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みんなが憧れる、「カフェで作業する海外ノマド/リモートワーカー」になったけど、実際はどうなのか。

※以前に公開した記事をリライトしたものです。最近はライターをメインに活動しているため、当時の状況と異なる部分がありますが、その点ご了承いただけますと幸いです。


日本は今日は休日ですね。でも国が作った休日だとしても社会の動きを止めないように、休日を楽しむ人々のために、「クソったれ」と言いながら働く人もたくさんいると思います。夢の国にいるキャラクターやキャストたちはこの「休日」という日こそ忙しなく働いて私たちをいい気分にさせてくれます。

私は、タイにいつつ、日本の会社で働いていて、カレンダー通りの休みをもらっているので、今日は「休日」です。ありがとうございます。タイにいつつ、日本の会社で働いている、つまり、フルリモートワーカーです。私が大手旅行会社で勤めていた時にあこがれていたやつです。旅行会社はフルリモートワークの部門もあるそうですが、うちは「ヒト」を重要視するからこそ、という理由で役職者を除き、みんな通勤していました。私は旅行会社ののITセキュリティ部門だったので、通勤する社員のために会社にいなければなりませんでしたが、辞めてからも、もっと違う働き方もあるのでは?と思ったりもしていました。

一方今は最先端テックベンチャーにいるので、会社は私を含め、海外にいるビジネス職やエンジニア等、すべてオンライン上でやり取りをし、私もタイに来てから採用されているので、自分の上司には直接会ったことはありません。毎日朝と夕方にビデオを繋いで話しますが、もしかしたら自分の上司は本当に存在しているのかもわかりません(笑)

タイ・チェンマイにいると私みたいに、コーヒーをそばに難しい顔をしながら、ときにため息をつき、WHY!というリアクションを画面に向けながら仕事をしている人々に出会います。私たちは仲間なのだと、ゆるい共同体意識みたいなものが芽生えます。

チェンマイでのノマドの働き方の解像度をもう少し高めるために、チェンマイのカフェについて話しましょう。チェンマイはいたるところにカフェがあり、何十万円もする機械で作ってくれたコーヒーはどこにいても飲めます。
ただ、そのカフェの形態は大きく3種類に分かれていて、対象顧客が異なっています。

①観光客向けのおしゃれに振り切った「映え」カフェ

映えなんて言葉を頻繁に聞かなくなりましたが、まだまだ「映え的なもの」は観光地では健在です。料理が運ばれてきて20分ぐらいいろんな角度
で写真を撮りまくり、冷めた料理に少し口を付け、「おいしいね」といい半分弱ぐらい残して店を去っていく人間はいまだにいるのです。

もちろんそんな人だけではないですが、休日にそういうカフェに行くと、見かけてしまうので、口付ける前に分けてくれよ!と思ってしまいます。私はああいう人間とは友達にはなれません。

でも「映え」カフェは写真を撮らなくても、小物のディテールが細かかったり、心地よい音楽を選曲していたりと、空間演出がすばらしいので、(上記のような人間が目に入らないようにすれば)いるだけで気分を上向きにしてくれます。だから私は休日はちょっと家から遠いおしゃれなカフェに妻を連れ出し、本を読んだり、クリエイティブ制作をしたり、平日の仕事ではない活動をしています。(見かけはノマドワーカーと一緒)

②テイクアウト専門のコーヒースタンド併設カフェ

街中の一角や、大学や病院などの施設のそばには、数席椅子があるだけで、ほぼテイクアウト専用のカフェもあります。タイ人はコーヒーを飲む習慣があるので、コーヒーアディクトの私にとっては、タイは心地よい国です。正直日本よりもコーヒーがおいしい。ここでは、みんな仕事をしながらだったり、歩きながら飲む用のコーヒーを買っていきます。

私は居場所(=Wi-Fi、座り心地のいい席、電源プラグ、おいしくて安いコーヒー)がほしいので、必ず席のあるカフェに行き、スタンドのカフェはあまり行きません。スタンドにいく人々を私はすでに「居場所」がある特権者だと羨んでいます。(ノマドワーカーでもリアルな「居場所」が欲しいのかも)

③観光客は寄せ付けないノマドワーカーしかいないスタイリッシュカフェ

最後に、私が普段行くようなカフェはこういうお仕事用のカフェ。
でも日本みたいに金拝主義的な「一日数千円、月額数万円かかる」タイプのコーワキングスペーㇲは限りなく少なく、普通にコーヒーと食事を売って、席は何時間いても怒られないタイプのカフェ。控えめにいって最高。さすが、世界的なノマドの聖地、チェンマイ。

日本にはこのタイプがないので、私は日本で作業する場所が見つけられなくて困ってます。スタバのコーヒーはあまり味が好きではないので、友だちからプレゼントでチケットをもらった時しか行かず、狭苦しいその辺のチェーン系のカフェに行くしかありません。でも席に座るとコンセントの上ぐらいに「混みあってきた場合は席を譲りあってご利用ください」的な、日本らしい「長居するなよ、ボケ!」という文言が書いてあって、落ち着いて仕事できない。家で仕事しろよと言われるかもしれないが、家では本に囲まれてしまって、すぐ手に取ってしまうんですよ。(映画見るのは業務終了までセーブできるのに)

ノマドワーカーしかいないカフェは独特な空気をまとっています。みんながカタカタとキーボードをたたき、どこかで突然会議が始まる。たまに、隣の人に話しかけたり、カフェの人と談笑したりする。(けっこう同じカフェに通い詰めてるとあの人この時間にいるな、というのがわかり、しまいにはアイコンタクトをとるようになります)


「カフェでノマドワーカー・フルリモートワーカーとして仕事をする」ということ

なってみると、正直別に何とも思わなくなってしまうのですが、以前と比べるとそこには大きな違いがありましたので、列挙します。

メリット①好きな場所で仕事できるというだけですばらしい

同じ場所に通い続けた前職。場所が同じことで落ち着く人もいるかもしれないが、私は気分転換ができないので正直きつかったです。
家/カフェ、カフェ1軒目/2軒目のように、午前/午後で場所を変えることで、ずっと同じ作業をしていても風景が変わることで行き詰まってしまう感じがなくなります。

ずっとパソコン上のデータを見つめ続けるのできつい。文章を書く仕事であれば自分が0から生み出すのできつくはないのだが。(退屈とはまた違う感情。)

人間を「ホモ・モビリタス(移動する人)」であると人類学者が定義づけるように、人が自発的に移動できることで、人間であり続けることが出来ているかもしれないです(車やバイクが常に街をかけめぐるタイに住んでいると、移動とは?についてふと考えてしまうこともある)。

メリット②自分の時間感覚で仕事を進められる

職場に同じ仕事をしている人たちがいると、変に首を突っ込みたくなったり、もしくはその逆をされたり、そしてその対応で自分の仕事を進められない、という同じ職場ならではの鬱陶しさがあるでしょう。

一方、カフェでのノマドワーカーは一人一人が仕事に集中し、誰も邪魔しない。変なちょっかいをかける人がいないからこそ、自分の流れを維持できます。

もちろん、メールやチャットでいろいろと仕事が飛んでくることもあるが、通知を見て、「ウザっ」と一言悪態をついてから、その内容を見ることができる。それだけで、心の平安が保たれます。米津玄師の曲の中でよく「ボケナス」「クソ」というのが出てくるが、そのように人間だれしもがもつ悪の感情を吐き出すことはとても重要だと思っています。私はカフェで日本人らしき人がいないときは小声でクソっていうようにしています。英語だと周りのグローバルに働くエリートたちが何こいつと思うかもしれないので。

メリット③貯金ができる

妻の仕事の関連でタイで住み、私は日本基準の給料をもらえているので、単純に生活費が抑えられ、タイには、日本ならではの高額な仲介手数料とか解約料を課してこないので、自分の稼いだお金がよくわからんことに流れていくことがないです(税金や社会保険料は日本で払ってるのでそこが最近のお怒りポイント)。

タイではリーズナブル(英語の意味の方)なので、食糧費にお金をかけなければ相当抑えられます。何より日本と同じ通信規格なのに、通信費は月3000円。日本は企業が利権を握りすぎ。高すぎる。通信においては後進国すぎる。


デメリット①なりたいと思っていた時ほど別に大したことない

これ夢をかなえた人がいうあるあるですが、これが普通になると、なんでこれまでこんなことができなかったのだ?と思ってしまいます。

カフェで周りに絵をipadに描いている人がいたり、ずっとミーティングしている人がいたり、Excelと見つめあっている人がいたり、ずっとタイピングしていてたぶんあの人は私のようにライティングもしているんだなと思ったり、世の中にはいろんな職種の人が自由に働いているんだと思うこともある。逆にその場所・職場にいるからこそ意味のある仕事もたくさんあるんだなとも思うので、別にリモートワークやってる人だけがすごい、勝ち組とかじゃないんですよね。たまたま場所に縛らずにできる仕事であった、ていうだけでそれ以上に価値は見いだせないし、見出すべきでない気がしています。

デメリット②?サボってしまう・サボれる

「リモートワークの現実」のような話の中で、みんな実際はサボっているんじゃないか、会社からすると効率が悪いのではないかというのがよく出てくる。真実でもあるが、決してそういう話じゃないとも思ってしまいます。

リモートワーカーだって、一日10時間働かないと追いつかない時もあるし、仕事が落ち着いていて、他のことを考えるスキマもある日もあるというのは事実。

でもそういう「サボり的な時間のスキマ」がないと、うまくやっていけない、むしろ非効率になってしまうと思います。そして自発的な新しいこともできない。この文章を書きながらも仕事のことや自分のかつどうとしてやりたい事なんかは頭を常に駆け巡ってるし、実際にその仕事に手を加えた、だけが「仕事」ではないと思います。忙しなくタスクをこなさせられていた以前の私は何も考えずに、会社のマニュアル通りにそれなりのことをやって数を稼いでいた私はホスピタリティもクソもないな、といまになって思います。

サボるっていう言葉を作り出した人はたぶん超効率主義者で、しょうもない人間だと思うこともあります。

だって一般的な概念としての「サボる」時間に新たなアイデア浮かぶことも多々ありますからね。

結論:

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