また、『かないくん』を借りてきた。
死ぬ寸前がとても怖かった。
「かないくん」と同じ小学生の頃だった。
どういう訳か、イギリスの断崖絶壁の端っこに突っ立っていて、
足元の砂がじりじり溶けていき、つま先だけが辛うじて引っかかっている。
それが夢のなかの出来事で助かった、と思った記憶も、それが夢だとして、
その夢から覚めた記憶もない。
シェリー・ケーガンの『DEATH』のポストイットを貼った部分を読み返していた。
そうだったかな、そんなことが書いてあったっけ...と、老いを感得する日々だ。
詩人の谷川俊太郎さんは、
びっくりした、
きょうせんせいが
いつもとちがうこえでいった。
「かないくんがなくなりました」
ぼくの愛読書『鉄コン筋クリート』を描いた松本大洋さんは、
となりのページに、幹にひび割れのある樹を描いた。
ケーガン博士は、
魂など存在しない。
私たちは機械にすぎない、と言った。
愛したり、夢を抱いたり、計画を立ててそれを他者と共有できる。私たちは人格を持った人間だ。が、それでも機械にすぎない。
機械はいつか壊れるし、それは特別に不思議なことではない、と。
かないくんの隣の席の子は絵本作家になった。
歳を取っておじいちゃんになって、かないくんの物語を絵本にしようとしていた。
おじいちゃんになったかないくんの同級生は、絵本を書き上げる前に...
孫娘はスキー場のリフトの上でおじいちゃんの...を知った。
そして、
真っ白なまぶしい世界の中で、
突然私は、「始まった」と思った。
何が始まったのかは分からない。
でも終わったのではなく、
始まったんだと思った。
ぼくの...は、なんだろう。
壊れて、おしまい。
博士は、「残念だが、、、」、て言うのかな。
ぼくは、ぼくの...は、ぼくのものだから、
勝手に、こう言うよ。
「魂の旅のはじまりだ」ってね。
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