見出し画像

変わらないことは、ときに罪である。

まっしぐらに走り続けてひと息ついたとき、ふと我に返りこう思う。
このままでいいのか、と。
新年度が始まり、新しい生活にもっと素直にうきうきしたい今日この頃のだれかを想いながら、数年前の同じ立場の自分を思い出す。

あまのじゃくな性格は母譲りでもあるが、中学のいつかの全校集会で先輩が引用していた言葉がずっと頭から離れないでいる。

「継続は堕落なり」

ん?力じゃないの?先輩、間違っちゃったのかな。それは当時のあるJリーグの監督の言葉らしく、言い間違えでも何でもなかった。つまり、”ただの”継続は維持ばかりか現在地から落ちていくぞと、そういうことらしい。聞いたその時は腑に落ちないままだったが、のちにそれを痛いほど思い知らされた。

一般的に続けるはいいことだとされる。私自身も継続は力なりということは重々承知している。問題は続け方だ。

中学2年生の終わり頃だったか、私は部活で念願のスタメンになることができた。ど素人から始めて、よくここまで成り上がったものだと自分でも誇らしかった。それからしばらくしてスタメンを外されてしまった。理由がわからず、おまけに悔しくもなかった。だって、”いままでと変わらず”練習は頑張っていたし、学業も手を抜くことは一切なかった。しばらく他人事のように「不思議だなー」と思いながら日々は過ぎていった。そんなある日、あの言葉をふと思い出したー継続は堕落なり。

そうか、そういうことか。謎はすべて解けた。

いままでと変わらなかったことがいけなかった。つまり、スタメン争いは相対的な事象であるということを忘れていたのだ。スタメンになるまでは追いつけ追い越せで意識していた仲間を、自分がその座を手に入れた瞬間忘れてしまった。いつしか”その座を維持したい”と思うようになっていった。目的と手段の逆転をまんまと起こしてしまったのだ。私が変わらず維持しているとき、仲間は右肩上がりで努力をする。すると遅かれ早かれ逆転される時がくる。枠の数は決まっている。上から数えて順に埋まっていくのだから、逆転されればその座を明け渡すことになる。

それに気づき、「目的を忘れてただ継続することはなんの力にもならない。変わらないことは、ときに罪なんだ。」と学んだ。私はスタメンになりたかったんじゃない。スタメンになってチームの勝利に少しでも貢献したかったんだ。それを思い出したら、できていない自分に腹が立った。勘違いしやがって、あほ。

一度落ちたところから這い上がるのは並大抵のことじゃなかった。自分に競技の才能もセンスも運動能力もなかったのは自分がよく知っていたからだ。あーなんてことを・・・。それでもいままで以上の努力を重ねた。やっぱり、スタメンとして貢献することを諦められなかった。

最終的にはなんとかスタメンに戻ることができ、そこからは勘違いせずに「チームのために自分ができること」を常に意識した。今思えば、ものすごくいい学びだった。


それから数年経ち、社会人になった。「時代の変化は早いのだから、変わることも大事だ」という風潮が出てきた。社会を変えるには2つの方法があるという。

ExitとVoice
自分がその組織から「抜ける」か、その組織に対して「声を上げる」か

でもたいていはこうだ。

IgnoreとComplain
不満があってもその状況を「無視」して見ないふりをするか、仲間内で「不満」を言うだけで何もやらないか

井庭 崇『クリエイティブ・ラーニング ー創造社会の学びと教育』(慶應義塾出版会, 2019, P.367~369)

IgnoreとComplainは合理的じゃないし、だれの利益にもならないのでやるべきではない。となると、私はいままで"Exit"だったのだと思う。(もっとこうだったらいいのに。でも自分には変えられない。だって、~~。そもそも~~だし。このままでいいのか、自分。)

じゃあ、私が去るしかないな。

変われないでいたこの6年。でも、変わらないことは、ときに罪なんだ。このままでいいのか、ほんとに。いや、変わるならいまだ。いまならできる気がする。

そんなぐらついた気持ちを出発点に、初めて"Voice"を上げ、今年から組織を変えることにした。

つづく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?