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異語り 138 見つめる目

コトガタリ 138 ミツメルメ
 
40代 女性

まだ20代だった頃、病院で清掃のアルバイトをしていたことがある。
初めはいろんな病棟を日替わりで担当していたが、慣れてくると担当する場所も固定気味になっていった。
私は産科の病棟を回ることが多くなった。

大きな総合病院だったので出産のためというよりは何らかの理由で安静や治療が必要な妊婦さんがほとんどだったけど、時々生まれたばかりの新生児を見かけることもあった。

泣き声などの配慮なのか出産した方は個室に入っていることが多かった。

生まれたばかりの赤ん坊なんて普通に生活していればまずお目にかかれない。
泣き声も何か話しかけているような、訴えるような頼りなげな声で
子ども嫌いだと思っていた私でさえつい微笑んで返事をしてしまいそうになる。

庇護欲と母性本能が反応しまくりの生物だった。


ある日も部屋に入ると窓際にベビーベッドがあった。

ああ、今日は赤ちゃんがいるんだ と、少し嬉しくなりながらいつも通り清掃に取りかかる。
ゴミを集め、水回りを掃除し、手すりや机を吹き上げる。
最後に床を二度拭いて終了。

まずはから拭き。
ベッドの下を拭くべく窓との隙間に入り込んだ。
ベビーベッドの中から赤ちゃんがこちらを見ていた。
まだ視力も動きもおぼつかないものの一生懸命に視線を動かしている。
窓とベビーベッドの間に入り込んで作業していたので、ピコピコ動くモップの柄が気になっているみたいだ。

ふふふっ 動く影は気になるよねえ

そんなことを思いつつ作業を続ける。
から拭きしたら次は消毒薬を溶いた水で拭き上げる。
モップをしっかり絞ってから再び窓とベビーベッド間に体を滑り込ませると、赤ちゃんは何か期待した感じでピコンと体を揺らした。

そしてぱっちりと目を見開く。

まだ赤みとしわが残る小さな額にスッと縦の切れ目が入り、パカリと割れた。

額が裂けたのに赤ちゃんは泣くこともなく、くりくりした三つの目で私を見つめてきた。

そう

三つ

額の割れ目にはもう一つ目玉があった。

え?  なに? 第3の目? サザンア○ズ?!

思わず悲鳴を上げそうになったがここは病院
しかも産科病棟。
赤ちゃんが驚いちゃうから悲鳴なんて上げちゃいけない。

もれそうになる空気を飲み込んで手を動かし続けた。

赤ちゃんの目はさっきよりも速いスピードで柄の影を追っている。
そして私の顔をじっと見つめてきた。

先ほどと違い、はっきりと焦点が合っている気がする。
まだ表情も満足に動かせないだろうけど、その表情はとても嬉しそうに見えた。


室内に水音が響く。
赤ちゃんのママのトイレが終わったらしい。

すると、赤ちゃんの額の目がスーッと細められピタリと閉じてしまった。
額の目にはまぶたもマツゲもないようで、閉じてしまうとどこに目があったのかわからなくなってしまった。

「いつもありがとうございます」
ママさんがにっこり笑顔で声をかけてくれた。

細身で黒髪の綺麗な人
もしかしてこの人の額にも目が?

つい視線が向きそうになるのを堪えながら
「かわいいですね。柄の影が気になってたみたいです」
にっこり笑い返してそそくさと部屋を後にした。

その後は他の病棟などに回されているうちにその親子は退院してしまった。
見間違いか、夢でも見たのかもと思ったりするが、やっぱり本物だった思いたい。

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