優と劣の錯列(パーミュレーション)
劣等感は卑屈さを生む。
他にも諦念や嫉妬をも生む。けれども、見返してやろうという野望に火をつけたりもする。優越感への憧れ、それを鋭く渇望へと変化させる。
今年、昨年に引き続きリーグ優勝し、川崎フロンターレは連覇をした。
非常に喜ばしいこと。チームのサポーターとして誇らしいこと。
だが、喉から手が出るほど欲しかった優勝を手にし、連覇を達成し歓喜にまみれ日本一強いチームのサポーターになれたという安堵と喜びと共に僅かな虚無感が浮かんだのを無視出来なかった。
まだ、二連覇。他のカップ戦には惨敗しているし、チームとしてもっと高みを目指し、歴史を築き上げなくてはならないというのも重々承知だ。
ただ、瞬間的には餓えて餓えて仕方がない状況からは逸脱したのである。
Twitterでも優勝を見届けたという達成感を抱いているサポーターさんも見かけた。特に歴の長い方に見かけるような気がする。
それは正直な人間のひとつの生理現象のように思う。
優勝は間違いなく嬉しく、誇りに思う。良かった以外、なにもない。
けれど、人間の心は天の邪鬼でそれでいて貪欲だ。
分かりやすいのは選手の移籍だ。
優勝したのに移籍する。偉大な業績を残し、讃えられ必要とされても尚、新たな目標に挑みたくなる。
選手だもの。高みを目指すのは当たり前。貪欲というよりか志が高いと言おうか。
サポーターもチームと共に更に高みを目指して、突き進めれば良い。
そうなら、簡単。
昨年の優勝の嬉しさは、シルバーコレクターだの無冠ターレだの揶揄され、苦渋を舐めてきた歴史や自分たちも選手たちと共に悔しさを嫌なほど味わったからひとしおだ。
だが、歓喜歓喜の中でぽつねんと取り残された自分の心の奥の奥底から禍々しく響いてくる貪欲さ。
単なるマゾヒストだと笑われるかもしれない。
けれど、制覇の優越を知った今だからこそ、また苦しみを欲する。
わたしは苦しみたいのだ。
苦しみ続けるのは無論、願い下げだ。だが、苦しみを乗り越えての歓喜ほど美味い物はないのだ。
新しい挑戦を求める選手もこれに近いのではないだろうか。
これからフロンターレは一強や常勝軍団になるかもしれない。もしくは選手の入れ替えなどで波乱が起こるかもしれない。
それでも、応援し続けられるか。
結婚式の誓いの言葉のように病める時も健やかなる時も支え、守れるか、愛せるか。
チームからしあわせをもらうだけでなく、困難も苦境もこのチームなら乗り越えてゆけると思うか。
苦悩や悲しみ、怒りを乗り越えて絆が生まれるのは皆も知っているはず。
それをまた求めているのかもしれない。
どこに求めるか、何に求めるか、はサポーター自身に委ねられている。
選手も同様。
絆があっても、お互いを縛り付ける枷ではない。
劣等感は甘美だ。優越感とまた違う味がする。
その優越も劣等も知るから、更に優勝が恋しくなる。
選手をチームを愛し、優勝に恋をしてサポーターは生きる。
優劣が錯列し、チームは循環し歴史を刻んでゆく