【実録】小学生時のいじめとその対応など
今から私は、思い出せる限りの”いじめ”もといリンチの記憶を思い出していこうと思います。
1 小学4年生
小学4年生になって、おそらく中盤に差し掛かる頃
いじめられる原因となった理由は不明。
1、普段から、何かしらの因縁づけで行われる教室外での集団暴力(授業間の休憩時が主)。日に一度以上あり特定の男子生徒から行われる。
2、これに付随して、特定の人間以外からの暴力、暴言、嫌がらせ行為。
2 小学5年生
小学4年生時からの、暴力を受けては泣くという日常を過ごしていたため、他学年にも舐められるようになる。
小学4年生時からの暴力行為は特定人員が多少変化し延長
暴力行為等を受ける事は日常であるため以降は記憶している特筆事項を記述する。
1、自分の所属しているクラス、他クラスから弱い人間という認識を受けいきり立った女子生徒にもケンカをふっかけられる
2、一学年下の男子生徒に箒用の櫛を使って髪を梳かれる
3 小学6年生
おそらく変化事項なし。
当時私が行った対策
1・親、担任の教師、校長等への周知や相談
2・暴力を受けて、やり返す
3・休憩時間時等に周囲に誰もいないという状況を作らない
4・登校拒否
5・勉強をして、その点で違いを生む
6・無視をする
7・その場から逃げ出す
対策の結果
1・親、担任の教師、校長等への周知や相談
相談等は一時的な場しのぎであり、根本的な解決方法にはなりませんでした。周知はされ、気遣いはされたり、何か行動をしてくれたのでしょうが結局殴られる事に変わりありませんでした。
2・暴力を受けて、やり返す
やり返すという行動を取ると、自分自身にも非があるという事になり喧嘩両成敗法が取られます。やり返しを教室で行うと正義感面した生徒に止められる。全く意味がない。相手は複数いるので多勢に無勢で変わりない。
3・休憩時間時等に周囲に誰もいないという状況を作らない
誰もいない状況を作るという行動は、狭い小学校では100%出来る事ではなく、非常に困難である。不可能
4・登校拒否
登校拒否とは親が味方である事が大前提である。従って私のような孤立無援の人間が取れる行動ではなかったのだ。
登校拒否を親に相談して一日休む事が出来ても、親から家にいることを疎まれるため翌日には、当校を強制される。そして、担任の先生が家に訪問してきて登校を促すクラスの寄せ書きを持ってくる。
そして登校をしても結局は変わらないため解決しない。
5・勉強をして、その点で違いを生む
勉強が出来るようになったからと言って、何が変わるだろうか?テストの点数を公表するでもなし、授業で発言したところで、出しゃばり等と言われて暴力を受けるだけである。
6・無視をする
これを思い行動した時には頭が悪くなっていたのだろうか?暴力を振るう者に無視を決め込んだだけで状況が良くなる訳ない。
7・その場から逃げ出す
逃げ出した所で行く場所はなく、追いつかれる。結局は教室に帰らなくてはならないため解決しない
トライアンドエラーの結論
いじめを受けている者が心に縋れる者は存在しません。逃げる場所も頼る相手も存在しません。自分しか存在しません。これが私の体験した事実です。
当時の精神状況や思考
・常に自殺をしたい、死にたいと思うようになる
・もし自分が死んだら家族は悲しんでくれるのかな?自分に対して涙を流してくれるのかな?自殺に追込んだ彼奴等の人生を殺す事が出来るのかな?と考える
・学校に行きたくないと思う
・日頃のストレスからか腹痛を起こす
・日に一度以上暴力を受けると、過度のストレスで自身の精神状態をコントロール出来なくなる。唐突に泣き出してしまう等。
・周囲に味方は存在しないと意識するようになる
・自分より不幸な人間は存在しないと思い、死んだほうがマシ。自分の首を衣服で締める等の自傷行為をする
・暗い場所に行くと自分の名前を呼ぶ多数の人間の声が頭で再生される(幻聴という程ではなかった)
・自分は生きていると不幸になる人間であると思う。あの時に死んでいれば良かったと何度も思う(一度だけ二人乗りのバイクに轢かれそうになった時があり、その時に死んでいたら良かったと思う)
・「人間とはなにか」という自問自答を繰り返し、一種の悟り開く(この時の思考が今の自分を生成している)
・表情を出していると難癖を付けられて暴行に遭うことが多々存在していたため表情を殺す事をしていた。(特に笑顔が顔に出るとニヤニヤしていてキモいと言われるので、内頬を噛み表情を殺していた)
その他
家にいるときは何も起きないため普段通りに過ごし、夕飯を食べていると母親から「本当に学校でいじめ受けているなら、食欲も落ちて夕飯なんか食べれないはず」と言われるという事が嫌でした。
学年だけでなく、学校全体が敵で、下級生にも言葉を投げ掛けられたり、行動されるのが本当に屈辱的でした。
小学校とは動物園より野生動物の社会にも遥かに劣る無法地帯でした。
アクション映画でよく見る攻撃のいなし方、攻撃を弾くというのを日常的に使えるようになり、暴行を受けている際に役に立ちました。
表情を殺し、感情を抑え、常に冷静でいることを覚えました。
(思考はひねくれ者になったのか因果関係があるのか、元々そうだったのかは不明)
常に冷静でいるという事は、泣いたり笑ったりすることが出来なくなるという事です。たまに、人が喜んでいたり悲しんでいることを表に出せる人が羨ましく思えるようになりました。
ここまで暴力を受けて、精神を攻撃されている過去があると、中学高校に上がってからの身体的特徴を揶揄されるという事は嫌だが、些事としか思えなくなりました。
私が考えるいじめの対策方法
対策方法
1・暴力で負けない事
2・裁判をする
当時、私にはそこまで複数の相手を圧倒出来るほどの腕力や体力はなかったので出来ませんでしたが、いじめが起きる原因とは単純であり「舐められる」という事に起因すると思います。生物として舐められないようにすれば、取り敢えず自身が目標とされる事はないと思います。
もし、大人が味方であれば法に頼る事も出来たかもしれませんが、子供の、小学生にそこまでしてくれる大人なんていませんね。
あとがき
いじめ問題に触れる者について
上っ面の事だけを汲み取って、大して知ろうともしないで
「いじめは良くない!自殺は良くない!」と発言する輩は非常に不愉快です。
それを言う人ほど、味方にもならないし、お気持ち表明の嘘を言って傍観者を貫くからです。だったら何も発言しないほうがまだマシというものですから。
それに付随したフィクションも話も嫌いです。鬱になったけど同居していた連れがいたので立ち直れました話みたいに心底苛立ちます。私の観測した現実にハッピーエンドはありませんでしたし信じられないからです。
ここまで色々述べてきましたが、いじめをしていた者に対して、寧ろ感謝をしている自分が存在しているのです。これがなければ今の自分は存在しないという意味で感謝しています。ただ、いじめをしてきた人達に話しかけられたりする事に関しては良い気持ちはしません。
勿論、当時は相手を恨んでいたし殺意を抱いていました。今はもう、どうでもよくなりました。
その後小学校を卒業してから私は、どうしたら、いじめ問題を現実的に解決出来るかを考えてきました。そして、同様の事が目の前で起こっていれば止めさせるように行動をとったりしてきました。
それは被害者が可哀想だから、自分の正義感で動く等という理由ではなく、昔の自分を思い立たせるような苛立ちと、目の前で行われる不快さで止めるのが理由です。
結論としては、現実は残酷であり、いじめを受けて救いの手を求めて、伸ばしてくれた手が救いに足り得るということはないのです。今が酷いから次は必ず良くなるという確証はありません。因果法則等と言って抗うことを辞めてはいけません。自分を助けるのは他者や社会ではなく、自分の行動だけなのです。
だから安易に"貴方にも絶対に助けてくれる人がいます"等の言葉は言うべきではないのです。それは大人や上の階層の人間が言う自発的行動を辞めさせる。面倒の芽を潰す戯言です。決して抗う事を辞めてはいけません。それが倫理や法に背く行為だとしても手を止めず自分で行動しましょう。
私的な本論に対する結論は
不当な暴力に対抗出来るのは言葉ではなく、武力でしかないです。
それは歴史が証明しています。未だかつて、言葉で争いを止めることは出来ていません。
「ペンは剣よりも強し」という言葉はありますが、これは弱者が強者に対して使う反抗の言葉等ではなく、ペンとは権力そのものを表した言葉なので今回の記事には一切関係ありません。