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【短編小説】奇妙な落とし物(前編)
このマンションの105号室に越して来て、2年が過ぎようとしていた。
にも関わらず、私たちにはまだ知らないことがあった。
上の階にどんな方が住んでいるのか、ということだ。
逆に知っていることもある。
105号室のちょうど真上である205号室には、少なくとも3人が住んでいる、ということだ。
このマンションは壁が厚いようで、両隣ともそれほどノイズはない。
一方、天井からはよく音が響いてきて、この2年で私は3種類の足音を区別できるようになっていた。
1つ目は、ドンドンドンと割と重くて鈍い音
2つ目は、トンットンットンッと軽やかだが忙しない音。
3つ目が1番厄介で、ドタドタドタドタドタドタと荒っぽい音だ。
これが始まると、殆ど途切れることなく十数分は続く。
うちと同じ間取りなんだからそんなに動き回るスペースないだろう、と突っ込みたくなるくらいにしつこい。
今朝もその足音で睡眠を妨害された。
枕元のスマートフォンを見ると、まだ6時を過ぎたところだった。
「ねぇ、いくら何でも今朝のはうるさすぎない?平日ならともかく休日だよ」
朝食を準備しながら、夫であり同居人である陽介さんに声をかける。
陽介さんは二度寝からさっき覚めたところで、寝巻きのままリビングに出てきた。
「そうだね、僕も起きちゃったよ。でも、こういうのってお互い様だから」
陽介さんの言う通り、うちが他所に全く迷惑をかけていないか?と問われれば、「かけていない」と断言はできない。
特に、今回問題になっている「騒音」に関しては、自分達の生活音が他の部屋からどう聞こえているのか、知る機会がないからだ。
実は陽介さんが毎晩風呂場で歌っているのも、他の部屋では不協和音になっているのかも知れない。
だから、どんなに上の階の人の足音が煩わしいと感じても、郵便受けにその旨を書いた手紙を入れることも、大家さんに伝えることもしなかった。
そんな中、大家さんに相談しなければならないことが起きた。
先に断っておくが、迷惑な足音のことではない。
陽介さんと朝食を食べ、洗濯物を干そうとベランダに出た時だった。
1階のベランダには、外から見えないよう手すりの向こう側に生垣が植えてある。
その生垣の上に、昨日はなかったはずの浅葱色のタオルが乗っていたのだ。
赤や黒や黄色で自動車のイラストが書いてあり、子ども向けのもののようだった。
私は予定通り洗濯物を干しながら、陽介さんを呼んだ。
「陽介さん、ちょっと来て。タオルが飛んできてる」
「ん?ああ、本当だ。うん、そうかもね、上の階の人のかな?」
陽介さんの言う通り、上の階の人の洗濯物が風で飛ばされ落ちて来たと考えるのが妥当だろう。
ただ、このマンションは5階建てなので、このタオルは真上の205号室の人の落とし物だとは限らない。
落ちた時の風向きによっては、お隣さんのその上の部屋の可能性もある。
「どうしよう、拾って大家さんに預けた方が良いかな」
「あの位置だったら落とした本人の部屋のベランダからも見えそうだし、落としたことに気づいているかも知れないね」
「大事なものだったら自分のだって名乗り出るんじゃないかな」
「大家さんがやるにしても、多分うちのベランダから拾う方が簡単だよね?」
「もしあのタオルがお子さんのお気に入りなら、無くなったら困るよね」
陽介さんとあれこれ話ながら、3つ目の足音のことが気になった。
まだ加減も分からないままに思い切り踏み締めて歩くそれは、きっと子どもの足音だと思っていたからだ。
詰まるところ、私はベランダから少し身を乗り出してタオルを拾い、大家さんのところへ持って行くことにした。