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私の駅伝視聴歴 〜Part2(中学生編)〜

私は中学時代、陸上部に所属していなかったのですが、田舎の中学校ゆえに陸上部だけでは人員不足で駅伝に出られませんでした。
そのため駅伝シーズンになると体力測定の1500mで速かった他の部活から臨時駅伝部が作られました。
私もギリギリで誘われて練習に参加していました。
これが初めての駅伝体験であり、私の駅伝のルーツです。

1.衝撃を受けた2つの出来事

①「せつらく」兄弟?

さて、私の中学校は先輩方が地区予選を勝ち抜き県大会出場を決めます。
私にとって初めて見た県駅伝。
その時に優勝したチームこそ、後に東洋大学を三大駅伝で何度も優勝に導くことになる設楽啓太・悠太兄弟率いる寄居男衾中学でした。
個人として全国大会に出場していたのかとかは全く知りませんし、普通だったら「学校サボれる」くらいにしか思っていなかったはずです。
しかし、優勝した中学校の名前も読めなければ、メンバーの名字も読めない…。
当時は「したら」なんて読めず、みんなで「せつらく」と読んでいたのでこのタイトルです笑
ついでに「男衾(おぶすま)」も読めなかったので、字面が似てるというだけで勝手に「男爵(だんしゃく)」とか読んでました笑
正直、設楽兄弟の走りの記憶はありませんが、学校名と名前が読めなかったインパクトが強かったのだと思います。
今思えば小山司選手(帝京大学→SUBARU)もいたのですからとんでもない中学校ですね。
高校入学以降は何度も名前を見ることになるので「設楽ってあの時の人たちだ」と幾度となく思い出されるようになりました。
ちなみに田舎から参加した私の中学校は50位くらいだった気がします笑

②今でも最強は大物揃いのあの高校

さて、中学に入って設楽兄弟という存在を知った私は間もなく高校駅伝を知るようになります。
なんとなく存在は知っていましたが、初めてまともに見た全国高校駅伝は2008年59回大会でした。
その59回大会はあの佐久長聖高校が初優勝した大会です。
結果は以下の通り。()内が通過順位です。

今でも鮮明に覚えているのは、3区に出走した村澤明伸選手(東海大学→日清食品→SGホールディングス)の走りです。

1区に出走した仙台育英の上野渉選手(駒澤大学→Honda)のキレッキレラストスパートでの区間賞もインパクト十分でしたが…。

話を戻します。
村澤選手の走りに惚れ惚れしました。
上り基調のコースをものともしない力強い走り、外国人選手に負けない鋭い眼光で走る姿は今でも覚えています。

あと村澤選手に目が行きがちなんですけど6.7区のタイムが化け物なんです。
6区の佐々木選手は、厚底シューズになっても塗り替えられない日本人歴代最高記録。
7区の大迫選手も当時2年生ながら現在も歴代3位の記録として残っています。
6.7区にこのメンバーを置けることに選手層の厚さが感じられます。

そして長距離区間のメンバーが強すぎます。
その時代を彩った名ランナーしかいません。

・千葉健太(駒澤大学→富士通)
箱根駅伝4年連続6区。うち区間賞3回。
箱根駅伝6区元区間記録保持者。
山下りの神という称号あったならこの人がつけるべし。
・村澤明伸
1年生から3年連続で箱根駅伝2区を出走。
区間2位→1位→3位とエースらしいエース。
2年時に17人抜きの日本人ごぼう抜き記録。
・平賀翔太(早稲田大学→富士通→住友電工)
3大駅伝皆勤賞。区間賞1回。
4年間エース区間を任され続け全て区間6位以内。
安定感ある走りは早稲田の職人として欠かせない存在に。
・佐々木寛文(早稲田大学→日清食品→プレス工業)
出雲駅伝4区元区間記録保持者。
全日本大学駅伝4区区間賞。
2011早稲田三冠のうち二冠の立役者。
・大迫傑(早稲田大学→日清食品→ナイキオレゴンプロジェクト→GMO)
1年時箱根駅伝1区区間賞。三冠の立役者に。
東京五輪マラソン6位入賞。

左から千葉健太選手、村澤明伸選手、平賀翔太選手、佐々木寛文選手、大迫傑選手

日本人歴代最高記録は同じ佐久長聖高校に塗り替えられてしまいましたが、当時中学生だった私が受けた衝撃は塗り替えられることはありません。
私の中での最強は今でもこの年の佐久長聖高校です。

そんな中、私は中学時代から早稲田推しになるのですが、平賀選手、佐々木選手、大迫選手が早稲田に進んだ…からではありません。
初めて甲子園を見に行った時に、ハンカチ王子こと斎藤佑樹さんが福井商業戦でホームランを打って完投勝利をしていたのでそこから早稲田推しになりました笑
そのまま早稲田実業のタペストリー買って帰って自分の部屋に飾りましたね笑

話はそれましたが、こういう人たちがのちのち箱根駅伝で活躍してるのかと知り、色々な駅伝にのめり込むきっかけになりました。

2.中学時代印象に残ったシーン

中学生になると色々な選手を知るようになります。
駒澤大学の宇賀地強選手、高林祐介選手、深津卓也選手、太もも堺晃一選手と言った箱根駅伝を制した選手に加え、早稲田大学の竹澤健介選手や中央大学の上野裕一郎選手。
そんな中で特に印象に残っている選手、シーンはこの3つ。

①個人的に今でも最強はこの人

今井正人選手率いる順天堂大学が総合優勝した83回大会。
1区で強烈なインパクトを残した2年生がいました。その人こそ東海大学の佐藤悠基選手です。
独走体制を築き痙攣を起こしながら区間2位に約4分差をつけて区間新記録。
実は1年生の3区区間新記録を出した時は記憶があまりないんですよね…。
非常にもったいないことしたなと思っています。
そんな佐藤選手は箱根駅伝で1年生から3年連続の区間新記録。
一時は3つの区間記録を所持していた偉大なランナーです。

卒業後、2011年に埼玉県で行われた日本選手権では、当時大学生の大迫選手と村澤選手をキレッキレのラストスパートで引き離し10000m初優勝を果たします。
地元で行われる日本選手権は今後当分ない貴重な機会でした。
授業をサボって見に行っただけに印象深いです。
そこから10000m四連覇し、2014年は5000mとダブル優勝。
タイム以上に日本人になら誰にも負けない勝負強さという点で、佐藤悠基選手を超える日本人はいないと思っています。
色々な意見あると思いますが、個人的に今でも日本男子長距離界における史上最強は佐藤悠基選手。
我々くらいの世代の陸上ファンだと多いのではないでしょうか。

1区区間新記録で独走する佐藤悠基選手

②留学生ランナーと競り合ったエース達

箱根駅伝のエース区間といえば花の2区。
1区が秒差で繋いでくることで最も順位の入れ替わりが激しい区間です。
近年では駒大田澤選手・青学大近藤選手・中大吉居選手の三つ巴対決や東洋大相澤選手、東国大伊藤選手のランニングデートなどが話題になりました。

そんな私が中学時代に印象に残ったのは85回大会の2区。
この年の2区と言えば、史上最強の留学生と呼び声も高いモグス選手(山梨学院大学)が区間新記録を出したこと。
また、ギタウ・ダニエル選手(日本大学)の20人抜きで有名です。
ダニエル選手がどこまで行くのかと興奮しながら見ていましたが、一番印象的なのはエースのプライドがぶつかり合った最後の鍔迫り合いです。
ここまで18人を抜いてきたダニエル選手に挑んだのは外丸和輝選手(東京農業大学)と木原真佐人選手(中央学院大学)。抜きつ抜かれつ最後まで競り合いましたが最後はダニエル選手が前に出て決着。
留学生ランナーと言うと、日本人は後ろにつくことも出来ずに置いていかれる印象しかありませんでしたが、後ろから追い付かれながらも襷を渡すギリギリまで競り合う姿にエースのプライドを見ました。
そして木原選手はモグス選手、ダニエル選手に次ぐ区間3位。外丸選手も区間7位と区間上位で襷を繋ぎました。
当時、友人に東農大三高志望の子がいたこともあり、東農大の外丸選手はその後もずっと応援していました。長身から繰り出すストライド、多少フォームが崩れてもキツイ表情でも前を見て追い続けるガムシャラな走りがとても好きでした。

左から外丸和輝選手、木原真佐人選手、ギタウ・ダニエル選手

③この人なしで箱根駅伝は語れない

さて、時を同じくして85回大会。
先のエース達の鍔迫り合いの後、5区山登りで鮮烈なデビューを飾ったルーキーがいました。
そう、2代目山の神こと柏原竜二選手です。
1位早稲田大学と4'58差の9位で受け取った襷を逆転して東洋大学を往路優勝に導き時の人となりました。
復路で一度逆転を許すも8区で再度逆転し初の総合優勝。
間違いなく箱根駅伝人気をさらに押し上げた選手でしょう。
まだ箱根駅伝以外をよく知らなかった私は、柏原選手が活躍した都道府県対抗駅伝、出雲駅伝や全日本大学駅伝をちゃんと見たことなかったのでいきなり現れた山の神という印象でした。
相変わらず祖父が「おいおいまた抜くぞこりゃ」と言って笑いながら見ていたのを覚えています。
キツそうな表情をしているのにダイナミックで力強いフォームで山を駆け上がる姿は色褪せることがありません。
私は貧血でジョギングすらついていけなくなる時期があったのですが、柏原選手ほどの選手でも貧血に悩まされていたと聞き、勝手に勇気をもらっていました。

4年連続の往路優勝を区間新記録で達成した柏原竜二選手

そして脇を固める先輩も好きでした。
大西智也選手、宇野博之選手、千葉優選手、大津翔吾選手、高見諒選手…挙げ始めるとキリがないですね笑
この人たちの背中を見て、未来のエースとなる設楽兄弟や服部兄弟が入学してきた時には「どうなっちまうんだこのチーム」と思ったのを覚えています。
当時は5区が23.4kmと最長区間だっただけにまさに「山を制するものが箱根を制す」状況でした。

ちなみに、すでに早稲田推しになっていた私としては、首位で走っていた早稲田が抜かれた瞬間はちょっと複雑でした笑
その年の早稲田良かったんですよ…4年生になった竹澤選手の脇を固める、黄金ルーキー達(矢澤曜選手、三田裕介選手、八木勇樹選手)。
4区まで1区矢澤選手、3区竹澤選手、4区三田選手の3名が区間賞。
流れは完璧だったはずなんです。
ついに早稲田の時代が…と思ったら山の神が全てかっさらっていきました笑

高校に入ってからは陸上部に入ったことでさらに駅伝にのめり込みますが、それはまた次回のお話。

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