やって来ない季節 秋
秋は自分の誕生日もあり、一番好きな季節。しかし、世間一般からの人気はそうでもないように思う。
秋にちなんだ曲が、夏のそれに比べて少ないなぁと感じるからだ。十六夜杯プレ企画で、「曲から一句」を「芸術から一句」に拡張した背景には、そういった懸念もある。
懸念が当たっているかどうか、歌ネット(32万曲の歌詞検索サービス)を使って検証してみた。
「春」「夏」「秋」「冬」をキーワードに曲検索すると、
1位 夏 20953曲
2位 春 19888曲
3位 冬 10465曲
4位 秋 6671曲
予想通り春夏が二強。3位冬は二強の半分、秋に至っては1/3であった。懸念は正しかったのである。現代人はやはり春夏が好きで、秋は影が薄い季節なのだ。
もう少し歌ネットで遊んでみる。
「〇が来る(来た)」で検索してみると、
1位 春が来る(来た) 584曲
2位 夏が来る(来た) 442曲
3位 冬が来る(来た) 212曲
4位 秋が来る(来た) 64曲
春が王者夏を逆転。春到来への期待に加えて、厳しい冬からの解放感も加点理由だろう。
しかし、秋の影の薄さよ。1位春のわずか1/9である。
さらに、驚愕のデータを発掘。
「〇が終わ」で検索してみた結果、
1位 夏が終わ 472曲
2位 冬が終わ 95曲
3位 春が終わ 37曲
4位 秋が終わ 17曲
2位と5倍の差をつけて夏が圧勝。
「春が来る(来た)」が到来への期待とすると、「夏が終わ」は去っていくことへの名残り惜しさを表しているであろう。
春が去るときには、寂寥感を上回る夏到来への期待がある。一方、夏が去るときには、秋の到来に無関心になるほど後ろ髪を引かれるという感じか。
秋が終わることは、歯牙にも掛けられていない。
太宰治のエッセイ「ア、秋」にもこうある。
秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。
秋は、春や夏のように華々しくはやって来てくれない。むしろ、夏の名残りの陰に隠れて小さくなっているのだ。
小さい秋を自分で見つけるしかないのである。
一首詠みます。
ぐずぐずと居座る夏に遠慮して
勝手口より上がる秋かな
【企画概要】