![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/31263200/rectangle_large_type_2_21575b8a13ce72921c4f32606d474b16.jpg?width=1200)
Holy Ground
久しぶりに訪れた等々力陸上競技場は「超厳戒態勢」という物々しい冠の着いた開催試合だった。
だからと言って、突如、姿を現したように思える隣の等々力球場やいつもの賑わったフロンパークのない閑散とした公園、アウェイユニフォーム姿の無い等々力陸上競技場に深い悲しみは見えず、若干の寂しさはあるものの、サポーターたちは試合に臨む楽しみをマスクの下に潜めているように見えた。
人数も平日の天皇杯1回戦くらいはいるようだ。その空気は和やかで、わたしは安堵する。「超厳戒態勢」という響きの禍々しさよりも、観客の試合観戦への渇望が上回っているように感じられた。
青空の下に建つ等々力を見上げ、思わず写真に収めた。
リーグ戦中断前よりも賑やかさを欠くものの、
此処はフロンターレサポーターの聖地なのだ。
東海道新幹線に乗車中、車窓から見える富士山にスマホを向けるのと似た感覚のような気がする。
いつもと違う空気感は否めないものの、スタッフさんたちの超厳戒態勢の字面の厳しさと違って「気をつけて開催しましょうね」という柔らかい気遣いを感じた。
入場の際の検温も、健康診断のような妙な緊張もなくスタッフさんは皆にこやかに「こちらでお願いします!」と促してくれた。みんなで気をつけよう、という気持ちが伝わって、それを噛み締めながら手を消毒して入場した。
シーズンチケットはメインスタンドのわたしにとってバックスタンド側の席は初めてだった。
「この場所、ファン感の時にくらいにしか来ないよ」と友だちに言いながら、そこでもメインスタンドにスマホを向けた。
メインスタンドも、見慣れたかわいらしいバックスタンドも神聖なもののように見えて、初めて等々力を訪れたかのように何枚も写真を撮った。
アップが始まる時間になって、友だちと離れて席に戻る。
チャントがない中、キーパー陣が入場する。たくさんの拍手。
フィールドプレーヤーは先にアウェイの湘南の選手が入場した。その時にも拍手が湧いた。共に頑張ろう、という気持ちの発露かな、と思った。
フロンターレの選手の入場でも熱い熱い拍手。
人数制限はあるものの、やはり観客がいるというのはスポーツがエンターテイメントであり、楽しみである…そこに人々の明るい気持ちがあるというのがなんだか嬉しかった。
ただ、いつもなら響くチャントがなく、大旗も見慣れた個性豊かなゲーフラの並びもない。
アップ中はスタメン、ベンチであれば、車屋選手を見続けるわたしであるが、その熱心に見入っている際のBGMのようにチャントがあった。
それがないことが寂しくなるが、わたしはそれを振り切っていつもと違う角度からせっせと車屋選手の姿を眺めることに勤しんだ。
選手紹介も拍手のみ、選手入場前も録音されたチャントが流れた。
無観客試合で録音しているチャントを流している試合を見たが、そこまでの違和感をわたしは感じず無音より良いかな?と感じていた。
けれど、観客がいる中で録音が流れるのには寂寞を感じた。
盛り上げようとして録音を流してくれるスタッフ気遣いは嬉しいし、気持ちもわかる。でも、それが制限のうえにあることの寂しさ。
同じ音なのに、流れているか、響いているかの差があった。
それでも、試合を目の前で見ることは楽しかった。
観戦の楽しみとしてスタグルやイベントや友だちと会うこともあるが、やはり純粋に試合を見ることは楽しい。
ピッチに行き交う選手たちの声、ボールを蹴る音は冴え冴えと響く。
キレのあるプレーにワクワクするし、ベンチの様子も見える。臨場感は生ならでは。
映像でも見られるから、それだけでも申し分はないのかもしれないが、現地参戦するのは一粒で2度美味しい状態になるからだ。
この目で目の前で楽しんだものを、後で違う角度で映像で見られる。
それが楽しくて現地に赴く。
それにやはり大好きな選手の姿が距離はあると言えど隔たりなく、元気に動いている姿を見られることが、何よりもわたしの心の栄養になる。
過去を恋しがって寂しがるのは仕方ない。
けれど、生きて行くにはこの世界に順応しながら希望を抱くしかない。
波のように翻る大旗や大歓声と沸き上がる熱気に満ちたスタジアムとの再開はまだまだ先だろう。
けれど、聖地であるスタジアムは峻厳とそこに建つ。選手たちの熱い闘う魂と音もなく瀰漫するサポーターたちの祈りを強く優しく静かに宿して。