最後は地下でハイボール。
葉山在の友だち、早稲田在の宮大工の次女、そして家人の四人で午後の酒。
昼酒の言い訳は、かねてよりの「盛岡・仙台うまい酒&肴&その他全制覇旅」の具体的戦術ブレスト。
「老後は、あれもしたい!これもやりたい!と思っていたけど、考えてみたら、ぼくらもう老後じゃなくて老中(ろうちゅう)もいいところじゃない!」と葉山在。
それから、ぼくらは「老中御一行」と勝手に名乗りを挙げて、あっちこっちに出没、昨年は、長崎・五島列島遠征を達成した。
軽井沢「川上庵」グループの新店、銀座「蔵部」へ着席。
とりあえずの生ビールと、手っ取り早い「鶏のタタキ」で始める。
つづいて「鶏の山賊焼き」が出て来て、ビールをお代わり。
数年前、小布施「岩松院」の天井に北斎が描いた八方睨みの龍を首を折って睨み返し、「北斎館」を廻って着いたのが、昼時の「蔵部」だった。
「桝一市村酒造」の「蔵部」は、今、「川上庵」グループが経営していて、唐揚げ定食が、まことに結構だったのだが、ゆえ合って酒、ビールの類は遠慮したため、唐揚げの秘めたる滋味に到達できず、今回、山賊焼きで意趣返し。
銀座の「蔵部」は、その二号店らしい。
懐かしき「たこの小豆煮」。たこがやわやわで、それはそれは!
「名古屋の大甚、行ってきました。いい、あそこはいい」と葉山在。
樽酒のぬる燗に感激。
ご当地では、ぬる燗のことをどん燗と言うらしい。
樽酒のお燗がうまいことを知ったのは、はるか遠き日の神楽坂「伊勢藤」だったか。
「盛岡・仙台行」は、秋に決行となり、
初夏には、「横須賀美術館」経由で逗子「Katsu's」~葉山・日影茶屋「バー久楽」へ繰り出すことに。
どちらも、遠い日に通ったお店。
”櫛の歯が抜けるように”、逝ってしまうひとは行ってしまう。
昨日はなんともなかった櫛の歯が、ぽきり、乾いた音を残して落ちていく。
逝ってしまう人は、泣こうが喚こうが行ってしまうんだ、そんな話をひとしきりして、最後の一杯を探しに銀座の街へ。
「ハイボールにしようか」と言い出したのは、誰だったか。
ずいぶん長く通っていたバーへ向かう。
晴海通り近くの細いビルの地下。
オーナーこだわりのドアを開けると、見覚えのない若いバーテンダー諸君。
喫煙の香。
では、口開けはハイボールで。
「秋のシーズンになったら大学ラグビーを観に秩父宮へ行きましょう、いつ死んでもいいようにね」って。
金曜日の宵の口、老中御一行は、ハイボールに生と死を浮かべてチェア―ス。
ウッドベースの老巨匠の演奏を、ほんの3mの至近で聴いたのはこのバーだったな。
ご馳走様でした。