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【考察】同じドアをくぐれたら
ユグドラシルに収録されている楽曲。インタビューでは藤原氏は「これはメンバーには言ってないんですけど、ちょっと手向ける気持ちはありました」と話している。
メンバーに向けてBUMP OF CHICKENというバンドに覚悟を決めるための歌のようだが、聴いている人にも「人生は自己責任」というメッセージを与えてくれる曲だと思う。
もう 気付いたろう 目の前のドアの鍵を
受け取れるのは 手の中がカラの時だけ
自分の前に人生を開くドアがある。
しかし自分の人生を歩けるのは自分だけ。
そばに寄り添ってくれた人も励ましてくれた人も一緒に通ることはできない。
長い間 ここは居心地が良くて
いつの間にか いろいろと拾い過ぎた
どれもが 温かくて
失い難い いくつかの光
手に入れる為に捨てるんだ 揺らした天秤が掲げた方を
こんなに簡単な選択に
いつまでも迷う事は無い
その涙と引き換えにして 僕らは 行ける
涙とは辛いことなのだろうか。
居心地の良いここはきっと自分が傷つかない場所だったのだろう。
しかし傷と向き合うことから逃れた場所でもあったのだろう。
ドアの向こうの世界は自分一人で生きていくという世界なのだから他人の手は離さないといけなかった。
もう 気付いたろう 僕に君のドアは見えない
同じドアをくぐれたら--- と願っていたよ
僕と君は違う人生なのでお互いの人生の分岐点は見えない。
さぁ 時は来た 繋いだ手を離すんだよ
カラになった手で それぞれの鍵を受け取ろう
恐らく もう 戻れない
いつか忘れる 君と居た場所
手に入れる為に捨てたんだ
揺らした天秤が掲げた方を
そんなに勇敢な選択だ
いつまでも迷う事は無い
自分の選択はきっと今まで守っていたものと真反対の選択になるのだろう。
しかしそれよりも大事な自分自身を選択した結果、自分自身の大切さが勝ち、ドアは現れるのだろう。
その記憶と引き換えにして 僕らは
振り返らないで 悔やまないで 怖がらないで どうか 元気で
僕は唄うよ歩きながら いつまで君に届くかな
後悔せず、不安にならず、楽しく進んだらいいだけなのだ。自分の行きたい方向なのだから楽しめばいいのだ。
その涙と引き換えに
その記憶と引き換えに
この歌と引き換えにして 僕らは 行ける
もう 気付いたろう 目の前のドアの鍵を
受け取れるのは 手の中がカラの時だけ
ただ一人だけ
手の中がカラとは、誰とも手を繋いでいない、つまり誰のためでもなく自分のためだけに進む道ということである。
私はフリーランスになって、自分の人生を歩むこととなった。自分の夢と向き合った。しかし辞めてすぐは自己責任の意味もわからず、今まで通り誰かの為に働こうとしてしまった。会社にいた今まではそうでよかったのかもしれない。しかし自分の人生を歩くことを選択した今は自分のために働くことが正解になった。まさに天秤変わったのだ。そんな時に聞いたこの曲は私にとって、自分の人生を選択する勇気をくれる曲だった。