は、あんなこともこんなことも、どんどんやっちゃおう!って思っていたのに、気がついたら老後じゃなくて、しっかり“老中”になっちゃってるよ」と葉山在がぼやいたのがはじまりというお粗末なてん末。
「中村さんに会いたいなぁ」
きっと、ぼくが言った。
「ああ、中村さん。元気なの?」
「元気だけど、このまえ屋根の修理を頼んだら、いま、痛風の発作でだめだって言ってたよ」と、葉山在。
中村さんは、葉山在住の大工の棟梁で、葉山在の家のリフォーム、修理に長くかかわっているひと。
若い時分に艶っぽいトラブルを引き起こして、故郷を捨て、焼津からマグロ船に乗って海外逃亡した強者。それが、どうして葉山に流れついたかは、むかし聞いたように思うが、いまは覚えがない。
まあ、とにかく、きっぷがよくて、ほがらかで、いい加減な酒飲みなのだ。
「すっかり忘れていたけど、中村さんに声をかけよう」と衆議一致して、お店も逗子の「Katsu’s」と決まったのでありました。
それからのぼくはといえば、恒例の「人間ドック」、インフルエンザ予防接種、半年に一回の「眼科検診」、30年の付き合いになる歯医者の検診、間に小規模な「一献の宴」がはさまって、不良老人の年末もそれなりには忙しいのでありました。
葉山在から「『Katsu’s』を12月19日、午後五時に予約できました。中村さんも参加です」とラインが入ったのが12月に入ってすぐのこと。
ラインにはこんなことも...
〈みなさんにご提案です。12月19日の忘年会前に、『長柄桜山古墳群』探索に行きませんか。14:00逗子駅集合~バスにて『桜山』下車~『第一古墳群』へ。雑木林をサクサクトレランして『第二古墳群』という太古の方々をしのぶ探索旅です。山から降りると、お二人(ぼくとかみさん)には懐かしいバス停『富士見橋』です〉
添付されたURLを開くと、なんと、第二古墳群のある裏山から降りてくるとコースの終点は、かの徳富蘆花をしのぶ「蘆花記念公園」となっている。
公園からバス通りに出ると、葉山在の言う通りバス停「富士見橋」、ぼくらがいつも使っていたバス停が目の前ではないか。
なんと、まあ、四半世紀前に暮らしていた逗子・桜山のタウンハウスの裏山に、古墳時代の暮らしがあったとは!と、感動しかけたのだが、考えてみれば世界はどこもかしこも、先人たちの暮らしの断片の堆積で成り立っている訳で、ぼくらの裏山の古墳の下に、スピノサウルスの骨が埋まっていても不思議はない。ないが、やっぱり“ご近所の古墳”には、それなりにそそられるものがある、ミーハー的に。
久里浜行の横須賀線は、鎌倉駅を出ると短いトンネルをくぐる。まだ汐の香も海岸線も見えないが、そこが海の町に続く逗子駅だ。
駅前バスターミナルから桜山丘陵南の「葉桜」バス停目指してつづら折りの道路をくねくねと上っていく。
バス停から住宅街を歩くこと10分。
こんもりとした丘へ上ると雑木林が唐突に開け、今はセメントで固められた『第一古墳群』が出現する。携帯電話の中継基地調査時に見つかったという古墳からは、はるか逗子海岸、相模湾と、すぐ下に整然と並ぶ昭和、平成、令和と暮らしをつなぐ“住宅群”を望める。
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ちょっとした“トレラン”気分で「第二古墳群」へ向かう。途中、軽装の、どう見ても“散歩の途中”らしき方とすれ違う。わがトレランは、地元の朝夕の散歩コースのひとつであった。「第二古墳群」から下界を望むと、まさに直下に元・我が家が見える。
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そんなこととは露知らず、隣家に桜が咲きはじめれば、これ幸いとベランダでお花見、紫陽花がはじく雨がきれいだと梅雨乞いし、週末は御用邸前で釣り上げたキスとめごちで天ぷらだとボートを出し、二階の部屋から見える海と島と船と数を増やしていくマンション群が、その頃のぼくの視界の半分を占める能天気な暮らしを満喫していたのでありました。
丘をひとつ、ふたつ上り下りしただけでもひとの喉は乾く。
逗子の海にそそぐ田越川にかかる渚橋のそばにある「NAGISA BASHI CAFÉ」でひと休み。
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メニューを見るとビールと唐揚げの黄金コンビ。そこはぐっとこらえて、甘い、甘いマシュマロチョコレートを飲み干し、時間通りにやってきたバスに乗り込む。
逗子駅に向かうバスは、左に田越川、右に第二古墳群の眠る桜山丘陵とふもとに残る僕らの暮らした家が見える。ぼくらが実在していたあの頃の逗子、あの時の桜山が見える。
駅前の商店街はひときわ懐かしい。魚屋、ケーキ屋、床屋、何を売っていたのかいまだに見当のつかないお店に混じって、あれ、こんなところに「崎陽軒」!と、そぞろ歩く。
「Katsu’s」は商店街が切れ、住宅街にもぐり込むように進むと、ポッと出くわす。
店の前には、今もレーシング・カーが飾られているが、曰く因縁のたぐいは、尋ねたことがない。
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レーシング・カーの向こうにはキッチンとカウンター、そして料理人や、ホール係の女性スタッフの姿が見える。
開店10分前に着いてしまったぼくらは笑顔で迎えられ、テラコッタの床と使い込まれた木製テーブルが置かれたホールに通された。
まず何を飲むかを協議する老中御一行。
「とりあえずはビールでいく?」
「泡もいいね」
「中村さんが着いてから決めようか」
などと言い合いながらも、壁の黒板、テーブルのメニューブックに視線は泳ぐ。
シラスのピッツア、いいね。小坪のシラスだからね。お刺身のサラダは外せない、じゃあ、トリッパはどのタイミングにするか...
ドアが開き、中村さん登場かと思いきや、長いこと公共放送、民放キー局でニュースキャスターをされていた太郎さんご一家がぼくらの次のお客さんだった。太郎さんは葉山のミニFM開局にも関わっておられたし、「ラ・マーレ茶屋」でもよくお見かけした。いつもあの笑顔だったなぁ。
そして、5時きっかりに中村さんが、ちっともかわらないはにかみ笑顔で入ってきた。
葉山から30分かけて歩いてきたという。中村さんとぼくらは、たぶん「おひさしぶりです」とかなんとか言葉を交したと思う。
とりあえず、ビールからはじめて、白ワイン、赤ワインと、飲み物は、“リーズナブルでうまいこと”。シンプルかつ最適な条件をつけて、あとはホール係の女性におまかせした。
目をつけていた料理がやってきて、みんな容赦なく手を伸ばすものだから、写真がみんな残骸になってしまった。
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葉山在以外のぼくらは中村さんにずいぶん長い間会っていなかった。
それでも1000億個の神経細胞ネットワークが次々に発火して、ぼくらと中村さんが居たあの日々のことが次から次へとよみがえり、食べかけの料理や飲み干したワイングラス越しに、葉山在、早稲田在、中村さん、かみさん、そしてぼくのおぼつかない記憶のすり合わせがはじまる。
「中村さんとこの作業場で、ペンキの一斗缶でストーブ作っていろいろやったねぇ、天ぷらとか、岐阜から送られてきた鮎とかアマゴとか焼いてねぇ」
中村さんはといえば、にこにこ笑顔で記憶を呼び出している風情。
「作業場に大きな白い犬がいたでしょう、ゴールデンレトリバーみたいな、いつもおが屑にまみれてさ」
「あいつは、おが屑の山にダイブするのが好きでね、やんちゃなやつだったね。しまいにはいちいちおが屑取ってやらなくなってね」
「もう、じいさんで、作業場の裏のクリークに落っこちたりして、引き上げるの大変だった。老衰で死んじゃったけどね」
そうだった、ずいぶん前に逝ってしまったんだった。
あのでかくて、白くて、おが屑だらけの中村さんとこの犬は、出会ったときにはすでに老犬だったもんな。
ほろ酔いのぼくの脳は、目撃したはずのない、小さな白いモコモコの塊がおが屑の山の中から、鼻をフン、フン言わせてよろよろ突進してくる姿を脳裏に投射する。
そうだった、可愛かったなぁ、そうだったらよかったなぁ、と。
それから幾本かのワインが空き、次回の約束もしないまま、ぼくらの「忘年会」は終宴した。
逗子駅に停車中の横須賀線に乗ってぼんやり思っていた。
「会えるときには会えるでしょう」、「会えなくても、なんとなくつながってれば、それでいいんじゃないかなぁ」と。
ぼくらの逗子・桜山時代は、長柄・桜山古墳の時代と時空を超えればお隣同士、つながっている、といささか強引だが言い切ってしまおう。
生まれ故郷、横浜・生麦、下北沢、柿生、浦安、そして、逗子、それから佃、海浜幕張...ぼくらが暮らした町は、みんなぼくらの故郷になる。
横須賀線は、またトンネルを抜け夜を駆けてゆく。