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アルコール依存からソバーキュリアスに移行した医師 「断酒」その理由と方法【個人情報あり】

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はじめに

飲み会で酒飲んでたら待機で呼ばれて、酔ってたけど心カテした〜!とか、緊急オペで呼ばれて酔ってたけどオペしてきた〜!とか。
普通の接客業の方なら、酒を飲んで仕事してたら大炎上するのですが、医者の世界は何故か待機中なら酒を飲んでても許される雰囲気があります。(昔は当直中に普通に酒を飲んでた医者も居たし、それが許されていた)

こんにちは。今回はアルコールのはなしを書きました。わたしは日常的に飲酒をしておりましたが、あるきっかけから断酒を始め、これを書いている2023年11月30日の時点で1ヶ月のあいだ、一滴もアルコールを飲んでいません。
大学に入学してから医師になるまでの医学生(6年間)のあいだはほとんどアルコールを飲まない生活をしていました。勉強が忙しく、試験前は1週間缶詰で勉強して、試験が終わったら打ち上げと称して友達と飲みに行くだけです。日常的に飲むことはありませんでし、酒を飲むことよりも楽しいことがたくさんありました。わたしは運動部に所属していたので、部活の飲み会はありましたが、その席でもほとんど飲酒はせずに、きちんと会話を楽しむようなタイプでした。(くそ面白くない後輩であり、くそウザい先輩だったと反省しています)

医師になってからも、研修医のあいだは飲み会があれば参加して軽く飲む程度で、自宅の冷蔵庫にアルコール飲料が冷やしてあることはほぼありませんでした。飲み会となれば、結構な量を飲酒してもあまり酔わなかったのですが、酔った勢いのフリをして女の子と仲良くなることもありました笑

研修医のあいだは、仕事も楽でゆっくりと生活して自分の時間を楽しむ事もできていたのですが、3年目以降の後期研修になると専門医を取るための症例数をこなさねばならず、論文も書かねばならず、学会発表もこなさねばならず、また責任を持って主治医として患者さんにあたることも増え、仕事は一気に忙しくなりました。自分の趣味を楽しむ時間は無くなりました。いまのように医師の働き方改革が話題になるようなこともなく、余裕で毎月100時間以上の残業をしてましたし、救急当直をしてそのまま翌日の勤務に突入することが当たり前の時代でした。何の疑問も感じずに忙しく仕事をしていました。


医師◯年目から飲酒量が増えた理由

医師になって5年目くらいでした。毎日仕事は忙しく、土日も待機があり呼び出されて働き、そのまま休みがないまま月曜日を迎えるような生活をしていました。その日に家に帰っても仕事のことだけを考えるような生活をしていたので、いま考えると精神的にかなりテンパっていたのだと思います。
その頃、日常的な飲酒を始めました。週末に缶ビールを箱買いして、冷蔵庫に冷やしておきます。家に帰ったときは、冷えたビールを飲む。飲酒をすれば(そのときだけは)少しは仕事のことを忘れられるので、ストレスは軽減できていたのだと思います。酔って寝て起きればまた病院に行って仕事ができるくらいに回復していました。こんな生活を5年目から10年目まで続けていました。

ビールは1本目がとても美味しく感じて、2本目3本目からは惰性で飲んでいる感覚になってきます。ただの義務感です。何本飲んでも酔わない感じになります。(ホントは酔ってます。)これを限界効用逓減の法則と言います。美味しい食事も、気持ちの良いセックスも毎日のようにやっていたらすぐに飽きてしまいます。また次の美味しいもの、次の女の子を追い求めるようになるのです。

アルコールも他の薬物同様、依存性があるので、医師10年目以降のわたしは依存症となり日常的に飲酒をしていました。休日は待機であろうがアルコールを飲んでいましたし、待機で呼ばれると飲酒した状態で働いていました。(当時は待機ならアルコールを飲んでも良いと本気で思っていた。いまは駄目です)
そんなこんなで、ここ数年間は仕事以外のときはほとんどアルコールを飲んでいたましたし、外食に行っても必ずアルコールを飲むし、友達と会う時も必ず飲酒していました。

客観的に見るとあきらかにアルコール依存の状態でしょうが、自覚はしていませんでした。「毎日一生懸命働いているからアルコールくらい飲んでも良いだろう」という謎の自信がありました。


酒は百薬の長

漢王朝を破った王莽という武将が新という国をつくりました。紀元8年くらい、いまから2000年も前の話です。「夫れ塩は食肴の将, 酒は百薬の長, 嘉会の好, 鉄は田農の本」と触れ回り、塩と酒と鉄を政府の専売特許としました。政府が作って国民に売る、その時に多額の税金を課すことで国を潤せようとしましたが、新はわずか15年であっけなく反乱で倒れてしまいます。政策事態は愚策でしたが、「酒は百薬の長」というキャッチフレーズだけは独り歩きして、2000年経過した現在でも生きている言葉です。「酒はどんな薬よりも優れている」という意味で、いまだに大酒家が酒を飲むときの言い訳に使っていますし、なぜかこの言葉は市民権を得てまことしやかに流布しています。マーケティングとしては大成功をおさめ、いまでもアルコール飲料会社は政府のお墨付きをもらってアルコールを生産する権利を持っていますので、濡れ手で粟の商売ができるのです。

恥ずかしながら、わたしも少量の飲酒は循環を促進し、ワインなどのポリフェノールは老化の防止に良いと信じて飲酒している時期もありました。
2018年にLancetに以下の論文が発表され、飲酒にたいする世間の見方が大きく変わります。

https://www.thelancet.com/article/S0140-6736(18)30134-X/fulltext

論文の要旨は、飲酒は少なけりゃ少ないほど良い。なんなら一滴も飲まないほうが良いのだという結論になっています。男女問わず、国を問わず、年齢を問わず、飲酒は害悪でしかないことが科学的根拠を持って証明されました。酒は百薬の長、は嘘だったことになります。

2023年11月には、政府が公式の見解として、成人男性の一日の飲酒量は20gが適正と発表しました。20gとは、ビールなら500ミリリットル(缶ビール1本)、日本酒なら1合、ワインならグラス1杯です。しかも1週間に2回は休肝日を設定するように推奨しました。
政府も国民の飲酒を制限して健康寿命を伸ばす方向にかじを切ったようです。このような流れから、2000年くらいから急に喫煙者に対する風当たりが強くなったように、愛飲者への風当たりが強くなっていくことが予想されます。日本は諸外国に比べて、公共の場での飲酒が容認されていますが、今後大きく環境が変化するのは間違いないようです。


酒を辞めたほうが良いなと漠然とは思っていましたが、なかなか実行にうつすことができず、飲酒は続けていました。以下、わたしが酒をやめようとして試みたことを列挙してみます。ここからは個人情報が含まれるので、有料とします。

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