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私的ハロプロを語るうえで必要な10要素④

シビアに評価されること。
学校でも職場でも「評価」というものが存在する。
評価はする側にとって都合のいいシステムなのか、それとも・・・
私にとってハロプロは非常に学びが多いのだ。

1.ハロプロ(アイドル)における評価とは

a. ファンからの評価
 これはハロプロに限らずどのアイドルでも共通する。「かわいい」「かっこいい」「歌がうまい」「ダンスがすごい」「性格がいい」「思わず惹きつけられる魅力がある」など少なからず”推し”という現象が発生する。ライブパフォーマンスのみならず、握手会やブログ、SNS発信といったファンサービスでも評価されていく。それはグッズの売り上げや個別イベントの動員数などで数値として本人たちにフィードバックされるという点ではかなりシビアな世界なのだと思う。特にAKBグループは総選挙という形でその評価を世間的にも公表したことで屈強なハートがないと生きてはいけない世界だということを示した。

 でも、彼女たちを見ていると自分たちのことを応援してくれているファンを喜ばせたい一心であることが伝わってくる。人気があればそれに越したことはないのだろうが、ファンを”数”としてでなく”人”として見ている。だからこそ、わたしたちも応援するのだ。結局、人は人に惹かれるようにできている。


b. プロデューサーや事務所からの評価
 彼女たちをどのようにファンに見せるか、彼女たちのどんな部分を引き出すかはプロデューサーや事務所側からの評価として示される。ハロプロでいえば「歌割」に如実に表れる。グループの人数の多少にかかわらずソロパートを均等に割り振ることはあまりない(一部のグループでは見られる)。曲によってはユニゾン以外が単独ソロなんてこともあったり(初期モーニング娘。や℃-uteは有名)、前曲ではソロがあったのに今回は皆無なんてことも通常運転だ。狭き門をくぐりぬけてきた精鋭たちでさえバックダンサー扱いになるとはなんという世界なのでしょう。

 でもそこがハロプロの醍醐味であり、おもしろさだと思う。そこでさらに切磋琢磨していくのだ。全員がステージには立つが、見せ場の多さという点で差をつけられる。デビュー出来たらそこでおしまいではないところが、沼から抜け出せない要因のひとつである。

2.正当な評価は存在するか

 おもしろいなと思うのは、純粋なファンも多いがアンチも多いというパターンと人気・実力はそこそこでも事務所の猛プッシュがあるパターン、そして実力はあるのになかなか表に出されないパターンだ。本当に評価というものは難しい。評価する側が複数いればなおさらだ。学校でも社会でも、正当な評価というものは存在するのだろうか。「テストの点数ではわからないことがある」のも事実だが、ではその人をどうやって表し、どうやって導いてあげればいいのだろう。自分が周りからどのようにみられているか、周りと比べてどのようなのかを知るすべはあるだろうか。最近は「自分と周りと比べちゃいけないよ」なんていうが、自分を知るには他者の存在が必要だよね、と思う。ん?自分らしさ、個性ってどうやって評価するの・・・うわあ。

迷宮入りする前にここでひとまずやめておこう。

3.最近変わった評価に対する個人的な意見

 いままで(社会人になってから)は「いい評価をもらうために働いてるんじゃない」と思いながら自分のやるべきことを粛々とやっていた(つもり)。なので、自分では当たり前にやっていることで想像以上の評価を上司からもらうと「なんもわかってねぇな」と内心思っていた。遅れてきた反抗期だろうか。それがここ最近は「もらえるもんはもらっといていいんじゃないか」と思うようになった。

 人を助けるときに、後々その人や関係者から感謝されることを期待して助けるだろうか。とにかく目の前の困っている人を助けたい、何とかしたいと思って行動し、その結果感謝されるという流れになるのではないか。その際、「いえ、感謝されるために助けたわけじゃないんで。そういうの困ります。なんか違うんですよね。」とは言わないだろう。これやったらほんとうにかわいくない(笑)。素直に受け取っていいはずだ。私にとって働くということも似ていて、自分がやるべきことをやってもし評価をもらえるのだとしたら、素直に受け取っていいのではないかと思うようになった。

親切は素直に受けりゃ良い
また今度は君が 違う誰かに
親切出来りゃ良い
『笑顔の君は太陽さ』モーニング娘。'14

つんくさん、あなたって人は・・・。

てか、サムネの鞘師かわいいな。

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