素人目線で見るサッカー
空間認識能力が低いな、と自認している。
地図もよく読めないし、裁縫で型紙を取って切ったり縫ったりするのも苦手。
運動神経の鈍さもあるが、中学生の時に授業でバレーボールをやった際に飛んできたボールが頭に直撃したこともある。
弧を描いて飛んでくるボールがどこに落ちるのか距離感覚が掴めないし、どう予測してどう体を動かせばいいのか瞬時の判断能力がえらく低い。
車の助手席に乗っていても、車庫入れの際に運転手に後ろを見て欲しいと頼まれても、どれくらいで車体が壁にぶつかるのか距離感が全く掴めないので、いつも適当なことを言う。無論、運転免許は取ってない。己の鈍さに取得を断念した。
本題、普段サッカーを観戦する際、上層階から俯瞰しているので視界はテレビ画面と同じようなヴィジョンだ。フィールド全体が眺められ、ボールの行方も布陣も選手の動きも見易い。
最近はレーンにも注目して見るようになったので、サッカーの勉強には最適な席だと思っている。俯瞰で見てうちの選手たちはトラップが上手いだとか、よく見えているとか簡単に言ってしまうがピッチ上では視界がまったく違う中、あんなふうに動けるのは本当に特殊能力だと思う。
昨年、日立台こと三協フロンテアスタジアムにお邪魔した。サッカー専用スタジアムな上に、前から10列目くらいの席で、いつもの上層階からとは丸で視界が違う。
目の前で繰り広げられる試合を選手とあまり変わらない目線で見るのは目から鱗であった。
上から見た時に感じる選手間の距離とピッチレベルとは異なり、把握が難しい。あと1メートル、あと一歩二歩は俯瞰で見るとわかるのだが、ピッチに近いと分かりにくくて驚いた。
おそらく、選手たちはグランドに於いて自分の立ち位置からの距離感が幼い頃からの習慣で養われているのだろう。
わたしのように部活ですら運動部を選ばないような鈍い感覚のまま育った人間が普段の生活で自分と立ち位置から2メートル3メートルといった距離を意識しない。
選手たちはその身についた距離感覚にプラスしてボールを動かすという意識を磨いている。
自分の距離感覚で測った距離に狙ってボールを蹴る。蹴る速さ、強さ、角度も鍛錬で身についている。
俯瞰では最終ラインのディフェンダーから最前線のフォワードまで対角線上に蹴られたボールも斜めに飛んでゆくボールとしか目視しないが、実際は曲線がかったボール。
日立台でも何気ないパスですら曲線を描きながらパスの相手の足元におさまっていて、見ていて不思議なくらいだった。
ここでまたわたしの鈍さに話しは戻るが、わたしはデッサンもだが風景がも描ける。
実際、視界で捉えた景色、立体を平面に落とし込むことが出来る。視覚で取り込んだ情報を平面に再現出来るということ。
だが、地図が読めないというのは平面の情報から立体、風景を投影出来ていない。情報が簡素がされているのもあるが要はわたしは風景の細かいところまで汲み上げ過ぎていて、簡素化した情報として脳内にストック出来ていないのだ。
鳥の目を持っていると言われている中村憲剛選手はピッチ上の断片的な情報を取り込んで、脳内で鳥瞰図にして把握する。そして、その鳥瞰図を創造力で発展させ、動かしてしまう。
パズルのピースを瞬時に組み立てて、更にその絵を動かしてしまうのだから超人的だ。
瞬時瞬時の断片を拾い上げ組み立てる。その頭脳の動きと共に運動能力を連動させる。
本当に全身全霊を使い、脳も体もフル稼働しているのだ。
それでいてサッカーはチームで行う競技のため、自分の感覚だけでは勝てない。
それゆえ、歯がゆい場面もたくさん生まれる。逆もあるだろう。周りの要求に対応出来ない。だからこそ、上手くいった時の達成感は大きいだろう。
自分の脳内で決めた判断、俊敏にそれに合わせた動き、そして、その動きが味方に伝わっているか否か。
サッカー経験のある方や、目の肥えた戦術マニアはスパイクを履いたこともない、戦術について語れない女性サポーターは本当にサッカーを楽しんでいるのか、と思うかもしれない。
けれど、違う目線で楽しむことも出来るし、なによりサッカーはエンターテイメントだ。
一つのボール捌きに驚嘆する。丸でサーカスで空中ブランコにハラハラするようにPKを見守り応援する。それもサッカーを楽しんでいることにならないだろうか。
最新の戦術理論を学んで楽しむのも、選手の空間認識能力に感嘆するのも、それはそれでサッカーの楽しみだと思う。
また、わたしは上層階から選手のプレーに感動しながら、がんばれと声援を送る。
今はオフシーズン。
早く目の前で試合が見たくて、鈍い空間認識能力を抱えながらもウズウズしている。
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