『やわらかく、壊れる』というタイトルにひかれてしまった。
そこには、ぼくが住んでいた町や、地図でしか見たことのない場所の記憶が大樹の年輪のように刻まれていた。
1947年生まれの詩人であり、ドキュメンタリー映像作家でもあったらしい佐々木幹郎さんが、1989年の「鳩よ!」や、「河北新報」、「GQ」、「産経新聞」、「毎日新聞」、「読売新聞」、「群像」、「新潮」、1999年の「東京人」、「学燈」などへ寄稿した記事などを一冊にまとめた本です。
過去に住み暮らした町、街、わざわざ出かけて行った国、地域で、詩人のこころに琴線にふれたモノ、コト、オモイが、読み応えあるエッセイ、随筆に仕立てられています。
編集の性質上、どこから読んでも差し支えない、まことにうれしい、ありがたい本ですが、2003年「みすず書房」から出版された際は¥2,500。
現在は、かのAさんちで¥4,400で売られているので、ぼくは図書館で借りて読みました、二回も。
先日など、自宅から持参して地下鉄表参道駅のフードコートでアイスコーヒーを飲みながら拾い読みしました。
このフードコートは、ランチ時を外せば、意外なほどストレスレスに本が読める空間で、「表参道ヒルズ」の裏にあるパーソナルトレーニングのスタジオに行く日などは、ここが定番の止まり木です。
本著の正式タイトルは『やわらかく、壊れる~都市の滅び方について~』です。
著者が“やわらかく、壊れる”、壊れて欲しいと思っているのは、建物や都市のことなのです。
<神戸1995>という章の小見出しに「いかに、やわらかく壊れるか」という部分があります。1995で神戸ですから「阪神淡路大震災」のこと。
焼死や倒壊による圧死が多発したことを受け、
― 倒れるとき、内部にいる人間の被害を最小限にとどめること、また、周辺の被害も最小限にとどめること。そういう新たな設計思想が、今、求められている。建物も都市も、いかに、やわらかく壊れることができるか。阪神大震災が教えてくれた教訓は、このことに尽きる。
と述懐されている。
その他、気になった小見出しをいくつか。
<廃墟は世界を覆う>の小見出し「バーチャル・リアリティの井戸に溺れて」に、ネパール山岳民族に関する、なるほどなぁ、というこんな記述がある。
― ヒマラヤの山岳地帯では、新しい情報というものはすべて人間が歩くスピードで、口から口へ伝わる。しかし、内容のすべてが曖昧である。人によって言うことが違う。どれを信用していいのか、さっぱりわからない場合が多い。
いいじゃないか、こういうの、とぼくは思ってしまう。
その先の記述に、必要だと判断された情報、例えば「日本人の一団が村にやって来るぞ!」というのは、当の日本人が到着する前にみんな知れ渡っている。
その村に向かう日本人を驚くスピード(普通の人間の三倍の速さだそうです!)で追い抜いた村人のひとりが情報をもたらすからだと。
この文章が掲載されたのは1997年。今、山の村はどうなっているのだろうか、気になってしまう。
<都市の声、都市の耳>には、ぼくが住んでいた佃のことや、その頃の朝の散策コースだった深川界隈のことなんかも書かれていて、なんとも懐かしい。
同じ<都市の声、都市の耳>の中に浅草、吾妻橋の船着き場の話が出てくる。
船着き場の階段下に長年棲みついていた高齢の浮浪者の存在を、船着き場の持ち主の会社も、そばの交番の警官も黙認していたのだと書かれている。
某月某日、佐々木さんはその老浮浪者がどうしているかと吾妻橋を訪れます。
残念なことに老人は亡くなっていました。
そのことを教えてくれた警官曰く、
― 「まあ、外国人の観光客も多いからね、ここは。階段の横でこんな格好されていたら(と彼は団扇で火をおこす真似をした)、ちょっとね、困ったけど」
しかし、そういう言い方の中には、少しも迷惑ではなかった、という言外の響きが込められていたのである。浅草という下町のよさがこんなところにあった。
このお巡りさんも、ご老人も、佐々木さんも、この文章も、なぜだか、この本の中で一番好きだと思ってしまうのでした。
お暇な折に、是非、図書館で。