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『大唐泥犁獄』刊行記念 陳漸先生インタビュー

注目の華文伝奇サスペンス『大唐泥犁獄』の刊行を記念して、著者の陳漸先生への独占インタビューを公開。陳先生の作家としての足取りや本作の見どころ、そして日本の読者の皆さんへのメッセージをお届けします。(構成=張舟・菊池篤)

――先生のデビュー作は大学生の時に執筆した作品だと伺いました。先生が作家になるまでの経緯について教えてください。

陳漸 ほかの方もそうかもしれませんが、子供の頃の全ての趣味は将来のキャリアのための準備になるものです。
 小さい頃から読書が好きで、ジャンルを問わず読みました。通俗小説、自然世界の謎を紹介する本、SFなど。中学時代に歴史・考古学の専門誌まで定期購読していました。当時は将来作家になるという意識はありませんでしたが、思いかけず作家という職業に必要な読書量と知識の備蓄ができました。
 しかし、作家になるには「表現欲を持つ」というとても重要な条件が必須でしょう。
 高校から大学に進学するための受験勉強が非常につらく、精神的にいやというほど苦汁をなめたのが、私が「表現欲」を持ち始めるきっかけでした。大学に入ってから、そのつらい気分を小説の形で「表現」したく、一年くらいかけて執筆しました。その小説が私のデビュー作であり、後ほど『大学橋』というタイトルで刊行されました
 大学卒業後、河南省文学芸術界聯合会傘下の雑誌社で編集者を務め、多くの優秀なプロの作家に巡り会いました。
 今顧みると、実は最初からはっきりとしたキャリアプランがあったわけではなく、デビュー作が刊行されてから自然にくっきりと見えるようになっただけです。文学芸術界聯合会で八年働き、プロの作家に成長してから、ひょんなことから北京に行って脚本家になり、映画とドラマの脚本を創作し始めました。

――先生が好きなクリエイター(小説家に限らず)と、自分にどのような影響を与えたかを教えてください。また、日本の作家の作品に触れたことはありますか?

陳漸 最も好きな文芸ジャンルが2つあります。
 一つ目は唐詩・宋詞です。唐詩・宋詞は最も洗練された、優美な言葉の表現だと思っています。中国に「『唐詩三百首』を熟読すると,詩を作れない者も作れるようになる」ということわざがあります。つまり、このような高度に洗練された優美の言葉を熟読すれば、それはあなたの文章に一種の趣、一種の美の感覚、一種のリズムを形成することができます。
 二つ目が小説です。初期に読んだ小説は非常に雑駁でした。中国の現代作家で一番好きなのが金庸氏と余華氏です。海外なら主に近代の小説家、例えば、ヴィクトル・ユーゴー、バルザック、スタンダール、ロマン・ロラン、アレクサンドル・デュマ、ジュール・ヴェルヌ、チャールズ・ディケンズ、ガルシア・マルケスなど。もちろん、コナン・ドイルもその中に入っていますよ。
 日本の作品に関しては、触れたことがあるどころか、特に推理小説においては日本の作家さんたちが私の創作活動に大いに影響を与えました。江戸川乱歩氏と横溝正史氏は私の初期サスペンスに大きく影響し、松本清張氏、森村誠一氏、高木彬光氏、西村京太郎氏、夏樹静子氏、東野圭吾氏も、創作方向を模索する上で多大なる影響を与えてくださいました。
 近年、特に本格ミステリと社会ミステリを見事に融合する東野圭吾氏は、(私だけでなく)中国のミステリ作家の半数には影響しているほどです。

――先生はこれまで、現代を舞台に心理学の知見を活かしたSF色の強い作品なども書かれてきましたが、「西遊八十一案」シリーズのような、歴史上の事件を舞台にした作品を書き始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

陳漸 確かに「西遊八十一事件」シリーズを書く前は、現代サスペンスばかり書いていました。SF色の強い作品と言われましたが、実はそれはほかの知識体系をサスペンスに取り入れる試みでした。一例を挙げると、『フロイト禁地』(原題:弗洛伊德禁地)という小説において、私はフロイトの生涯と研究を詳しく考証し、フロイト-ユング-フロム系統の心理学派を小説に取り入れようとしました。この技法は後ほど歴史サスペンス『西遊八十一事件』シリーズにも使いました。つまり、玄奘が天竺へ経文を授かりに行くという史実を通じて、考証学の手法を駆使して当時の歴史の真実及び仏教・道教などの宗教の源流をありのまま語るということです。
 「西遊八十一事件」シリーズを創作したのはやはり玄奘法師に興味を持っているからです。玄奘は私の同郷とも言えて、私たちの生家は100キロも離れていないし、しかも苗字も同じく「陳」ですね(註:玄奘の俗名は「陳褘」)。
 しかし、従来の「仏教の法師様」というイメージでこの人物を描写したくないので、歴史上の玄奘と『西遊記』を融合して斬新なものを創り出すように、大量な歴史の細部を作中に取り入れることで『西遊記』をファンタジーの世界から現実の世界へ引っ張ってきたのです。言い換えれば、私は『西遊記』とは正反対の物語を書きながら、『西遊記』というファンタジーの世界を利用して玄奘という人物の魅力を添えようとしています。
 ミステリやサスペンスの創作にあたって、永遠に最も難しいのは前人の数えきれないほど多くの創意と異なる、真新しい創意を見つけ出すことです。 
 『西遊八十一事件』は大規模な小説シリーズで、全五作があり、合計200万字にもなりますが、全五作は全て(自分で思う)未曾有の創意を見つけ出さなければなりません。ということで、私は無数の作品から影響を受けているでしょうが、決してある小説の具体的な内容に影響されてはいけないと考えています。

――『大唐泥犁獄』は、虚実を織り交ぜてスケールの大きな陰謀とその無情な顛末を描いた傑作だと思います。作者から見たこの作品の「ここが一番のアピールポイントだと思う」ところや、「ここを楽しんでほしい」と考えるポイントを教えてください。

陳漸 この質問にあるキーワードは私が最もアピールしたいポイントです。「虚実を織り交ぜて」とは非常に的確な指摘です。私が全力を尽くして作中に唐王朝初期の様々な状況を写実した理由は、まさに伝説の中に存在する「泥犁獄」を人々の目の前に現出させたいからです。写実すればするほど、「泥犁獄」の出現に説得力があるわけです。全てのロジックが必ず現実的でなければなりません。当時の風物や社会実情はもとより、より重要なのは登場人物の行動ロジックのリアルさなのです。李優娘も郭宰も法雅も、読者様がどの登場人物の立場に立って見ても、その人物の行動ロジックが納得できるはずです。
 ですので、最後の謎解きを読んだときに、読者の皆様には「あ!なるほど!」と言ってほしいですね。

――『大唐泥犁獄』は「西遊八十一案」シリーズの第一作ですが、今後、シリーズはどのような展開を迎えるのでしょうか?

陳漸  本シリーズは五作あります。第五作は今執筆中で、来年中国で刊行される予定です。
 『大唐泥犁獄』の物語が終わってから、主人公・玄奘法師は天竺へ経文を授かりに行く旅を始めました。創作順でなく作中の時系列順で紹介すると、
 第四作『大唐敦煌変』で、彼は敦煌に到着し、下界に下りた「奎木狼」(『西遊記』第二十八回~第三十一回に登場する黄袍怪のこと。正体は天界の二十八星宿の一人・奎宿。宝象国の王女・百花公主をさらって嫁にしていた。沙悟浄が花果山から連れてきた悟空によって捕えられ、天界に強制送還された。)に出会いました。これもまたスケールの大きいトリックでした。
 第二作『西域列王紀』で、彼は高昌国(現在のトルファン)に着いて、なんとあの『千夜一夜物語』にも登場した、人の願望を必ず実現させると言われた魔法の壺を見ました。
 第三作『大唐梵天記』で、彼はようやく天竺にたどり着き、三十三回も輪廻した恋の物語に立ち会ったと同時に、七世紀の世界最も強大な五つの国の大博奕に巻き込まれました。
 執筆中の第五作『長安撃壌歌』はシリーズ完結作になります。

――先生が、自作の中で最も自信のある作品はなんですか?その作品について教えてください。(日本未紹介の作品でも)

陳漸 私にとって、最も自信のある作品はいつも創作中の作品ですね。執筆中の『長安撃壌歌』は『大唐泥犁獄』の結末を受け、李世民が崩御するまでの七日間に起きたことを語ります。李世民が重病を患っている際、劉全という人に泥犁獄へかぼちゃを進呈に行って自分の寿命を訊くよう命じましたが、劉全は泥犁獄から一冊の神秘の書を持ち帰りました。その本に七枚の「讖図」があり、これからの七日間に起きる出来事を予言し、そして一つの結論が導かれます。「唐王朝は三代で衰え、女主武王が代々天下を所有する」と。
 玄奘と王玄策(註:天竺へ外交使節として赴いた、同時代の外務官僚)とがその神秘の書をめぐって調査に取り掛かりましたが、やがて、思いもかけず綿密な陰謀の連鎖に巻き込まれてしまうことになるのです。

――日本の読者へ、一言メッセージをいただけたら嬉しいです。

陳漸 日本の読者様、拙作をご覧いただきまして幸甚に存じます。ミステリを創作する上で、日本の多くの作家さんたちから影響を受けました。このたび、自分の作品の日本語版が刊行できて嬉しいかぎりです。こういう形で長い間敬慕している作家さんたちと一種の交流を果たせるのは、全ての作者が夢の中でも追い求めることのはずでしょう。
 拙作を通じて中国ミステリの発展の現状を日本の読者様に垣間見ていただければ、中国の歴史と文化を好きになっていただければ、そして将来もっともっとこうして交流する機会があればと存じます。読者の皆様、本当にありがとうございます!

(2022年9月)

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