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書店員としての仕事は毎日が文化祭みたいだ
書店員として初めて店に立った日のことは今でも覚えている。
事務室での研修を終え、売り場に出る。
駅前には何件か書店があったが、その中でも雰囲気の落ち着いた、私にとってお気に入りの書店。
今日からここが私の仕事場になるんだと、期待と興奮を胸にフロアへの扉をくぐった。
私は前職がIT関係のデスクワークで、「本が好き」という理由だけで仕事内容が180度くらい違う書店員になった。
そこで私が感じたのは、書店員としての仕事はなんだか文化祭みたいだな、ということだった。
入荷してくる本を棚に並べたり、お気に入りの本にPOPを書いたり、フェアを企画して設営したり。
そういった作業が文化祭の、お店を自分たちで作り上げる雰囲気を思い出させた。
前職では、出勤してすぐパソコンと向き合い、それから空が暗くなって退勤するまでパソコンで作業し続けていた。
そんなふうに「仕事」といえばデスクワークの経験しかしていなかった私にとって、書店員としての働き方は新鮮で楽しく感じられるものだった。
体を動かして働く気持ちよさというものは確かにあると思う。
お客さんを案内するために売り場を端から端まで横断したり、本の入った重い段ボールを持ち上げたりといった適度な運動は健康的で、ストレス発散にもなる。
デスクワークをしていたときは、座りっぱなしで腰痛はつきものだったし、長時間のパソコン仕事による眼精疲労と頭痛は悩みの種だった。
不健康にならざるを得ないそんな働き方と比べれば、書店員としての働き方は実に気持ちのいいものだった。
それとここまでくるとどうして前職でIT関係を選んだのかが疑問なのだが、書店の仕事は何かにつけてアナログなのも心地よかった。
本に囲まれた環境で仕事をするのはなんとなくホッとするし、ブックカバーをつけたり油性ペンでPOPを書いたりといった作業も好きだった。
こんなふうに書店ではとにかく”紙”を使う作業が多いのだが、元々が木だからか、紙はそれ自体が優しさを含んでいると思う。
ペーパーレスと言われて久しい昨今で、紙の手触りを感じながら仕事ができるのは、贅沢なことなのかもしれない。
私が働き始めた書店では、大学生も何人か働いていた。
このことも、書店員の仕事が文化祭みたいだと思った一因かもしれない。
歳はこちらが上だが、書店員歴は大学生の方が上なので、仕事を教えてもらうことも少なくなかった。
大学を卒業して依頼、学生の先輩に何かを教えてもらう機会なんてなかったので、なんだか懐かしくてまるで学生に戻ったかのような気持ちになったのを覚えている。
彼ら彼女らは大学生といっても勤務年数も長く、仕事も丁寧に教えてくれるので、書店員に成り立ての私にとってはとてもありがたい存在だった。
そんな中で気づいたのが、学生が働ける職場はいい職場ではないか、ということだ。
前職は「会社」という感じの会社だったので、当たり前だが周りは全員年上で、学生というかアルバイトすらいなかった。
でもそんな職場だと、ときに理不尽なことがあっても「仕事なんだから当たり前だよね」という価値観がまかり通ってしまう。
そして、職場という閉じた環境でその価値観が成熟し、浸透した結果、仕事が不必要なまでにどんどんつらいものになってしまう。
ただ、そんな中でも学生には「仕事なんだから我慢しろ」という理論が通用しない。
まだ学生のアルバイトなんだから、理不尽なことがあったら辞めればいいだけだからだ。
つまり、学生は大人の間では通じる「理不尽なことがあって当たり前」という価値観を客観的に見ておかしいよね、と提示してくれる存在なのである。
そんな学生たちが長く働いている職場は、理不尽なことが少なく、また理不尽なことがあっても周りがちゃんとフォローしてくれる環境なのではないだろうか。
学校を卒業したばかりの新入社員が、「学生気分」という言い回しで揶揄されることがある。
でも私は、学生気分ではできないほど理不尽なことがある仕事の方がおかしいと思ってしまうし、どうせ働くなら少しでも心地よく働きたいと思っている。
書店員としての仕事は毎日が文化祭みたいだ。
だから、私は研修生として売り場に立ったあの日から、3年経った今でも書店員を続けられている。