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コミュニケーションの粒度 

あたりまえのことだが、外国に住んでいると英語を話す機会が多い。

ただし私の場合、英語ネイティブと話すよりも、英語を母国語としない外国人との、英語でのコミュニケーションが多い。自分も相手も外国語を駆使し、コミュニケーションを成立させるといったシチュエーションだ。

当然、日本語で話すときに比べ、語彙は極端に少なくなる。肯定的な意見は、nice、beautiful、awesomeでまかなうといった具合。相手も相手で同じようなものだ。

このような粒度の荒いコミュニケーションでは、細かいニュアンスなどが伝えきれなくてストレスではないかと思われるかもしれない。その通りである。細かいニュアンスどころか、簡単に言えば、焼きそばを頼んで焼き飯が届くのは日常茶飯事なのである。

こちらの伝え方や発音が悪かったのではという呵責もあれば、相手の聞き取りが悪かったのではという懸念もある。いちいちクレームをつけるのもめんどくさいので、届いた焼き飯を黙って食べる。ミスコミュニケーションを前提として生きなければ、精神は持たないのである。

このような粒度の荒いコミュニケーションに慣れてくると、日本人との粒度の細かいコミュニケーションがうざったく感じられることがある。ワードチョイスの誤りから言葉尻をあげつらう、言った言わないでもめてしまう、といったコミュニケーションがとにかくめんどくさい。

相手にも自分にも、言い間違いや聞き間違いくらいはあるものだ、と構えておいた方が、嫌いになる人は少なくてすむ。

川柳ではなく都々逸だったことが発覚....

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かっちー
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