持続可能な生活がしたい
何かがぷつん、と切れるという経験をしたのはこれがはじめてではない。
人一倍燃費が悪いくせに異様に頑張り続けてしまう癖と、精神疾患を持っている私はそういう状態に何度も出くわしたことがある。
だから、今回もぷつん、と緊張の糸が切れてしまったとき、ああ、またやってしまったなと思った。それまで仕事中はあっちこっちから降ってくるタスクや調整業務をさばいて、業務改善の提案をして、土日には仕事関係の勉強をしていたにもかかわらず、体が全く動かなくなったのだ。
以前はあったキャリアアップしたいというモチベーションはどこへやら。そのときの私といったら、伸びきったゴムみたいにダルダルで、なにひとつまともにできない状態だった。
一時期まともに業務に取り掛かれなかったので、上司含むチームのみんなに体調について相談した。幸いなことに、業務量や質について対処してくれるといったような返事をもらった。
今までのように休職や退職に至ることなく、なんとか「低め安定状態」で仕事を続けられることになったのは本当に僥倖だった。会社にも、上司にも、人事担当の方にも、同僚にも、感謝してもしきれない。細く長く、働き続けられそうで安心した。
ただ、また自分を勝手に追い込んでしまったことはさすがに後悔した。
今回こうなった原因は、自分の中の固定観念にある。
私には結婚を前提にお付き合いしている人がいるのだが、その人との将来を考えすぎたがゆえに勝手に頑張らないといけない気になっていた。
例えば、もし子どもを授かったら、将来のためにフルタイム正社員を続けて第一線で稼ぎ続けなければ、とか。
なんなら私もいざ相手が倒れても家族を支えられるくらいのバッファを持たなければ、とか。
そのために、〇年後までにXX万円稼げるようにならなければ、とか。
そのために、今のうちにキャリアアップしなければ、とか。
でも子育ても家事も手を抜くべきではない、送り迎えやご飯づくりを完璧にこなさなければ、とか。
家やマンションを買う可能性もあるから、〇年後までにXX円貯金しなきゃ、とか。
今思うと何をそんなに焦って、何をそんなに勝手に決めつけていたのかよくわからないけれど。インスタに溢れる高校や大学時代の友人の子どもの写真、家を買ったという報告、でもキャリアも手を抜いていない彼女たちの近況、幸せそうな家族の姿。そういうものにかなり影響されていたんだと思う。人と自分では環境も能力も何もかも違うというのに、我ながら短絡的である。
そう気づかせてくれたのは、「僕は死なない子育てをする: 発達障害と家族の物語」という本だ。
僕は死なない子育てをする: 発達障害と家族の物語 | 遠藤 光太 |本 | 通販 | Amazon
無理に環境に適応しようと努力しつづけた末に体調を崩して家族生活破綻寸前にまで陥った著者が、どうやって持続可能な生活を営むかを考えて実行していく、といった内容である。
著者には発達障害があるのと、当時一児の父(現在は二児の父)だったのだが、発達障害以外の人にも、子育てをしていない人にも刺さる内容だと個人的には思っている。
読んでいくと、著者がマジョリティに適応しようとして必死に仕事をこなしたり、「男は一家の大黒柱でなければならない」という固定観念に取りつかれたりしている描写があるのだが、あるとき著者はそんな固定観念から「降り」て、サステナブルに生きていくことを選択する。
まるで、自分のようだと私は思った。
私も、誰かと結婚するなら、仕事と家事・育児を完璧に両立しなければならないとか、自分の考える枠にあてはめた家族の形でないといけないとか、そういう固定観念を持っていた。
そんな私の元に降ってきた、「持続可能」という単語はまるで天啓のようだった。
持続可能。サステナブル。つまりそれが、短いスパンではなく長期的なスパンで叶えられるかどうかということ。無理のない形でずっと続けられるかどうかということ。
私はずっと短絡的で、すぐに成功や幸福がほしくて、焦って短期的に頑張ってみては燃え尽き症候群のようになっていた。ひとりのときもそうだったし、誰かと暮らすことを考えたときもそうだった。
でも、今日からは。もしパートナーとこれから一緒に暮らしたりするなら。私は持続可能な生活がしたい。
まだまだ物事を長期的に考えられる脳みそではないかもしれないけれど、また失敗するかもしれないけど、でも。どうかこれからは。無理のない範囲で穏やかに生きていけたらいいなと思う。