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小説版の発売が近いので『ドキドキ!プリキュア』の魅力と、致命的な不安点の話をする

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』40ページ

地球が大ピンチ! 残された最後のプリキュア!!

これが、ドキドキプリキュア第1話のタイトルだ。
一応言っておくが、プリキュアシリーズの第1話タイトルが毎回こんなに開幕フルスロットルなわけではない。

初代『ふたりはプリキュア』第1話は「私たちが変身!? ありえない!」だったが、その後にシリーズとして確立して以降は「○○!キュア✕✕誕生!」といった形のシンプルなタイトルが多い。
そんな中、あからさまな異彩を放つタイトルで2013年に登場した本作は、タイトル通りのジェットコースターのような勢いと、意外なほどに現実的で地に足の付いた価値観を両立した、文字通り胸がドキドキするような傑作だ。俺はプリキュアシリーズをほとんど全部観ているが、ぶっちぎりで本作が最高だと思っている。

そんな本作だが、放送終了から10年が経った今年の1月に小説版の発売が発表された。

こいつはかなり衝撃的なニュースだった。
というのも、上では「傑作」と書いたが実際のところドキプリの世間的な人気は決して高いとは言えず、例えば2019年に行われた『全プリキュア大投票』の結果を見ると、作品人気としては当時16作品のうち11位以下(公表された上位10作品の圏外)で、上位25名が公開されているプリキュアの投票を見てもドキプリ出身のプリキュアは一人もランクインしていない。

もはや新作以外では初代とプリキュア5ばかり異常に優遇した商品展開を続けている公式が、2024年にもなって今更こんな不人気作品を売り込んでくるとは夢にも思っていなかったわけだ。
ともかく、本作のファンとしては再びドキプリを楽しめることを素直に喜べ……ればよかったんだが、本作に関しては一つ、本当に致命的な不安点が存在する。
著者の山口亮太氏だ。

彼はアニメのドキプリ本編のシリーズ構成作家を担当していた人物であり、本作の脚本家の一人でもある。小説の執筆実績は決して多くないが、ドキプリの小説を手掛ける人材としては全く不足は無いだろう。
では何が問題なのかと言うと、彼が堂々と「山口亮太」名義のtwitterアカウントで「#岸田辞めろ」とハッシュタグを付けてツイートするようなタイプの人物であることだ

https://x.com/staffwhy/status/1778660677626007853

俺は彼のアカウントを昔から追っていたわけではないので一体いつからこうなったのかは分からないが、とりあえず本記事の執筆時点でもかなり政治色の強いツイートのRTを頻繁に行っているのは確認している。

ここで誤解を招かないために言っておくが、俺は政治的な主張が強いことがダメだと言いたいわけではない。右翼でも左翼でも思想は自由だ。エンタメ感覚で対立勢力を罵倒するのは全く褒められたことではないが、それが作品に滲み出ているわけでもなければ作者への好感度が下がるだけで済む。

作品に滲み出ているわけでもなければ、だ。
ここで最大の不安点の話をしよう。
ドキプリの主人公、相田マナの将来の夢は【総理大臣】だ。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』16ページ

小説版はアニメ本編よりも後の時系列だ。
キャラクターたちが将来について真剣に考え始めるエピソードがあっても何ら不思議ではない。実際、スマイルプリキュアの小説においては「各キャラクターの将来の姿」に焦点が当たっていた。
つまり、マナに政治の話をさせるために最高の舞台が整っている。

なあ、考えてみてくれよ。憧れのヒーローが作者の操り人形にされて、「この国の政治は腐っている」とか言い始める姿を。大好きだった作品を、放送から10年も経ってグチャグチャに汚される様子を。

もちろん、まだ確定したわけじゃない。
少なくとも元のドキプリに政治批判のような内容は無かったし、山口亮太氏が作品に政治的な主張を持ち込むほど腐っていない可能性もあるだろう。
万一、下書きにはそんな内容があったとしても、周囲がストップをかけている可能性だってある。
しかし、それでもだ。
作品のファンとしては素直に喜ぶよりも「頼むから余計なことだけはしないでくれ」と不安ばかりが膨らむ状況なのは分かるだろう。

そんな小説版の発売日は2024年9月17日。あと3日だ。
俺が浄化されるか、最強の怨霊として覚醒するか。運命の日は近い。

それはそれ、これはこれ

さて、一番書きたいことはもう書いてしまったが、せっかくなのでここからは本作の魅力……勢い地に足の付いた価値観について語ろう。
これだけ言っても何が何だか分からないと思うので、長くなるが順を追って語っていく。
なお、この先は数話ほど個人的に印象深い回のネタバレを含んだ内容になる点はご了承願いたい。(流石に放送終了後10年も経った作品のネタバレで今更怒る奴はいないと思うが)

まず第一に、本作のテーマは「」だ。恋愛や家族愛などに限定せず、とにかく誰かを想う心全般としての愛がテーマとなっている。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』96ページ

そして、本作の敵は「ジコチュー」だ。その名の通り自己中心的な心から生み出された存在で、身勝手な主張をしながら暴れ回る。
そもそも、このジコチューが生み出される流れが面白くて、基本的には以下のような流れがテンプレだ。

  1. 「列に並んで待つのが面倒だから横入りしたい」等、誰かが自己中な思いを抱く

  2. しかし、すぐに「そんな悪いことはダメだよな」と思い直す

  3. そこに敵幹部が現れ、「やっちゃえばいいじゃん」と唆す

  4. その人のプシュケー(心)が抜き取られ、ジコチューが生み出される

この「ジコチュー化する人」は突然出てきたモブであることも多いが、「ちょっとズルいことを考えてしまうけれど、それを抑える良い心もある」様子が描写されているおかげで、助けるべき人としてしっかり印象付く。
そして、それを悪の道に引きずり込む悪役の立ち位置も分かりやすいし、
ジコチューを生み出す際に敵が叫ぶ「暴れろ、お前の心の闇を解き放て!」との台詞も、普通にカッコよく決まっているのが印象的だ。

近年のブンブンドルドルとかガルガルとか、赤ちゃん言葉みたいなセンスに傾倒してきたプリキュアはこの時代のカッコよさを思い出してほしい……いや、こういう愚痴はやめよう。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』40ページ

ともかく、本作の敵はジコチューだ。
そんな作品なので、もちろん本作は自己中心的な考えや振る舞いを、基本的に「悪」として扱っている。たとえ、その出所が愛だったとしてもだ。

本作では、例えば自分の家族や恋人を守るために第三者を犠牲にするような自己中心的な愛について安易な肯定をしていない。かと言って、「他者に迷惑をかけるなんて言語道断!」と一面的に断罪もしない。
「誰かを想う心は素晴らしい」「だが、それで他人に迷惑をかけるのは悪いこと」と、肯定するべきところは肯定しているし、否定するべきところは否定している

この文章を読んだ人は「そんなもん当たり前だろ」と思うかもしれないが、実際のところプリキュア作品は子供向けだからなのか結構この辺りが切り分けられていない事が多く、「結果がどうあれ、誰かを想って行動したなら素晴らしいこと」とだけ結論付けて終わらせるパターンが非常に多いのだ。
俺はその度に、「まあ言いたいことは分かるが、失敗して迷惑をかけたこと自体は叱れよ」とモヤついた思いを抱えていた。
そんな点について上っ面だけの優しい言葉で誤魔化すことなく、しっかりと向き合っている。それが本作の大きな特徴だ。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』54ページ
(中央のピンク色がシャルル)

上記の点について象徴的なのが、第29話『マナのために! シャルル大変身!』だ。
この回は、多忙な主人公を見かねた妖精が人間に変身してお手伝いをするのが中心となっている。
大体、プリキュアの日常回において妖精がやる気を出すとロクな事にならないのが通例だ。そして、妖精のやらかしを主人公が許してあげるまでがセットになっている事が多い。

では本作はどうかと言うと、最初は妖精シャルルの妙に自信満々な態度もあって非常に不安を感じさせるが、いざ始まってみるとシャルルは本当に優秀な働きをする。
しかし、届け物に行った先でトラブルに巻き込まれてしまい、マナの元に戻れずにいる間に敵が出現。妖精がいなくてマナが変身できず、ピンチを招く。
そして、その後マナと再開するも「自分のせいだ」と泣き出すシャルルに、マナがかける言葉が、こうだ。

「悪いのはシャルルだけじゃない。私も同じ」

「シャルルは悪くない」ではなく、「お手伝いを止めなかった自分も悪い」だ。シャルルが失態を犯したこと自体をチャラにはしていない。
実際、本作におけるシャルルたち妖精の本来の役目はプリキュアを支えて戦うことなので、マナたちの個人的な手伝いをすることは「やらなくてもいい余計なこと」だ。
その余計なことをやったせいでジコチューが暴れ回る時間が伸びれば、その被害者となるのはマナたちだけに留まらない。
たとえお手伝いがしっかり成功していたとしても、それはそれとして失態を安易に肯定してはいけない。本作には、そんな厳しさがある。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』55ページ

それはそれとして、実際にシャルルたちのお手伝いにマナが助けられていたのも事実であり、失態を糾弾して成果まで否定するような論には陥らない。
良い結果も悪い結果も踏まえた上で、マナは「自分たちのために頑張ってくれたシャルルたち妖精の失態は、今度は自分たちが頑張ることでカバーする」と奮起する。

問題を誤魔化さず、成果も否定せず、そして前向きに突き進む。
そんな考えが一貫しているおかげで、本作は爽快でありながら決して子供騙しではない、骨太で深みのある物語に仕上がっている。
それが本作全体を見た上での、最大の魅力だ。

世界を滅ぼす(本当に滅ぼす)

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』42ページ

さて、理屈っぽいことをウダウダと書いたせいで自分で言っていた本作の勢いとやらがイマイチ伝わっていない気がするので、その辺りを書こう。
とにかく印象深いのが、敵が結構全力で世界を滅ぼしに来ている点だ。

まず本作のプリキュアの一人、キュアソードの故郷であるトランプ王国は第1話時点で既に敵によって滅亡に追い込まれているし、わずか6話の時点で(当時の)敵のボスがプリキュアを全滅させようと出張ってくるエピソードがある。
だが、それ以上に印象的だったのは第31話『大貝町大ピンチ! 誕生! ラブリーパッド』だ。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』39ページ
(左がグーラ、右がリーヴァ)

この回は、プリキュアたちに敗北を続けて後がなくなったリーヴァ&グーラのコンビが「次こそ本気」と言って決戦を仕掛けてくる、中盤の山場だ。
この手の、負けが続いた敵幹部が「最後のチャンス」として挑んでくる回はシリーズの恒例とも言えるが、大抵その内容は「普段より必死になって戦う」「肉体に負担の大きい強化アイテムを使う」くらいが精々だ。

だが、この二人の「本気」は本当に本気を出していて、何をするかと言うとマナたちの住む街に「ジコチューの種」という病原体のようなものをバラ撒いて、町の人々を無差別に怪物に変えようとする
これに感染した人は、最初はただ意識を失って眠るだけだが、徐々に心を侵食されてジコチューと化す。
そして、このジコチュー化は伝染していくため、ひとたび町の人々がジコチューと化したが最後、どんどんと被害が拡大して最終的には地球全ての人類がジコチューに変わり、さらにその世界中のジコチューたちの力によって、現在は封印されている敵の親玉も目覚める……という計画だ。
彼らはこれを「自分たちが世界を滅ぼすときに使う最後の手」と言うが、ラスボスならともかく中盤の敵がここまで全力で世界を滅ぼしに来るとは流石に思っておらず、「そこまで本気出さなくていいだろ」と思った。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』55ページ

この回は演出を含めて本当に怖くて、まず街の人が次々に倒れて騒ぎになり、ニュースで中継しているアナウンサーも倒れ、スタジオのキャスターも倒れ、果てにはマナたちの家族までもがバタバタと倒れていく。
この時点ではまだ敵が何をやっているのか判明していないのだが、とにかく「このまま放置していたら取り返しのつかない事になる」のがひしひしと伝わってくる。

その後は計画を明かしたリーヴァ&グーラとの決戦になるが、これがまた当然のようにプリキュアたちを圧倒するのは想定通りとしても、一つ前の回でプリキュアたちが必死の思いで手に入れた切り札のアイテムを、彼女たちの目の前で粉砕してみせるくらい念入りにボコボコにしてくる始末で、本当に全てを打ち砕かれたプリキュアたちの絶望感は類を見ない。

とは言え、もちろんそれで終わるわけじゃない。
そこから希望を取り戻し、彼らとの決着をつけるシーンはBGMも相まって本当に盛り上がり、本作らしい明るく勢いに満ちた、胸がすくような決着となる。

ヒーローの資格

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』40ページ

本作は、全体を通して観れば決して暗い雰囲気の作品ではない。むしろドタバタしたギャグ描写に満ちた、かなり明るい雰囲気の作品だ。
出てくる敵も「ジコチュー」なだけあって変な性格の奴が多いし、度々ゲーム的で妙ちくりんなギミックが仕込まれている。
例えば第2話に登場する信号機ジコチューは、「相手の動きを止める光線を放つが、その効果は尻の歩行者用ボタンを押されると消える」特性がある。

こうして書くとふざけているように見えるかもしれないが、実際に光線を受けたマナ(キュアハート)が石化したようにピタッと止まって全く動かなくなる様子は結構普通に怖く、ジコチューが敵としてはしっかり脅威なのが伝わってくる。
こうしたメリハリのあるバトルシーンも本作の魅力の一つで、笑っちゃいそうなお馬鹿な要素もあるのに、ちゃんと緊迫感もある。そんな文字通りドキドキする展開がぎっしりと詰まっていて、一話一話が毎回楽しい。

そして、俺がこの第2話でそれ以上に好きな部分がある。
マナの相棒であり、後にキュアダイヤモンドとなる菱川六花なんだが、上の画像からも分かるように本エピソードで敵の能力を解除するのは彼女だ。
つまりバトルに参加してマナを手助けするわけだが、まだ彼女は、この回ではプリキュアに変身しない。完全に生身のまま、一般人としてマナを助ける。

とにかく俺は「ヒーローとしての力を得る前から、一般人なりに悪と戦うシーン」が好きだ。
怪物が怖くても、自分がどれだけ無力でも、困っている人を助けたい。
あるいは、たとえ勝てなくても一矢報いてやらないと気が済まない。
キャラクターがそんな姿を見せてくれると、その人物がヒーローとして覚醒することの説得力や、納得感がグッと増すんだ。
そんな「ヒーローの資格」が、この回では象徴的に描かれている。

なぜドキプリは人気がないのか

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』41ページ

さて、本作の魅力的だと思うことをあれこれ書いたんだが、先述したように本作は『プリキュア』シリーズにおいて下から5本の指に入るくらいの不人気作品だ。
まあ、これは単純に本作が放送されていた頃が商業的にプリキュアが斜陽だった時期であることも無関係ではないと思うが、個人的には本作の内容に関しても、プリキュアと言うか、女児向け・女性向けらしくない要素が多い点の影響が小さくないと思っている。

これが一番目立っているのが本作のプリキュアの一人、キュアロゼッタとなる四葉ありすの関連エピソードだ。
まず彼女は、プリキュアの素質があると言われながらも一度は断っているのだが、その理由は「過去にマナの悪口を言った男子たちにブチギレて物理的にボコボコにしたことがあり、そんな自分が大きな力を振るってはいけないと考えているから」と明かされる。
こんな、プリキュアよりも週刊少年ジャンプに適性がありそうな人物が本作の主要人物の一人だ。

個人的には、このいじめっ子がありすにちょっかいを出していた際の「お嬢様だからって72色の色鉛筆なんて生意気なんだよ!」と、絶妙に庶民臭さの漂うお嬢様要素のシュールさも印象深いんだが、重要なのはそこじゃない。

女性向けの作品において、悪い男をやっつける展開は珍しくない。
ただ、そういった場面と言うと大抵は「物怖じせずにビシッと反論してやったら男が黙り込む」「笑顔で威圧するだけで男が震え上がって逃げ出す」といった具合に気迫で勝つものが多い。
これについては相手が悪人だろうと暴力は良くないとか、女性が男性を筋力で上回るのは現実的に考えて厳しいとか、まあ色々と理由はあると思うが、いずれにせよ能力バトル漫画のような舞台でもないのに物理的に男を倒しているのはかなり異質だ。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』56ページ

彼女について、そして本作の異質さについて象徴的なのが第33話『ありすパパ登場! 四葉家おとまり会!』だ。
この回ではありすの過去、マナ・六花との出会いのエピソードが語られる。

幼少期のありすは体が弱く、基本的に家の敷地から外に出してもらえない生活をしていた。
しかし、蝶を追いかけて四葉家の敷地に迷い込んでしまったマナと出会ってからは、度々屋敷を抜け出して外で遊ぶようになる。
そんなある日、ありすは熱を出す。そして、ありすがマナたちと一緒に遊んでいたことを明かすと、父親から「もっと環境の良いところで暮らすべき」と外国への移住を決められてしまう。
そこから一悶着、マナたちと一緒になった脱出劇の末、彼女が元気に走って逃げていく姿を見た父親が「こんなに元気に育っていたとは」と、マナたちとの関係が決してありすにとって悪影響ではなかったことを知り、考えを改める。そして、親子が和解することで話が決着する。

この話の何が印象的だったかと言うと、父が考えを改めるきっかけが「マナたちとの友情の強さに心を打たれたから」ではなく、「ありすに必要だったのは徹底した箱入りで育てることより、友達と外で元気に遊ぶ日々だったと気付いたから」である点だ。

実際、もしもマナたちとの関係によってありすの健康が明らかに害されていたとしたら、たとえマナたちとありすの友情が本物だったとしても、安易に「仲良しだからヨシ」と肯定してはいけないことだ。
その点でありすの父は、彼女たちの友情をしっかりと認めつつも、主体として「ありすにとって好影響だから」との理由を掲げている。

「友情があるから」との感情だけで動かず、しっかりと論理的に物事を見定めている。
これが、この回の象徴的な部分であり、そして本作全体の魅力でもある。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』52ページ

人気が無い理由と言っておきながら魅力について語っているが、なぜこんな話をしているのかと言うと、この論理的な魅力の強さが本作の問題点でもあると思うからだ。

そもそものところ、一般人は約50話もあるプリキュア作品を各シリーズ隅々まで見ているわけではない
現代ではDアニメストア等のサブスクによっていつでも視聴できるし、気になったシーンを見返すことも容易だ。しかし、テレビでのリアルタイム視聴者は視聴中に少し席を立つことだってあるし、そうして見逃したシーンを後からいちいち見返したりしない。
何なら今の時代でも、作業中に横目で見る程度の「ながら観」で済ませる人は多いだろう。
つまり、視聴者の多くは物語を通してのテーマに対する責任感だとか、細部の整合性だとか、そんなものにまで気を配っていないわけだ。

ドキプリはロジックとして正しいことをやっている。だから俺みたいないちいち細かい所に文句を言う奴にとっては素晴らしい作品に思えるわけだが、そんなものは一般の人間たちにとって大した魅力として機能していない
作品の人気が取れる要素としてはイケメンキャラが画面に映るとか、過去作のキャラクターがゲスト出演するとか、いかにもSNSでバズりそうなネットミーム的要素を仕込むとか、そういった大して作品に興味が無い人がチラッと見ただけで分かる魅力の方が重要なわけだ。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』35ページ

そして、本作はそのような刺激で人を釣れる要素が弱めだ。
露骨に出張ってくるイケメンキャラはいないし、マスコットキャラのアイちゃんは作中の扱いに反して微妙に可愛くないし、雑に過去作キャラを出してバズりを狙うようなこともやっていない。
キャラクターが突然口を揃えて「欠点なんかじゃなくて素敵な個性だよ!」と露骨にポリがコレな発言をすることもない。

まあアイちゃんの外見の話はともかく、本作が雑に人気取りのための要素に傾倒せず、しっかりと本作の物語を描いてくれたことは、俺にとっては好印象な点だった。
だが、それが話題性や人気を取れる要素かと言うと、本作の信者である俺からしても頷き難い。悪い言い方をすれば、本作は地味でめんどくさいのだ。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』53ページ

改めて人気の話をすると本記事の上の方で触れた全プリキュア大投票において、サブキャラクターとしては本作の重要キャラであるレジーナ5位と大健闘しており、26位には敵幹部のイーラがランクインしている。
……なのだが、なぜこの二人が人気なのかと考えてみると、まず間違いなくレジーナはマナに対して百合カップルにも見えるほど強く執着をしていたこと、イーラは六花とのカップリングを匂わせるような要素があったことが大きいだろう。(特にこの「イラりつ」カップリングは熱狂的な支持者が多い)
つまり、人気投票で本作のキャラクターを選ぶような人ですら大多数が注視しているのはカップリングで、本作そのものや本作のプリキュアたちが特別好きなわけではないのだ。
そうでなきゃ、サブキャラが5位にいるのに作品人気もプリキュア人気も圏外であることの説明が付かない。

「全力」のヒーロー

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』3ページ

以前の記事で書いたが、俺は近年のプリキュア作品に対して全体的に悪印象を抱いている。これは典型的なポリコレが要因のほとんどを占めているが、それだけじゃない。
かつてのプリキュア作品と言うと「強大な悪と戦い、妖精のお世話でクタクタになりながら、その上で学園生活も楽しむ」といった感じの、ハードな日常でも全力で生き抜いてゆく泥臭くて力強いヒーローだった。
気軽に「プリキュアになりたい」なんて口にできないような、辛くて大変な存在。だからこそ、その大変な戦いも日常も全力で生き抜いていく人物たちが力強くてカッコよかったんだと、そう思う。

それが、プリキュアというブランドが大きくなるにつれて徐々に「みんなが憧れる、可愛くてカッコいい理想の自分になれる力」のような、都合の良い魔法みたいな見せ方が強まってきて、プリキュアという存在のキラキラした部分ばかりに焦点が当たり、ヒーローとしての辛さや責任といった、背負うものの重さについては重要視されなくなってきた。
まあ、公式が実際どう思っているのかなんて分かりゃしないが、少なくとも俺にはそう見えている。

この、プリキュアという存在を過度にキラキラしたものとして扱う方針は、個人的にドキドキより2つ後の『Go!プリンセスプリキュア』からジワジワと強まり、さらに2つ後の『キラキラ☆プリキュアアラモード』で決定付けられたように感じている。そして、その次の作品でポリコレを取り込むことで究極の絶望へと至るわけだが……まあ、この辺りは別の話だ。

ともかく、この『ドキドキ!プリキュア』という作品は、戦うべき悪とは全力で戦い、楽しめる物事は全力で楽しむ、そんな可愛い女の子力強いヒーローとしての魅力をしっかり兼ね備えていたプリキュアの魅力が過剰なくらいにギッシリと詰まった、全力で楽しめる作品だ。
少なくとも、俺はそう思っている。

その作品の、10年越しの小説発売。
これが凶と出ないことを、心より祈っている。

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