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異語り 093 入れ替わり?
コトガタリ 093 イレカワリ?
そろそろ風呂の支度をしようと思い、寝転がっていた座椅子から立ち上がった。
数歩ほど歩いた所で、ユラリと世界が歪む。
あー、立ちくらみか
更年期の症状の一つである「めまい」だと認識しているし、ここ最近はしょっちゅうクラリと来るのでもう慣れたもんだ。
大概は完全に意識を持っていかれる訳ではないので、ゆらゆらと歪む景色の中、両手を壁につけながら風呂場を目指した。
浴室の扉を開け放った頃、めまいのピークが来たらしい。
激しく歪む世界は明滅しているようにチラつき、見える景色があちこちに現れては消えていく。
耳鳴りのような反響音がわんわんと頭の中をかき混ぜる。
今回はちょっときついかも……。
風呂場の入り口に突っ張った両手に加え、右ひざも壁に押し付ける。
ゆっくりと頭を下げながら、もしかしたら座り込まなきゃダメかもしれない。
なんて事を考えつつ、飛び散らかっている世界が落ち着くのを待っていた。
ぐわんぐわん響くいつもの数倍激しい耳鳴り。
高速のスライドショーのような視界。
でも、妙に冷静にそれらを眺めている自分。
やがてそろそろ終演が近づいたらしく、ガクガクと不時着するかのような重力を踏ん張って堪える。
すーっと世界が正常に戻った。
……あれ? なんでこんなところにいるんだろう。
えっ??
現状が把握できない。把握できないことにも驚いた。
世界は正常化したが、脳内がまだ再起動できていないみたいな感覚。
実に数十秒ほどかけてやっと風呂の準備に来たことを思い出した。
色んな立ちくらみを経験してきたけれど、記憶が混乱したことはなかった。
どうにか風呂に湯をはり始める。
リビングに戻りソファーに腰を下ろした。
まだボーッとしている頭を少し整理した方がいい気がする。
なんとなしにテーブルに目をやった。
あれ、さっきご飯食べてなかったっけ?
テーブルにはまだ何の準備もされておらず、息子が隅でスマホをいじっているのが目に入る。
……いやいやいや、夕食はまだこれから作るんだし。
そう思ってはみたが、なぜか食卓についていた自分の姿が思い浮かぶ。
……あれ、ひょっとしてまだ混乱してるのかな
ぼんやりとはしているが、その記憶はやけにリアルだ。
もしかしてさっきまでは自分はこの世界にいなかったんじゃないか?
ふとそんなことを思う。
さっきまでの自分はもうとっくに風呂に入り、家族みんなで食卓を囲んでいたんじゃないか?
何かのきっかけで、あのめまいと共にこの世界に来て入れ替わったのではないか?
あれ以来、それほどひどいめまいに襲われることはなく、日々を平和に過ごしている。
あの一瞬だけ記憶が混乱しただけで、この世界そのものは私がよく知っている世界と変わらないように思える。
何も変わらない。
よく知っている家族・家・自分。
でも、そう感じているこの記憶は本物だろうか?
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