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『小説ドキドキ!プリキュア』 感想 10年越しの小説でプリキュアではなくデジモンセイバーズを読ませる暴挙

ストーリー     ★☆☆☆☆
キャラクター    ★★★★☆
プリキュアの世界観 ☆☆☆☆☆
倉田の再現度    ★★★★★
作者の自己主張   ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

小説ドキドキ!プリキュアが発売した。
発売前の所感については前回の記事で言及したが、改めて要約すると「小説の内容以前に、作者の政治主張をキャラクターに喋らせないか心配」といった感じだった。

まず、この点に関する結論を言うと露骨にキャラクターが政治批判をするようなシーンは無かった
マナの将来の夢が総理大臣である点については小説内でも一応サラッと触れてはいるが、本当にそれだけだ。政治批判以前に、「本気で総理大臣を目指すべきか」に焦点が当たること自体が無い。
この点については扱いにくい設定を誤魔化したとも思わなくはないが、まあプリキュアそっちのけでマナの進路に関する話を延々やるくらいなら深く触れないのが無難ではあるだろう。
なので、この点については杞憂で終わってくれたと言える。

それでは結局、本作は良い作品だったのか?
答えはノーだ。
その理由をこれから書いていくが、今回は結末付近も含めてかなりネタバレを含んだ内容になっているのでご注意頂きたい。

デジモンセイバーズ 公式ホームページより

本作『小説 ドキドキ!プリキュア』の中心人物は『デジモンセイバーズ』の倉田だ。
突然何を言っているのか分からないと思うが、事実なのでそうとしか言いようがない。

もう少し詳細に書こう。
本作の中盤から名前が「倉田明宏」で、痩せぎすの体格、ボサボサの髪で丸眼鏡をした悪の科学者的な立ち位置の人物が登場する。
見事に『デジモンセイバーズ』に登場した悪役、倉田明宏の特徴そのまんまの人物だ。ついでに言うと口調も性格も共通している。

『デジモンセイバーズ』は本作の著者である山口亮太氏がシリーズ構成を努めた作品なので、限りなく良い言い方をするなら「友情出演」とかの類だ。
良い言い方をしなければ、作者の自己満足による作品の私物化だ。

本作は『小説 ドキドキ!プリキュア』だ。
もちろん本作を買う人は「ドキドキ!プリキュア」が見たいのであって、「山口亮太先生の活躍歴」が見たいわけじゃない
。そんなもんは当たり前の話だ。
なのに、ドキプリ放送終了から10年経って発売された本小説において、作者が最も注力したのはプリキュアたちの活躍でも、相田マナの将来の夢でもない。プリキュアと全く無関係の作品の悪役の再利用だった。
この時点で面白いとか面白くないとか以前に、本作に対してまともな評価の下しようがないのは分かるだろう。

デジモンウェブ デジモン図鑑 ベルフェモン:レイジモード

この倉田の再現については本当に異常なまでの力の入りようで、先述の通り名前も外見も性格も一致しているのに加えて、作中の行動までデジモンセイバーズの完全再現みたいな内容になっている。

本作の中盤、倉田が開発させた対ジコチュー用ドローンNWO(ニュー・ワールド・オーダー)を用いてジコチューを駆除する様子は、デジモンセイバーズで人工デジモンの「ギズモン」でデジモンを駆除していた構図と同じだ。

そして終盤はもっと露骨で、追い詰められた倉田は怪物に変身してプリキュアと敵対するんだが、その際の姿は作中でこう書かれている。

頭にはムフロン種の羊のようなぐるんと巻いた立派な角、燃えるような真っ赤な瞳、背中にはコウモリの翼、腕には虎のような鋭いツメ、尾にはコブラを生やした巨大な怪物が、窓の外から私たちを睨みつけているのだ!

『小説 ドキドキ!プリキュア』420ページ

見ての通り、ほぼ上に貼った「ベルフェモン」の特徴そのまんまだ。
異なるのはコブラのような尻尾が生えている点くらいだろう。

このベルフェモンは、『デジモンセイバーズ』において倉田が復活させ、後に倉田自身が融合して襲ってきたデジモンだ。そして、倉田が融合したベルフェモンが追い詰められると、その胸に巨大な倉田の顔が浮かび上がってくる場面がある。
本作にも全く同じように、追い詰められた怪物の胸に巨大な倉田の顔が浮かび上がってくる様子が存在する
もはやファンサービスとかオマージュなんて領域ですらない。ガワを変えただけのデジモンセイバーズのノベル版みたいな内容だ。
作者はこの小説のタイトルを読んだ方が良いと思う。

デジモンセイバーズ 公式ホームページより

あと、本作中で「力は貸したり与えたりするもんじゃない。合わせるものだって、誰かが言ってた!」とキュアハートが口にするシーンがある。

この台詞はデジモンセイバーズで倉田との戦闘時に、主人公の大門マサルがパートナーデジモンと言葉を交わす際の台詞が基になっている。
原作においては、目の前の相手を倒すことに囚われてパートナーの存在を見失っていたマサルが、パートナーとの絆を再確認し、新たなる境地へと至るちゃんと熱いシーンだった。

しかし本作ではこの引用がかなり唐突な上、そもそも本小説中のキュアハートは重要な場面で大体単独行動しているので、場面や展開に合った引用とも言い難かった。これは本作のストーリー自体の問題点とも言えるが、どう考えてもデジモンセイバーズの再現ばかり考えたのが原因だろう。

マナも一人で突っ走りがちなキャラではあるし、この台詞を違和感なく本作に出すことは十分可能だったはずだ。
二階堂(マナの幼馴染の男子)あたりがマナを叱責するようなシーンで言ってくれたりしたら普通に説得力もあったし、熱いシーンにしつつセイバーズの視聴者はニヤリとできるような、ちゃんとしたオマージュとかパロディにできる要素だったと思う。
とにかくセイバーズ要素を突っ込むことだけ考えて、それを本作の物語として落とし込んでいない。それがどうしようもないんだ。

アニメと明確に矛盾する描写

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』41ページ

そして本作、デジモンセイバーズ要素とは別にまた致命的な問題点がある
アニメで描写された内容と明確に食い違う部分があるのだ。

本作のプリキュアの一人、キュアロゼッタとなる四葉ありすだが、彼女は過去にマナの悪口を言った男子たちにブチギレて物理的にボコボコにした経験がある。
アニメにおけるこのシーンを詳しく書くと、以下のような流れだった。

  1. ありすに対し「お嬢様だからって72色の色鉛筆なんて生意気なんだよ!」とちょっかいを出していたいじめっ子が、マナに注意される

  2. いじめっ子が逆恨みして上級生の兄を連れてくる

  3. いじめっ子が兄を盾にして「お前は自分が目立ちたいだけ」などの悪口をマナに浴びせ、マナが泣き出す

  4. ありすがブチ切れる

  5. 場面転換後、いじめっ子は全員倒れている。いじめっ子の兄が「ま、参りました……」と口にして力尽きる

ギャグと言うほどではないが、いじめっ子に関わる描写は多少コミカルに描かれている。さほど暗い雰囲気ではないし、後々まで尾を引くような確執が残る雰囲気でもなかった。
一応は「いじめ」描写を含んだシーンではあるが、いじめっ子も裏でコソコソやらずに正面からありすに絡んでいたし、最終的には真っ向勝負のケンカで片が付いている。そのシンプルさ、爽やかさがドキプリの良さだった。

小説版ではこのシーンの展開が改変されており、ありすをからかっていた いじめっ子にマナが注意する点までは一緒なのだが、その後「後ろから消しゴムの切れ端を投げつけたり、筆箱の中にカタツムリを入れたり、陰湿ないたずらを毎日のようにされた」との内容が増えている。
そして、そんな嫌がらせが続いた後に、マナの机に極太の油性ペンで「死ね」と書かれていた事が発端となり、ありすがブチ切れる。

さらに小説はここで終わらず、この件が学校の耳に入った結果学校側はいじめの存在を認めず、暴力を振るったありすが一方的に悪いと判断して謝罪を要求、ありすの父たちと大揉めする……といった展開に繋がっていく。
そして、結局いじめっ子との確執は最終的に解決するものの、学校側はありすたちとしっかり向き合うこと無く終わり、胸糞悪さを残す結末となる。

そもそも、この追加された展開そのものがドキプリらしくない陰湿さで嫌だと言うのもあるが、それ以上に問題なのはありすが暴力を振るうきっかけになった場面が明確に異なっていることだ。
陰湿ないじめが続いていたことに関しては、一応「アニメでは描写されていなかっただけで設定上は元々あった。小説で描写を追加しただけ」と解釈できなくもないが、きっかけのシーンは同じ場面のはずなのに明確に内容が異なっており、矛盾している

まあ 後から出した小説版で、わざわざ陰湿な展開で上書きしてきた以上は おそらく「本来の展開はこれで、アニメで見せたのは子供向けにマイルドにした内容」みたいな意図だと思うが、一度アニメで明確に世に出した内容を勝手に無かったことにするなよ

改めて言うが、『ドキドキ!プリキュア』は10年前の作品だ。
そんな古い作品の小説の発売を喜び、手にとってくれるほど作品を愛している人に対して、全力を尽くすのはデジモンセイバーズの再現だけ。
本来のドキプリの物語については、原作の内容を勝手に書き換える始末。
もう、仮に本作の内容そのものが超絶面白かったとしても、「良い作品」とは決して言えないわけだ。
だから、悲しいかな本作への俺の評価は「論外」としか言いようがない。

結局、本作は面白いのか?

あまり面白くはない。

結論としてはこうなる。
一応言っておくと、序盤の印象は良かった
まず本作は六花の一人称視点で物語が進んでゆくのだが、これが良い点だ。
彼女は作中でも一番の常識人ポジションだったし、一番のインテリ系で理屈っぽいセリフが似合うキャラクターだ。
だから小説の序盤に説明っぽい台詞が多くても違和感がないし、マナたちのドタバタした日常に対するツッコミも決まっている。
三枚目の役割を押し付けられてカッコ悪い所を見せることも多いが、だからこそ飾らない魅力に親しみが持てる。そんな六花の魅力がよく出ている。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』61ページ

また、原作において個人的に描写不足感が強かった亜久里とレジーナの関係がフォーカスされるのも良い点だ。
原作でも一応この二人は「宿命の相手」とはされていたが、実際のところレジーナの人間関係はマナに対して向いている矢印が大きすぎて、亜久里との関係については「正直ピンと来ないけど、二人にとっては重要な相手らしい」くらいの印象になっていた。

本作ではその二人の絡みが多めになっているし、明るい会話のノリはしっかりアニメの調子のままだ。物語の展開も二転三転する内容で退屈しないし、最初のうちは本当に「あの頃のドキプリが帰ってきた!」と思っていた。

『ドキドキ!プリキュア オフィシャルコンプリートブック』89ページ

あと、ファンブックの中で名前だけ挙がっていたジコチュー幹部のルストゴーマが登場しているのは待望の展開だった。どちらもそれなりに濃いキャラ付けがされていて、イラストは無いが十分印象に残る相手になっていた。
まあ、こいつらも結局倉田の配下でしかないんだが。
満を持して登場した、原作時点で設定は存在していたが没になった敵幹部を、別作品から輸入したキャラの手駒扱いするのは考えうる限りの最悪の展開を優に超えてきた感じだ。これ良かった点じゃねえな。

あと、ルストについては作中で「筋肉モリモリマッチョマンの変態」と呼ばれている。コマンドーの有名な台詞そのまんまだ。
実際彼はその通りの人物ではあるんだが、こういうネットスラング的な言い回しを作中でそのまま使うのは現実に引き戻されるから嫌な点だ。

そして、本作はそうしたネットスラング的な言い回しとか……有り体に言えば、twitterから良くない影響を受けているであろう点が非常に多い
先述したアニメと矛盾するシーンもそうだが、全体的に陰惨で露悪的で、ただ見ていて嫌な気分になるだけのものを「ほら、これが真実だぞ」と押し付けてくるような描写が露骨に増えている。

アニメの物語の終盤で、キュアハートは自分たちの正体が大貝第一中学の生徒だとバラす。
なので、アニメより後の時系列である本作ではマナたちプリキュアの正体が全世界に知られているのだが、それによる影響の描写が顕著だ。
アニメのノリだったら「ドキプリの世界なら、マナたちなら、あの後も何とか上手くやっているだろう」と思えるところだったが、本作はマイナス面ばかりが強調されている。

「自宅の周りを怪しい人がうろつくようになった」との描写はまあ良いとしても、その際に例として挙げられているのが「撮り鉄ならぬ撮りキュアファン」「ヒラヒラのコスチュームに異議を唱えるフェミニスト」「女性を目の敵にするミソジニストの集団」など、見ての通り言葉選びが悪い意味でツイッター的だし、さらには警察や世界各国のエージェントが彼女たちのグループチャットをハッキングして監視していたなんて展開も出てくる。

そして、ジコチューが暴れていることを警察から知らされて出動したりもするんだが、その際も「ほとんど脅迫」と言われるような形での出動となり、さらにプリキュアたちが戦っている間、上層部たちが何をやっているかと言えば「ジコチューをどう名付けるか」の会議だったりする。
極度に腐敗した無能警察と言うほどの描写ではないが、こんな見ていてモヤモヤするだけで物語としてのカタルシスに繋がらない描写が多い。

実際、ヒーローが身バレしたら大変なことは色々と増えるだろう。
色々と面倒事に向き合わなければならない描写が入るのも、自然ではある。
しかし、ドキプリを好きな人が見たいのは、その大変なことを全力で、明るい雰囲気で乗り越えていくプリキュアたちの姿じゃないのか?
ただ気分の悪くなるような「リアルさ」だけを雑に差し込まれて、それでどう反応すりゃいいんだよ。頭にアルミホイル巻けばいいのか?


本作の中盤、マナは敵から「不幸な人は世界中に居るのに、救うのは目の前の人だけでいいのか?(要約)」と問われたことでショックを受け、居ても立ってもいられなくなったのか旅に出ることになる。
この展開自体はまあ分からなくもないし、後に主人公がパワーアップして帰ってくる展開も定番だ。
だが、この展開も本作中だと全く良い方に作用していない。
マナは世界で色々なことを学んでパワーアップして帰ってきたらしいのだが、その部分のマナ視点の描写は全く無く、具体的にどんな経験をして、何を感じ、どう成長したのかまるで分からない。
一応戦闘力は大幅にアップしているのだが、それが「敵幹部のルストを一人で一瞬で浄化」という仲間との絆も何も無い完全なスタンドプレーによって、せっかくの新幹部を突然退場させるもので、肩透かし以外の何も感じなかった。
その上、この旅の際に災害の被害者を救うためにキュアハートが他国に飛び込んだところ、無断での領土侵犯を行ったとして物語の終盤まで続く問題になる……と、無駄にリアルなマイナス面だけは執拗に描写している。

そして結局、先述した「マナたちだけで世界中の人を救えるのか?」といった問題について、本作は非常にシンプルな結論を出す。

マナとロイヤルクリスタルの力でプリキュアが5000人生まれて、その人たちが世界中で対応してくれるようになったのでマナたちだけが全てを背負い込む必要はなくなった。そしてマナは普通の学生に戻りました。めでたしめでたし。

これが本作のラスト10ページくらいの内容だ。
本作は全体で452ページだが、446ページまでは倉田ベルフェモンと戦っているので後日談はほとんど無い。本当に上述した内容が全てだ。
物語の中盤で「世界中の人を救わなくていいのか?」と問われたことに対する答えは、マナ自身がどう行動するか、どう考えるかなんて関係なかった。
プリキュアが増えたので結果的に解決しました」で終わりだ。
せめて結末がここまで投げやりでなければ、もう少しくらいは本作に肯定的な評価をできたかもしれないんだが、実際こうなんだから仕方ないだろ
多分、倉田が出てこない話をこれ以上書きたくなかったんだと思う。

と言うか、「5000人のプリキュア」と言うと一見かなりの数に思えるが、世界中を守ると考えたら明らかに少なすぎるので、これで本当に解決したのかも疑問だ。
本作は世界の国家が合計193、これにトランプ共和国が追加されて194になるんだが、世界全体のプリキュアが5000人だとしたら一カ国あたり平均二十五人くらいしか存在しない
日本で言うなら47都道府県に一人ずつ配置しても半分くらいはプリキュア無しの県が残る計算だ。ジコチューの発生頻度がそこまで高くないと考えても、これで世界中が大丈夫と考えるには明らかに不足している。

似たような例の話をすると、本作の終盤では露骨にtwitterや2ちゃんねるを意識したような文体の「世論」が登場し、その際に倉田が「私には13万人のフォロワーがいるので世論操作くらい朝飯前」と言い放つ。
そして実際に彼の先導でプリキュアを敵視する書き込みが増える場面があるんだが、これも13万人じゃ無理だろ
例えばヒカキンのフォロワーが714万、adoが240万、狩野英孝が128万だ。
13万に近い数字で言うと、本記事の執筆時点でスギちゃんのフォロワーが16.5万なんだが、スギちゃんに世論を動かす力があるか?
もしも彼が「現在の日本を守っているヒーローは実は悪だ!殺せ!」と言ったとして、突然スギちゃんが変なことを言い出したとプチ炎上して終わる程度だろう。
作者が嫌いな政治家のフォロワーが13万人くらいだったんだろうか。

答え合わせ

作者本人がnoteに載せている後書きがある。
わざわざ他人の記事を引用してどうこう言うのは品がなくて嫌なんだが、元々は書籍の巻末に載せる内容だったはずだ、と言い訳しつつ重要な部分を抜粋する。

この場でひとつひとつ論うのは避けますが……一言でいうなら、今の世の中はかなり「息苦しく」なりました。マナたちが暮らす世界は2014年の設定ですが、小説は2024年という時代の空気を色濃く反映していると思います。そんな時代だからこそ、一人一人がプリキュアになった気持ちで立ち向かっていこうぜ! という願いを込めました。

これが答えだ。
本作がやたら陰惨な世界観になっているのは作者の政治思想が理由だった。
キャラクターの口からそういう台詞こそ出はしなかったが、俺が心配した通りの最悪の結果ってわけだ。
そして、「マナたちが暮らす世界は2014年の設定ですが、小説は2024年という時代の空気を色濃く反映していると思います」との記述はシンプルに意味不明だ。2014年が舞台なんだから2014年の空気で書けよ。

アニメで描写したありすの過去エピソードをわざわざ陰湿な形に書き直したのも、息苦しい世の中の表現か?
そのために、わざわざアニメの話を無かったことにして、当時の物語に元気や勇気を貰った人の気持ちを踏みにじったのか?

結局、作者の政治思想アピールによってドキプリの世界は壊れた
最強のジコチューは作者本人だったってオチだ。笑えねえな。


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