ヒロイズム
「サッカーの神様はいる」
そう語る選手は多い。
数々の奇跡のような試合や選手たちの偉業を目にしていると、確かにその存在を信じたくなる。
けれど、神様は一柱だけでなく、ギリシアのオリンポスや日本の八百万の神たちのように幾許かいるようにわたしは思うのだ。
神様がたくさんいるのであれば、ホメロスの叙事詩のようにある神に愛され、ある神に試練を与えられる、ある神には助けられるということが起こる。神様たちは気分屋で激情の持ち主でそれらに翻弄される人間たち。
何回も何回も怪我という試練に見舞われながら、それらを乗り越え2017年に得点王とMVPを受賞した川崎フロンターレの元キャプテンであり、エースの小林悠、彼もまたある一柱のサッカーの神様に愛されたが故に他の神様に妬まれた存在かもしれない。
神様に愛されながらも、一方でたくさんの試練を与えられ、それらを乗り越え偉業を達成する男をなんと呼ぶか?ギリシア神話のヘラクレスはなんと呼ばれているか?
「英雄(HERO)」だ。
小林悠はこの呼び名がよく似合う。
ちなみに英雄は神と人との間の子であることが多い。半神半人である。
英雄が神であったなら、きっと人間たちは親愛心も同情も矮小だろう。半分は自分たちと同じ人間で、半分は神なゆえに超人的な能力を持ち得るのだ。
それは悠選手にも近い気がする。試合中は見てるこちらが驚くようなシュートを見せ、負け試合を逆転にとひっくり返す素晴らしい牽引力を持ち、それは神がかっている。
ただPKを失敗してしまったり、ピッチ外では明るく少しおっちょこちょいな完璧ではないが故の愛らしさを携えている。
ただ1人、孤独に技術を研鑽する…と言うのではなく、家族に支えられチームメイトやスタッフに支えられ、サポーターに愛され歩んできた。英雄が英雄たる所以のように思う。
普段は照れもなく明るい笑顔を見せ、口ぶりも柔らかい。
わたしはフォワードの選手は最も攻撃的なポジションであるし、毅然と鋭さを孕んだイメージだったので、サポーターになって初めて悠のインタビューを見て驚いたのを覚えている。ふにゃふにゃしている訳はないのだが、しなやか。丸で子どもに話しかける時のような角のない優しい話し方。
それが、試合中には鋭利で重厚な剣を構えながら、軽々と扱い力強い精悍さを背負った顔になるのだ。
あの柔らかさの何処に色濃い闘争心が潜んでいるのか探求欲をかられそうになるほどに。
勇ましさのモーターをフル回転の中でも大事な場面でシュートを外したり、もっと言えば後半のピッチを間違えたり。英雄は無傷じゃない。
決勝で負けた時も、優勝した時も彼は涙を見せた。素直な感情もまっすぐ、光のようにまっすぐ溢れる。
キャプテン就任後、背負い過ぎて苦しそうにする表情もまっすぐが故だったと思う。
天皇杯の決勝で敗戦し、ピッチに座り込み項垂れる姿は今でも忘れられない。芝や土に汚れたアウェイの白いユニフォームが涙で滲む視界の映像は瞼に焼き付いている。
人間味溢れる温かい英雄はその場の感情を全部放出して見せる。それが全力だから。その時の泣いていた姿は悔しさ悲しさを出し切って次へ向かう為でもあるとわかっていたけれど、そう信じていたけれど叱咤を叫びたくなるほどに疲労を滲ませた消沈した様だった。怪我をした時のブログの悲痛な言葉もそうだ。
英雄のその姿は悲しいものだけれど、サポーターたちの気持ちすらも背負っているのだと伝わってきた。だから、サポーターたちも彼を愛せずにはいられない。
ちなみにギリシア神話の英雄ヘラクレスは半神半人だったが、後に神となりオリンポス十二柱に名を連ねている。ヘラクレスの妻は「青春」を司る女神へべである。青春時代をサッカーに捧げ、大学生の頃に出会った恋人が伴侶となった悠にこれもまた似合う。
英雄の逸話は幾つあっても良い。
こちらが雄弁に語りたくなる逸話を、軌跡を見せてくれ。
そして、英雄の歩んだ路はいつか伝説になる。
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