認めたくないけど、私は繊細さん
私はHSP気質であることを自覚している。いわゆる「繊細さん」というやつだ。
ただ人にはこのことをあまり言わないし、言う気もない。繊細であることが悪い事のように感じてきたからだ。
たぶん、悪い事だと感じる理由の一つに、繊細チンピラという造語がある。小野ほりでいさんが作った比較的新しい造語だ。(調べたら10年ほど前の言葉だった)
記事が出た当初はなかなか話題になっていたと記憶している。私も当時は、「また上手い造語を作ってらっしゃる」ぐらいに受け止めていた。
しかし言葉のインパクトが強かったようで、
小野ほりでいさんは「繊細チンピラ」という造語について改めて言及している。
これはよくわかる。
数年経ってHSPや繊細さんという言葉が出てきて、自分もこれに該当するな、と思ったとき、この言葉の悪い部分ばかりを自分に当てはめて考えてしまったのだ。
ただ、元の記事では「繊細であること」自体は悪いことばかり取り沙汰されてはいない。
人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから、ということだ。(贈る言葉)
記事に出てきたような、ただハイキングを楽しんでる人に「外に出られない人の気持ちも考えてください!」とイチャモンをつけるような、原義の繊細チンピラに該当する人は確かにいるし、
かと思うとゾーニングとの区別がついてなくて「やたらと配慮しろ配慮しろっていうのやめてください!」と、真っ当な批判を繊細チンピラで片付ける人にも心当たりがある。
馬鹿と鋏は使いようで、どんな言葉も使い方次第で脅威にも救いにもなる。
なんだかHSPや繊細さんという言葉が悪いもののように感じるが、この言葉があることで、私はHSPである自認ができた。
ああ、自分はおかしいわけじゃないんだ、こういう特性なんだ
とわかるのは、この言葉のいいところだ。
子供の時分から、「お前は考えすぎだ」と言われるような人間だった。おかしくない、一つの個性としてラベリングできたことは、ひとつの救いである。
HSPや繊細さん、というのは自分を納得させるには良い言葉で、「私は[HSP or 繊細さん]だから配慮して」と言い出すと途端にチンピラになる可能性を秘めている。今後とも人へ頼むのではなく、自分のために、この言葉を使っていきたいと思う。