【タイ移住日記2023/10/30−31】チェンマイから渋谷ハロウィンの楽しみ方〜呪術廻戦渋谷事変と絡めて〜
かぼちゃ太郎というペンネームなのでこれは書かなきゃいけないだろうと思い、重い腰を上げ、書いている。こういうスタンスだとこの文章は絶対に面白く無くなる。今私はいつもと同じようにチェンマイ大学の図書館でiPadを開いて書いている。期末テスト期間が終わったところなので、学生の姿はなく、このフロアには私と高校生とその家族らしき人々が図書館見学をしている。将来有望な若い人々の眼差しは鋭い。
私は最近オープンになった英語で書かれた書籍エリアに通い詰めている。先日のアリんこの記事(気になる方は過去の記事を遡ってみてほしい)とは同じ3階だが、日差しが入り込む窓が少なく、比較的狭いためかクーラーが効いており、近くに自分が使える言語としてアクセスできる書物がある安心感を覚えている。
#渋ハロと渋谷事変
毎日の通勤で通り過ぎていた渋谷には異変が起こっていた。若者に支えられる街であるはずの渋谷ハロウィンは制圧とも言えるほど、年々ハロウィンで騒がないでくださいというアナウンスが厳しくなり、コスプレではない警官姿の人々が制裁を下しているというニュースが流れている。今はタイにいるため実際に観にいくことができないのが残念ではあるが、いくつかTwitterで今の状況を淡々と説明している人がいてすごい観察眼だなと思ったものがある。
とのこと。バイクでウィリーをして後ろからタクシーに追突して窓ガラスを割ってしまったり、すっぽんぽんの女性たちが町にわらわらと出現してしまうことの先に、今の社会や生活に不満を持つ若者たちの思想が具現化してしまうことに恐れているのだという。呪術廻戦では人々の負の感情が具現化し、呪霊化し、人々を襲い出す。呪術廻戦のシリーズ序盤では特に、それが世界観の土台となっており、芥見下々先生もそこが問題意識として先にあったのではないかと私は思っていたりする。
渋谷事変に至る夏油傑の気持ち
私はそのTwitterの考えに妥当性を感じている。多くの若者は未来に希望を持っていると言えない状況に追い込まれているだろう。今は大学教員になった奥さんにひょこひょこついてきて、私は会社人(社会人)ではなくなり、大学で語学を学び、食堂やカフェでオールタイ語で注文できたらぬか喜びしているだけの社会逸脱者(もしくは離脱者と言われているだろう)になった身で楽しく過ごしているお前に言われたくないと思う人たちもいるかもしれないが、私の会社人であったときの生活を振り返ってみる。
少ない基本給で、残業が増え、残業代で稼げると思い必死に働くも、翌月銀行に入った給料は25万円。今月は頑張ったし少しばかり余裕ができるかと思いきや、毎月のクレジット決済でほとんどピッタリ消えていく。
週末には妻と自転車で10分ぐらいのところにある業務スーパーかマミーマートに行き、一週間分の食材を調達する。平日は残業で帰るのが遅くなり、スーパーが閉まってしまうか、ものがなかったりするので買い物できない。二人暮らしを始めて実家にいた時よりもお金がかかるので妻が夜におかずを多めに作ってくれ、弁当を作ってくれる。遊びに行くところと言えば、自転車で20分の公園か河岸にある運動場で、バロミントンをして遊ぶ。疲れたら家に帰ってゲームをしたりYouTubeを見る。遠出するのは月に1回程度。旅行は年に1回。本を読むのも好きなので、近くのブックオフに行き、数冊を手にする。残業が1時間ほどしかなかったときは池袋のジュンク堂に行き、目に入った本を2、3冊買う。1万円ぐらいの会計になる。本を手にする喜びと同時に1万円近くも使ってしまったかと凹む。学術書を買うと2、3冊でもそれぐらいの金額に達してしまう。
こうして1年前の日々を思い出しながら書き出してみると、豊かな生活をしているではないかと思いつつも、これがrichな生活とは到底いえない。チェンソーマンの主人公も恵まれない日々を過ごしており、ジャムを塗った食パンを朝食に食えるということを夢見てそれを条件に国の機関に雇われて「悪」を成敗する。豊かな庶民かもしれないが、中流階級ではなく、結局は庶民なのである。
誰が大きな会社に入れば、生活に困ることはないよと言ったんだろうか。小さい頃に親戚の集まりで言われたことがある。かぼちゃ太郎は勉強を頑張っているなあ。将来は大きな会社に入ってきれいな奥さんもらって幸せになれよ。
私が「伝統的で大きな誰もが知る会社」に入り、たしかに親戚中では大変喜ばれた。農業や自営業をしている人たちが大半であり、親戚でも会社勤めはエリートとされていた。東大卒も中にはいるが、大きな親戚の集まりではそれは特例だったので、私の場合もそういう反応になるのだろう。
ただ、それでも文字通り「生活に困ることはない」だけで、小さい頃に言われたことは「言葉の綾(あや)」だったのだろうか。
呪術廻戦の中で特殊な力を持つ夏油傑は、ある考えと出会い、何もできない守られるだけで、呪いを勝手に生み出してしまう一般人を殲滅し、呪術師(呪いを操れるもの)と呪いだけの世界を作ろうとする。(ネタバレはしないようにしてます)
力を持つものだけの世界を作ろうとしているものたちは、暴動、反撃を恐れる。
チェンマイの#渋ハロ
Twitterのその考えは、嘘ではなく、そして多数派でもないかもしれないが、真であり、若者がそれを発散する場がネットとバトルフィールドとしての現実の渋谷になり、ハロウィンという子供のイベントを借りた、社会運動を巻き起こす大人のイベントになってしまった(なりつつある)のが今の日本のハロウィンなのであろう。
ところ変わって、チェンマイでは子供たちが仮装大会に出て、面白い大人たちが今のご時世で一番ウケる仮装をして屋台で美味しいご飯を食べるというなんとも「非現実」的で幸せに満ちたちょうど良い空間でした。
いい年した私たち日本人仲間御一行はかわいく仮装して、Twitter民の私は恥ずかしがり屋なので肩にディズニーシーで買ったフランダーのぬいぐるみだけ肩に乗せ、「ディズニーハロウィンに連れてこられた人」として#地味ハロウィンを楽しんだ。写真はあるが想像にお任せする。