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「男女」の友情は互いが許しても、周りが許さない。

※タイトルでいう「男女」とは、互いに恋愛対象となりうる可能性を持った2人を表しています。

【SS】誰にもありそうな話

確かに、好きだった。
でもそれは、恋ではなかった。
周囲は恋人同士のようだと揶揄った。
「仲良すぎだって?ただの友だちだよ」
「にしても、距離近すぎない?」
「気が合うからじゃない?」
「ふーん。あっちは好きだったりして」
お互いに仲の良い友だちとして接していた。
しかし、周囲には「恋愛関係」として映っていたらしい。
そう見えるのは、心地が悪かった。
だから、友情ごと否定した。
そこで初めて、周囲から見ると自身にとって相手が「異性」であり、所謂恋愛対象となりうる存在として認識した。
ぎこちなくなった。
まるで、別れた恋人同士のようだった。
皮肉にも、仲の良い友だちと絶交したらそんな風に映るらしい。
故郷の通学路を歩くと思い出す、
周りを気にしていなかった頃の会話。
あいつは、確かに親友だった。

解説

男と女が対になった1組=恋愛に発展する
という決めつけが行われている。
周囲の思考は異性愛者としての認識が前提にある。

友情の要は性別の差異じゃなくて下心の有無では?

一方が恋愛的な感情や下心を抱いた時点で友情が成立しなくなると考える。
それは男女間だけの話ではないと思う。
性別に限らず、一方が相手に友情ではない感情を持った時に、その関係性に解釈の違いが生じる。
そこで初めて、友情は決裂する。

恐らく多くの人が
「男女間の友情は成立すると思う?」
と聞く場合、相手を異性愛者という前提で話を進めていると思う。

つまり、
「恋愛対象となりうる存在と友達のままでいられるか?」

ということを意味している。
恋愛的な感情を持った時点で、友情が壊れてしまうのは性別に限らず同意できる。

今後、
「男女間の友情が成立するか?否か?」議論は、

「相手が恋愛対象となる可能性がある場合、友情を保つことができるか?」

と言い換えたら良いと思う。

蛇足のようなまとめ

異性2人組だからと言って、良い感じだね(付き合わないの?)と言うのはお節介みたいだ。

異性間に言うのに、なぜ同性間には言わないのか?
多様性を認めようと言っても、なかなか浸透しないのは心の底に異性間=恋愛に結びつけているからだと思う。

それは、昨今やっと世間的に広まっている多様性よりも狭い考え方で、「当たり前」とされていた考え方なので、「異性間=恋愛」という考えを持つことは悪ではないと思う。
ただ、その決めつけが知らないうちに誰かを傷つけているかもしれないし、不寛容に繋がっているかもしれない。

いきなり考え方を変えるのは難しいと思うが、自分の中にある認識(固定観念など)を自覚することで行動を変えることはできると思う。

この文章が読んだ人の中にある「認識」を振り返る機会になれば嬉しい。

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