接客業の憂鬱
私は書店員として3年ほど働いている。3年も働けば、接客業の酸いも甘いもがわかってくる。その中でも印象に残っているのは「酸い」の方が多く、接客業のしんどさを身を持って経験してきた。
接客業で大変なことと言えば、やはりお客さん対応である。私は接客業で一番楽しいのは接客だと思うが、一番しんどいことも接客だと思っている。例えば、書店の常連さんに名前を聞くと大声で怒鳴ってくるおじいさんがいた。注文品を渡すときは相手の名前を確認するのだが、そこで名前を聞くとプツンと糸が切れたように怒り出すのである。つまりは「常連の俺の名前を覚えていないなんて失礼だ」ということなのだが、初対面で怒鳴り散らす方がよっぽど失礼である。
レジ対応がマニュアル化され、セルフレジも台頭してきた現在、店員さんのことを機械としか見ていない人が増えた気がする。機械相手だからそんなふうに怒鳴り散らせるのかと思っていたが、よくよく見てみるとそうではなかった。その人たちは店員を確かに一人の人間として見ている。自分より立場が弱く、怒鳴り散らしても何もやり返してこない人間を選んで攻撃し、日頃の鬱憤を晴らしているのだ。セルフレジ相手に怒る人はいない。セルフレジの誤作動で怒られるのは、その店の店員である。相手に感情があるからこそ、怒鳴りがいがあるのだ。
その中でも、書店員というのは怒鳴りやすいのだろう。見た目が「ザ・文化系」という人が多く、メガネ率は過半数を超えている。要するにお客さんから舐められやすいのだ。私も理不尽なクレームが続いてレジに入ることがほとほと嫌になってしまった時期がある。もう舐められたくない、そう思った私はとにかくレジで大きな声を出すというのを意識した。人間とて動物、大きな声を出すものは怖いはずである。それに加えて、前髪をワックスで上げておでこを出し、強そうなG-SHOCKの時計を買って見た目から舐められないことを意識した。今考えるとバカみたいな話しだが、当時はそうしないとレジに立てないほど追い込まれていたのである。
そんなふうにして疲れてしまった心身を癒やすためには休みが必要だ。それなのに、接客業は休日が少ない。土日祝日こそが稼ぎ時だから出勤しなければいけない。これはまだわかる。でも、祝日に出勤した分の振替休日がないことが私にはずっと疑問である。接客業は基本的にシフト制で、例えば週に5日出勤だとすると、その週に祝日があってもそれは無視されて通常通り5日間の出勤となり、なくなった祝日の振替休日は用意されないのが当たり前となっている。シフト制なら祝日なんて関係ないという不文律が接客業にはあり、従業員の休みより店が休みなく開くことが優先されている。テレビでアナウンサーが「さあ、いよいよ明日からゴールデンウィークです。みなさんはどんなふうに過ごしますか?」と笑顔でなんの悪気もなく言っているのを見ると悲しくなってしまう。
それにシフト制だと休みが平日になりがちで、土日休みの友達とは予定が合わず、休日に遊びに出かけることもできない。楽しそうなイベントもやっているのは週末ばかりで、休日は孤独に過ごすことが多い。接客業をやっていると、世の中がどれだけ土日休みの正社員を中心に回っているのかがわかってしまう。
ここまでつらつらと接客業の愚痴を述べてきたが、それなら私はどうしてそんな接客業を辞めずに続けているのか。それはひとえに本が好きだから、というのが大きい。本が好きなら出版社や取次(本の卸業者)で働くという選択肢もある。でもそれよりも、書店で本を売ることが好きなのだ。自分が力を入れて育てた棚から本がたくさん売れたり、POPでおすすめした本をお客さんが買ってくれたりすると、やはりうれしいものである。
接客業をしていると確かに憂鬱なことがたくさんある。でもその中に少しだけうれしいことや楽しいことがある。両手いっぱいの砂の中に、わずかに光る砂金が混ざっている。それを拾い集めて、今日もなんとか書店員を続けている。
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