娑婆(シャバ)の空気
「幸福の黄色いハンカチ」は、出所したばかりの高倉健さんが、刑務所近くの食堂でラーメンとカツ丼を食べるシーンから始まる。ビールをゆっくり飲み干し、ラーメンを一気に平らげるシーンは、長かった刑務所生活を想起させ、印象的だ。
あれをやってみた。
一時帰国から某国に戻り、3週間もの期間、ホテルで隔離されていたのだが、昨日やっと解放された。久しぶりの娑婆(シャバ)である。
ホテルをチェックアウトし、一旦荷物を家まで運んだ後、近くの日本料理店でカツ丼とラーメンとビールを注文した。映画通りの注文である。高倉健さんになりきってみた。
実のところ、隔離ホテルでもUber Eatsが使えたので、ビールも飲んだし、寿司も食べたのだが、そのあたりは脳内補正してある。注文を取りに来た店員さんの日本語が少しおかしなところも、本来なら興醒めなのだが、これもご愛嬌として目をつぶった。カツ丼とラーメンとビールは、普通にうまかった。
アウトロー感を満喫し、料理店をあとにする。
まだ少し足りないな。煙草吸ってみよう。
次は「仁義なき戦い」の菅原文太さんになってみることにした。昔のヤクザ映画では、出所したばかりの兄貴分に、「おつとめご苦労様でした」の一言とともに、弟分が煙草を差し出すシーンが定番だ。
実は、3ヶ月前、30年の喫煙歴を経て卒煙したばかりなのだが、はたして今でも煙草がうまいと思うのか、という興味もあった。コンビニで一番軽いメンソール煙草と一番安いライターを買った。
久しぶりの煙草は少し頭がクラクラしたが、まあこんなものか、というのが感想だ。「こんなもの」に、外車一台分もの金を投じてきた過去を恥じた。二本だけ吸って、残りは知らないおじさんに手渡した。
ともあれ、ハードボイルドに酔った小一時間を楽しんだ後は、妻の待つ家へと帰る。
口臭のせいであろう、帰宅するやいなや、煙草を吸ったことが妻にバレた。妻も隔離期間のストレスで少しイライラが溜まっている。35年ぶりに喫煙のことでお母ちゃんに叱られることとなった。
一人でカツ丼とラーメンを食べたことは言い出せなかった。
お腹はパンパンだったが、妻が茹でた蕎麦を無理して食べた。
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